花と隆盛と安寧の国
隆盛を誇り花咲き乱れる常春の国。
緑は遥か彼方に追いやられ開拓された地には高い壁が街を守る為にそびえている。中には街路が張り巡らされ、その隙間を縫うように様々な建物が建ち並ぶ。
あらゆる商売が成り立ち、物を売買する掛け声が喧騒を生み活気溢れる首都は今後も変わらぬ安寧を約束しているかのように人々の目に映り、若者が夢と希望を胸に一度は訪れたいと願う場所。
一際その存在を主張する白亜の城に一組の男女が呼び出されていた。
より正確に表すのであれば召喚、と言えるだろう。何者より尊大で傲慢な輩が相手の都合はおろか状況すら省みず、ただ「来い」と呼びつけるのだ。
拒否という選択肢は存在しない。
この男女も、その同類達も首都で売り買いされる食べ物を目を輝かせて覗き込む街の少年達より立場は下。
襤褸を纏った彼等は薄汚れていて身なりを整えることすら出来る余裕がないことを物語っている。
城壁から廃棄物を棄てる為だけに使用される門の近くを住処と定められ押し込められた者達だ。平常時には昼は集められた廃棄物を危険な街の外に棄てる為に荷車を押し、夜は街路のゴミを集めて徘徊する。
非常時には従軍し真っ先に戦場へと放り込まれる。その為に飼ってやっているのだ、と。命を懸けているにも関わらず金銭の支払いは一切なく週に一度、僅かな食料の配給を受け仲間達と分けて食いつつ命を繋ぐ。傲慢な国の道具として扱われている。
豪奢な正門ではなく使用人が使う裏門へと回り、彼等こ姿を確認し盛大な顰めっ面で迎える門番に頭を下げればフードを取らんかと頭ごなしに怒鳴られた。取ったら取ったで更に嫌悪を滲ませる。
男は不機嫌極まりなく鼻頭に皺を寄せ、女は溢れてしまいそうな溜め息を吐き出さぬよう苦労しつつ召喚に応じたことを告げて入城した。
広すぎるほど広い庭園を迂回し、目立たぬよう隅を通れと各所に配置されている衛兵に何度も唾棄されながら二人は城へと進んでいく。
「堪えて…」
「分かってる」
男の額に浮かぶ青筋が徐々に増えていくのに耐えかねて女は諭すが男の心には全く届かないようだ。
いつもと同じ合言葉のような決まりきった返事が返り、女も思わず溜め息を吐いた。
気持ちは嫌というほど分かるのだ。
何故俺達がこんな目に遭わなくてはならないのかと憤っているのだろう。
犯罪を犯したのでもなく生国を捨て浮民となったわけでもない。奴隷として身を売ったことも売られたこともなく、街に住む人々と何ら変わらない全うな一般人なのだ。嫌悪されるような事は何一つした訳でもないのに私達と仲間達は卑下される。
彼の首にピタリと嵌まる冷たい鉄の輪は道具であることの証なのだ。同じく自分と仲間達の首にも嵌まり、外すことは出来ない。
これは拷雷の呪が刻まれた首輪。
呪を施し発動の条件を調えるには付ける者に纏わる品が必要とされる非常に時間と労力がかかる首輪である。
重犯罪者や奴隷に使用される拷問具だと付けられた後で聞かされた。意思や思考の強制や洗脳はしないが特定条件を満たした者、通称御者の指示に背けば全身に雷が走る。つまり電流による懲罰、これに逆らえる者がいるだろうか?
