プロローグ
最近の若者は夢や野望がないと言われるが、俺はそんなモラトリアムな時代の主流に反して少しばかり英雄願望が強かった。具体的に言えば、学校になだれ込んできたテロリストをカッコ良く撃退してヒーローになるとか、俺の右目にはある秘密が隠されていて、それを巡って夜の街で人知れず壮絶な戦いを繰り広げるとか、そういった類の妄想を暇があれば脳内で繰り広げていた。世間一般で言うところの、厨二病という奴だったのかもしれない。
だから俺は「世界を救ってください!!」と頭を下げた姫巫女にこう言ってしまった。
「イエス! もちろん!!」と。
今思えば、俺の人生でぶっちぎりでナンバーワンの黒歴史である。
◇ ◇ ◇
遥か魔大陸の北の果て。
厚い瘴気の層に覆われ、一年を通して日が全く差さないこの常闇の地で、俺は最後にして最強の敵と向かい合っていた。
生きとし生けるもののすべてを憎み、世界を闇に閉ざさんとした魔王バルガス。崩れ落ちた巨大な城の残骸を見下ろすその黒の巨体は、神話の巨神族を思わせるほど大きい。その厳めしい背中は緋色の空を背負っているかのようで、奴からしてみれば俺たちは足の親指ほどの大きさでしかなかった。
しかし、黒鉄のごとき頑強さを誇るであろう外皮はあちこち引き裂かれ、紅に染まっていた。全身から溢れ出す血は足元に小さな池を形作り、あたりを濃密な鉄の香りが漂っている。魔王は無数の牙が生えた口を苦痛にゆがませ、眼には憤怒を浮かべていた。
「おのれ勇者ァ!! 変化した我を此処まで追い詰めるとはな!!」
大気が震えた。
さながら爆音のような雄叫びは俺の鼓膜を大きく揺さぶり、頭をキーンとした痛みが駆け抜ける。すでに肋骨が折れ、酷使した筋肉があちこちで裂けそうになっている俺には、その痛みがとても堪えた。が、ゆっくりと顔を上げると、遥か上空で殺気を迸らせている魔王の眼を睨み返す。
「貴様なんぞ、このまま一気に倒してやらァ!!」
「来るがよい!」
後ろに居る仲間たちを一瞥する。
戦士に僧侶に魔法使いの姫巫女。今までともに戦ってきた三人の仲間たちは皆疲れ果て、文字通りの満身創痍だ。露出している部分で傷のない個所を捜すことの方が難しい。しかし、彼らは俺の視線に深々とうなずくと、いま一度武器を構えてくれる。
「バーニア!!」
僧侶の手から放たれる青白い光。
瞬間、俺たちの身体が重力から解き放たれ力が溢れてきた。
「うおおお!!!!」
足を踏み出し、一気に音の領域にまで加速する俺と戦士。
それからわずかにタイミングを遅れさせて、姫巫女と僧侶が走り出す。魔王の身体を取り囲むように四方へと散った俺たちは、アイコンタクトでタイミングをとると一気に魔王との距離を詰める。魔王も俺たちも双方ともにそろそろ限界。これが最後の攻防になる。
「ガアァ!!」
振るわれる魔王の拳。大地を震わせ、城壁をやすやすと打ち崩すそれはまさに一撃必殺、当たれば命はない。常人ならば眼で追いかけるのがやっとのそれを、俺たちは紙一重で避けて行く。
右、左、右……。サイドステップを踏みながら、残像が残るほどの速さで俺たちは突き進んだ。そうして魔王の足元に達すると、その死神を思わせる骨ばった顔に狙いを定める。
「龍神の逆鱗!!」
まず、姫巫女が魔力を絞り出した。
杖先から魔法陣が広がり、その中心から紅光が伸びる。それは魔王の顎のあたりに到達すると炸裂し、轟音が大気を揺さぶった。灼熱の炎が瞬く間に同心円状に広がり、やがて炎は巨大な球となる。魔王の身体はそれに押しのけられるようにして、大きく仰け反る。つま先が大地を離れ、巨体がにわかに揺れる。
魔王は大きすぎるが故に体勢を立て直すのにやや手間取り、一瞬だが隙ができた。その間に戦士が背中側へと回り込み、首元を狙い澄ます。いかな魔王とはいえ、人型を取っている以上、首は最大の弱点だ。
「豪雷剣!!」
大人一人分ほどの大きさがある、鉄塊のごとき大剣。
それがにわかに稲妻を帯び、青白く輝き始めた。戦士はスパークする剣を大きく後ろに引くと、両足に力を込め空高く舞い上がる。
「グアァ!!」
青白い雷が弧を描く。
魔王の首筋が裂け、紅い雨が降る。
しかし、それは致命傷とはならなかったようで、魔王は後ろを振り向くと口から光線を吐く。赤黒い光は唸りを上げて突き進み、戦士の脇を通り抜けた。やがて地平線の果てに達したそれは大爆発を引き起こし、空を朝焼けのごとく染め上げる。大地が震え、直下型地震さながらの振動が俺たちを襲う。
地平線の向こうにあったはずの山脈が吹き飛び、めくれ上がった大地が無残な姿を晒す。途方もない破壊力だ。
掠めただけだったが、戦士は相当なダメージを負い、右腕の肘のあたりを押さえながら苦痛に顔をゆがめている。しかし彼は遠目で俺の姿を確認すると、ニッと笑みを浮かべた。
――いまだ、やれ!!
