十二 蕾開く
恋に落ちたと自覚した若い二人がその距離を近づけるのに、さほどの時間はかからなかった。
翌日、宵闇が都を覆う頃、雅嗣は密やかに二条堀川邸に入った。右京を味方につけたことや、六位ゆえに車を使わず、徒での訪いだったことも幸いし、邸の誰にも───もちろん、結子の父や姉妹にも、気づかれることはなかった。
人払いされた東の対で、身のうちから湧き起こるような震えを持て余しつつ待っていた結子と、はやる気持ちを抑えて物音を立てぬよう、その身を廂の間に滑り込ませた雅嗣は、御簾越しに互いの姿を認めた時、同じように切ない吐息を零した。
取り次ぎもなく直に交わす言葉はぎこちなく、御簾越しに見える姿は朧げで、それでも二人の心は喜びに溢れたのだった。
時は瞬く間に過ぎ、雅嗣は夜半には名残惜しげに家路につく。
そのような日々を幾日か、二人は逢うたびにその距離を縮め、御簾越しだった対面が、やがて二人を隔てるものは几帳になった。どちらからともなく、几帳から差し出された手と手を触れ合わせると、互いのぬくもりは心地よく離れ難く、分かり切ったことだけれど、それだけでは満足できなくなった二人がついに几帳を取り払ったのは、宴のちょうど半月後のことだった。
恋い焦がれてようやくまことの対面を果たした二人が、初めて互いの顔を見た時の思いはきっと忘れないだろう。
結子の華奢な手を取り、顔を上げてくださいと幾度も懇願し、やっと自分を見てくれたその瞳の美しさ、嫋やかな風情。そのまま、その手を引いて抱きしめたい気持ちを押しとどめるのに、雅嗣はどれほど苦労したことだろう。
それは結子とて同じこと。いつも暗い夜の訪れであれば、御簾越し、几帳越しの対面ではほとんど影のような姿しか見えなかった。どのようなお姿であろうかと乙女心に膨らませた想像は良い意味で裏切られ、初めて視線を合わせた雅嗣の瞳の涼しさに、一瞬で魅せられてしまったのだった。
二人は幸せだった。
ただ、目の前にある人を想い、その人との将来を思い、自分たちのゆく先には幸福しかないと信じた。
ごく身近な、まわりの人々───それは、右京と茅野、康清と、雅嗣が密かに打ち明けたらしい次兄の四人しかいなかったけれど───は、雅嗣と結子はとても似合っていると思っていたし、二人が幸せになるためには、多少の無理も厭わない覚悟だった。そして、そのような人たちの中にいる限り、幸せは続くはずだ。
桜が散り、山吹や藤が庭を彩るようになる頃にはもう、二人は将来を誓い合っていた。
「頃合いを見計らって、父上に話をしようと思っています。兄も力添えをしてくれるそうです。そのあと、貴女のお父君にも許しを請うつもりです」
雅嗣がそう言うと、結子の顔は曇った。
「お父さまに……」
「大丈夫。貴女のお父君は位にうるさい方かもしれないけれど、わたしは自分の職に誇りを持っている。いずれ近いうちに、殿上を許されるだけの位を授かる自信もある。きっと、右大弁どのもお分かりくださいます」
雅嗣にそう力強く言われれば、結子も微笑んで頷くしかなかった。父の厄介な性格は、この点において一筋縄ではいかぬと分かっていたはずなのに。それでも結子は雅嗣を信じたかったし、雅嗣だけを信じようとした。
美しい二条堀川邸に咲く花は、移ろいゆく。気づくと、二人を繋いだ梔子の蕾がふくらみ始めていた。