死にはしないが死んだ方がマシであろう状態にまで追い込まれ意思を変えない者などおらず、強制ではなく己の意思で従わせて心を折る。これはそういう目的で作られた品なのだ。
本来の彼ならば簡単に壊すことが出来る輪。
だが何一つ分からない状態で捉えられ、周到に設定済の首輪を用意されていた。
有無を言わさず付けられてから説明を受けても後の祭り、彼は激怒し暴れようとしたが御者による「我が命は絶対。この国に係わる全てのモノの破壊を禁ず」という指示によって電流を浴び昏倒した。仲間達の全てが同じ方法で囚われ、「彼の御者の命令が絶対」という同じ呪で縛られている。
なんと狡猾な男か。
そうして命令が一つ一つ増えていき彼と彼女達は偶々種族として獣人を選んでいたが為に廃棄門へと追いやられたのだ。
この繁栄した国で最も重大な問題は戦争。
肥沃な領土の奪い合いは最近では特に多くなってきたと街の噂で聞いている、だから自分達を捕らえたのだと知った。
捕らえた者達が脅威と恐れる強大な力を持っているから。
有効な道具が多数手に入ったからと増長しているのか、最近では他国との折り合いも悪いようだ。夜の街を徘徊する彼等は他国の間諜と思しき者との遭遇も増えている。
あちらは必ずと言っていいほど見つかったことに敵対行為を示すのだが、此方は全く関心を持たない。目が合おうと捕まえられる距離にいようと彼等を含めた仲間全員が「健闘を祈る、頑張ってくれ!」と声までかけて良い笑顔で見送るのだ、困惑を通り越し軽いパニックを起こす間諜をたまに見かける。
しかし自分達は囚われているのであって己の意思でこの国に仕えているわけではないのだ、忠誠も義務もなくむしろ御者に対しては殺意を持っているほどなのだから見つけて報告などするわけがない。
今もまだ捕らわれる者は少しずつだが増えているのだ、廃棄門に稀に同種が送られて来るのだから。
自分達の境遇、囚われ貶められ無力化されて殺された大切な仲間達。
皆殺しにしても殺し足りないと思うだけの怨みが募り募っている。
横を歩く男は人狼を種族として選んでいた。
仲間達と共に「シルエットがカッコ良いから」という単純明快な理由を聞いて彼をからかい笑いあっていた時間が懐かしい。
彼が現在廃棄門に住む同胞を纏めている。
理不尽な要求をされても矢面に立ち退けて、仲間を支えながら屈辱に耐え生きてくれている。彼が居なくなれば自棄を起こす者は少なくない、慕われているのだ。
「貴方が居なくなれば誰が私達を守るの」
こんな言い方が卑怯なのは彼女もよく知っている。
彼は責任感が強いのだから。
「…分かってる」
先程と同じ言葉が返って来たものの、彼の荒くなりつつあった呼吸音は少しずつだが収まってきた。少しは頭を冷やしてくれたのだと彼女は安堵する。
目の前には城の訓練場が迫っていた。
到着した訓練場の隅で彼女を後ろ側へと隠し、彼は両膝を落として頭を垂れる。
わざわざ兵士の多い場所を指定してきた奴等の思惑が透けて見える。
此方を恐れているのだ。
なら待遇ぐらい改めやがれ、そう内心で毒づくのは彼ばかりではないだろう。
チラリと地面から視線を流し訓練に励む兵士を見れば寄ってたかって一人の男を攻撃していた。
それでも攻めあぐねているらしい、経験の差だと内心嘲笑う。
集られている男は彼の仲間の内の一人。
種族として人族を選んだ古い馴染みで、対人戦を得意としている男だ。
人族を選んでいた男達は捕らえられた後、こうして兵士の訓練用に使われていた。
経験の浅い新人は人と斬り合うことに慣れておらず斬っても良い人形のように使われているのだ。捕らわれた者にも力のない者は多く、何人も斬り殺され廃棄門へと打ち捨てられる。幾度も暴行を受け、何度も斬られ、刺し殺された同胞達の亡骸。
五体満足であれば良い方だ。訓練中にされたのか指や四肢の欠損、実験に使われたのか内臓や瞳まで奪われた者、首しか無い者。どの顔も苦悶に歪んでいた。