そんな声が聞こえたような気がした。
改めて魔王の方を見ると、奴の注意は完全に後ろに向いてしまっていて、こちら側はお留守になっている。俺は聖剣を構えると、技を放つべく魔力を注げるだけ注いだ。聖剣は俺が注いだ魔力をドンドンと蓄えて行き、その白い輝きを強める。
魔王が再度戦士に向かって光を放とうとした刹那。
奴の巨大な肩がわずかに震え、顔がゆっくりとこちらへ向く。しかし、もう遅い!
「聖天魔滅撃!!!!」
聖剣より放たれる破滅的な光の波動。
その光の激流に隙を突かれた魔王はなすすべもなく飲まれていき、黒の巨体が光に溶かされていく。薄闇に染まっていた魔大陸の空にさながら太陽でも打ち上げられたかのようだ。
響き渡る壮絶な断末魔。音というより衝撃波に近いそれが大気をどよめかし、俺たちの脳天を貫く。死神を思わせる殺気と怨念に、身体が腹の底から震えた。しかしそれもすぐに収まって、あたりを静寂が覆っていく。するとその時、俺たちの頭に直接何かが聞こえてきた。
『肉体は滅ぶとも、我が魂は決して滅びぬ。輪廻の輪を巡り、千年後にまた魔王としてあいまみえようぞ。そなたがその時、生きておればの話であるがな……グハッ』
魔王の声が聞こえなくなると同時に、七色の光が弾けた。光は緋色の空を貫いて、何処かへと飛んでいく。やがてその光の通った場所から雲が薄れ始め、まぶしい陽光が燦々と降り注いできた。
「終わった……」
万感の思いを込めてつぶやく俺。
そう、これで俺の長い伝説は終わったのだ。
いや、終わったはずだったのだ……。
◇ ◇ ◇
魔王を倒して一ヶ月後。
俺たち勇者一行は各国での祝宴を終え、疲れを取るべく城のベッドで寝ていた。が、そうして寝ていたはずの俺はいつの間にか深い闇の中に居た。身体は動かず、ひたすらそこでじっとしていることしかできない。感覚はひどくあいまいで、1センチ先に何があるのかどうかすらはっきりしなかった。もしかしたら俺は長い長い夢を見ているのかもしれない。
永劫とも、一瞬とも思える不可思議な時間。
一定でない時の流れが過ぎて行ったある日のこと、俺の耳におぼろげながら声が聞こえてきた。その内容はいまいちわからない。しかし、わずかながら周囲の闇も薄まったような気がする。
『これが初代勇者タカハシ…………何だか干からびてないか?』
『大丈夫よ。伝承が正しければ、お湯で戻るはずだわ』
何やら温かいものが俺の周囲を覆っていった。それと同時にざらざらと重いものが滑るような音がして、また闇が濃さを増す。一体どんな状況なのかよくわからないが、風呂に入っているような心地よさだ。はあ、生き返る……。
『これで三分待てば大丈夫』
『三分か。ふーむ……』
しばらく沈黙があった。カツカツ、と足で調子をとるような音が聞こえてくる。
俺は暖かくて心地よい何かに身をまかせながら、ぼんやりと闇を漂った。暖かいせいか次第に血行が良くなり、ほとんど感覚がなかった身体に力が満ちてくる。
その時だった。
『そろそろいいな』
『ちょっと、まだ二分半じゃない』
『これぐらいでちょうどアルデンテなんだ』
『馬鹿、それカップラーメンの話でしょ! 勇者とカップラーメンを――』
ゴッと鈍い摩擦音がした。うわ、まぶしい!
先ほどとは比べ物にならない量の光が降り注ぎ、俺の意識が急速に浮上していった――。