見付けるたびに何度胃液を吐いたことか。
己を罵りながらも知り合いではないと確認して胸を撫で下ろすこともあった、変わり果てた馴染みを見つけ絶叫したこともある。
隠れて回収し、せめて遺体だけでも綺麗に。安らかな状態でと濡らした布で拭うたびに涙と嗚咽が零れた。
あいつは無事だったかと胸に安堵が広がる。
強い男だ、それを証明しているから無闇に殺されることはないだろう。戦争の役に立つかどうかの判断が出来ないほど愚かではないはずだ。
一瞬だが此方を見て僅かに瞳を細めている。
自分達の無事を確認して安堵したのだと分かった。アイツはそういう男だ、自分だって大変だというのに心配してくれていたのだろう。
訓練場にざわめきが広がり唐突に打ち合いが終了し、兵士たちも同じように膝をつく。
城から姿を現したのは近衛兵、王を護る者であり兵の憧れでもある。彼にとっては王に群がり指示を受けるしか能のない狗同然だがおくびにも出さず更に頭を下げて表情を隠した。
コイツらが来たということは奴も来る。
次いで姿を現したのは宰相、コイツが呼び出した本人だ。
「相変わらず獣臭い奴らだ、こちらの鼻が曲がりそうだな」
口元を布で抑えて告ぐ言葉に同調した笑いが兵士から湧き上がる。
後ろに控える彼女が心配そうな目で見ていることには気づいているが心配ない。散々言われていることだ、今更気にすることでもない。むしろ獣臭いことでコイツらが寄ってこないのなら大歓迎なのが男の本心だ。
侮蔑に何の反応も示さないことに興が反られたのか面白くなさそうに顎をしゃくれば近衛の一人が彼等の前に荷をを投げ出した。軽い音とともに地に落ちたソレに二人は目を見開く。
ソレは小さな子供だった。
手足は不自然な方向へ折れ曲がり、腹からの出血もある。
顔は殴られて膨れ上がり、虚ろに薄く開いた瞳に光はない。
そして首に冷たく光る鉄の輪。
「同類だ、仕事をさせろ。覚醒したら連れてこい」
それだけを告げて去ろうとする宰相と近衛に開いた口が塞がらない。
後ろに控えていた彼女が子供に駆け寄り呼吸を確認する。辛うじて生きていると小さく呻いた言葉を耳が拾うが彼女もどうしたらいいのか分からないようだ。触れて大丈夫なのか、振動を与えたら死んでしまわないかと考え、判断がつかないらしい。
なんだ、この酷い状態は。
こんな子供にまで手を出すのか。
無力なんだ、首輪まで嵌める必要はないだろうに。
同じ大人の男相手であれば分からないでもない。力があり体格も同じで抵抗されれば怪我どころでは済まないと分かっている相手であれば理解したくもないが理解できる。
けれど子供は違うだろう、何故こんな状態になるまで暴力を振るう必要があったのか。
「…何故だ」
「ほう?珍しく口を利いたな。何がだ」
「何故こんな子供がこんな状態に…」
「聞いていなかったのか?同類だと言っただろう、当然の処置だ」
しかし子供には獣人としての特徴は一切ない。
毛も生えておらず耳や尻尾、武器として使える牙や爪もない。
エルフ族の特徴である長い耳も緑の髪も持たず、ドワーフ族のように屈強な体でもない。竜族のように肌に鱗があるわけでもなく悪魔族のような角や羽、天使族のような背に翼があるわけでもなく。
何一つ特徴を持たない人族の、小さな小さな子供だ。
人族でも特有の鮮やかな髪色持っているのに、それもない。
ここでは見たことのない黒髪と黒い瞳、黄色の肌を持った子供。
紛れもなく彼等が元居た世界で保有していた色。
間違いない、生粋の日本人の幼児だ。
「かぴらを呼んでくれ!」
大声で怒鳴った人狼に宰相達は目を剥く。
彼が告げた名は同じ時期に捕まったエルフの名、今は城の奥に囚われていると知っている。彼が捕まった日に連れていかれたのだから。
「彼女なら治せる、かぴらを連れて来い‼」
「無礼者が!」
「ぐっ!」
「気安く語り掛けるなど己の分を弁えよ‼」
鞘に入った剣で次々に殴打され苦悶が漏れるが倒れるわけにはいかない。幾度打ち据えられても仲間を呼ぶよう頼む言葉は止まらない。
「彼女は貴重な治癒魔法師だ、魔力を無駄にするわけにはいかん」
「魔力は休めば戻るだろう!?子供が死にかけているんだぞ!」
「別にソレが死んだとしても一向に構わんのだよ、こちらはな。死んだら棄てておけ、腐るとかなわん」
「……」
宰相の言葉に愕然とする間に宰相と近衛兵は戻っていった。残されたのは兵士と彼等。ざわめきが次第に大きくなっていくが、そのほとんどが訓練場を汚す子供に対する悪態だ。
「王より解放されている場が汚れてしまったじゃないか」
「汚らしい、死んでいれば汚れなかったのに」
「さっさと片付けろよ。目障りだ」
何なんだ、この国は。
何が隆盛と安寧の国だ、外道の集まりじゃないか。
何故こんな国が成り立っているんだ。
「クロベエ、これを使え」
「…いいのか?お前が」
「いい、助けてやってくれ。パンナも、頼むぞ」
「有難う、ムバーガさんも…どうか無事で」
怒りに震える彼に声をかけたのは馴染みの人族の男、ムバーガ。
差し出してくれたのは小さな瓶に入った液体、この世界で一般的に使われている治療薬だ。今の自分達にとっては滅多に手に入らない貴重品、僅かだが体力を回復し体の傷を癒す効果がある。ムバーガが万一の時の為に苦労して手に入れたのだと直ぐに分かった。彼は人形として使われているのだ、薬がなく怪我を負えば用済みとして処分される可能性もあるのに。
「くそ…、糞っ、糞が‼この世界全部腐ってやがる!」
「クロベエ、お願い抑えて。早く戻りましょう」
「薬は城を出てから、出来れば戻ってから使ったほうがいい。見られれば奪われるかもしれない」
「すまない、借りる!」
「早く行け」
二人に諭されて彼は子供を抱えて立ち上がり、いまだ出血を続ける腹の傷口を抑えて二人は駆け出す。
一刻も早く戻り治療してやらなくてはならない。
薬草はあっただろうか。
清潔な布や湯も用意しなければならないが何一つ満足に用意できない住処だ、助けてやれないかもしれないと駆ける二人の目に涙が滲む。
「畜生、何が異世界召喚だ」
「クロベエ」
「何が勇者だ、何が英雄だ、何がチートだ。そんなものありゃしない‼」
血を吐くような彼の叫びに彼女は口元を押さえて涙を溢す。
彼が口にするのは読んだことのある題材の小説。異世界に勇者として召喚されて崇められ、無双して魔王を倒し英雄になる。
暇を持て余して訪れた書店で夢物語だなと微笑みながら購入し、これが結構面白く何冊も読んだ。いい年をした大人が恥ずかしいとは思いながらも強い者に憧れるのは男の性、新刊を読むたびに胸を高鳴らせていた自分を罵倒してやりたい。
「あるのは糞みたいな現実だけじゃないか…っ!」
門を飛び出した彼の潤んだ視界も溢れて伝う。
まだ向こうの世界はマシだった。
糞みたいな上手くいかないところは同じ世界だが、建前があった。
秩序があった。
人権があった。
モラルがあった。
義務や責任があり窮屈極まりない世界だったが真面目に働けば家族を持って養う余裕すら無くても、自分一人ならどうにかこうにか生きていける世界だった。
あそこなら子供を病院に連れていけば助けることなど簡単に出来るのに、こちらでは身分がモノを言い連れていっても門前払いをくらうだけで診られることすらない。
人ですらなく道具は壊れれば棄てるだけと簡単に言う。
俺達にも命があると認められない世界では平和すぎて退屈だった世界がとてつもなく懐かしく、限りなく遠い。
鉄の首輪を付けられた彼等は、召喚された者。
輝石の力で異なる世界から引き寄せられ、現れた矢先に囚われて帰ることも出来ず自由になる術もない。
絶望と死しか見えない虚飾にまみれた国の中心を彼等は必死に走っていった。