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2日目 ~すぎゆくひざし~①




 子供の頃、俺は死ぬのが怖くて怖くて仕方がなかった。



 マセガキだった俺は、すでに小学生の時点で、頑なに死後の世界など存在しないものだと信じていた。

 なぜかというと、俺の実家が小さなフラワーショップだったからだ。

 鮮やかでちょっと目に騒がしい花たちを見て育った俺は、同時にみすぼらしく枯れ果て、くずかごに捨てられてしまう花の萌えかすを目の当たりにし続けてきた。



 どんなに生き生きした花も、結局は枯れ落ちる。

 だからこそ、俺はこう思った。



 ――花も、そして俺たち人間も、最後には枯れ果てて終わってしまうのだ、と。



 だからこそ、幼い俺は死ぬのが怖くて怖くて仕方がなかった。一人になると言いようのない不安に襲われるため、常に誰かと共に過ごし、寝るときは両親の布団にモソモソと潜り込んだ。いずれ枯れ果ててしまうことが、俺は怖くて仕方がなかった。



 しかし時がのんべんだらりと過ぎ、『世界』よりも『世間』に目を向けるようになると、枯れ果てる恐怖は自然と無くなっていった。



 いや、無くなると言うより、忘れると言った方がいいだろうか。



 『未来』や『将来』といった名前だけご大層な堅物どもに追いやられ、俺の中に恐怖は、何処かへと押し流されてしまった。



 恐怖を忘れた俺はようやく独り寝が出来るようになり、クラスの男友達にバカにされなくなった。それだけで俺は、自分が一歩大人に近づいたのだと思った。



 今思えば、なんと子供じみた思いこみだったのだろうか。



 とはいえ、死の恐怖を忘れることで、何の面白みもない日常を平々凡々津々浦々と送れるようになったのは事実だった。



 それから俺は、実家の花屋を手伝いながら、ごくごくフツーに成長した。反抗期という反抗期も経験せず、さりとて道端で拾ったエロ本をクラスで回し読みし、結果、片思いの女の子に嫌われてへこむといった程度の思春期を謳歌しつつ、俺は高校を卒業し、そして大学生となった。



 このままきっと何事もなく大人になり、実家のフラワーショップを継ぐか、一山いくらのサラリーマンになるのだろうと、俺はそう思っていた。





 両親が交通事故で死んだのは、そんな時のことだった。





 初夏のある日。

 とある珍しい花の球根を手に入れるため、俺の両親ははるばる他県の園芸家の元を訪れていた。

 なんでも世界で一番キレイだと言われる花の球根で、是非とも店にその花を展示したいと園芸家に頼み込んだらしい。気難しい園芸家も両親の熱意に負けたそうで、貴重な球根を分けてくれた。



 その帰りで、父さんと母さんは死んだ。山道で中央線をはみ出してきたトラックと正面衝突をしたらしい。車も両親もグチャグチャで、唯一まともな形を留めていたのが、拳大の球根だったことをよく覚えている。



 それからというもの、俺の周囲は一転した。遺産と呼ぶには少々手間の掛かりすぎる、さりとてゴミにするには惜しすぎる花娘たちの世話に追われ、俺は大学をオサラバした。幸いにも多くの時間を店の手伝いに費やしてきた俺にとって、花の世話は勝手知ったるなんとやらで、難なくこなすことが出来た。




 ただ一つ、両親の形見になった球根を除いて。




 別に育て方をミステイクしたわけではない。

 自慢ではないが、俺の草花に関する知識はちょっとしたもので、その球根――『イノチノシズク』だ――の育て方も十二分に承知していた。上手く促成栽培に成功すれば、六日で花を咲かせることが出来るはずだ。



 ではなぜ、イノチノシズクは花を咲かせなかったのか?

 簡単だ。俺が植えなかったのだ。



 なぜかは分からない。しかし俺は、どうしてもその球根を育てる気になれなかった。あるいは世界で一番キレイだと謳われた花が枯れ果てるのを見たくなかったのかもしれないが、よくは分からない。






 神様からのお知らせが来たのは、そんなときだった。






 正直、俺は迷った。

 七日で終わる世界に移住するか、一年で終わるこの世界に残るか。


 どちらもノーサンキューしたい世界であるには違いないのだが、しかし神様に言われた以上、俺たち人間はそれを受け入れるしかない。


 大抵の人は一年の世界を選ぶ中、俺は球根を手に悩んだ。


 悩んで悩んで悩んで……





 気がついた時には、俺は古くさいボンネットバスに揺られていた。


 バスが向かう先は――那乃夏島。


 一人の女の子と出会うことになった、優しい終末の世界だった。








     ◆ ◇ ◆








 目を覚まして最初に目にしたものというのは、案外、記憶に残らないものだ。


 例えば『今日、朝起きたとき始めに見たものは何ですか?』と街頭アンケートのお姉さんに質問されて、即答できる人は少ないと思う。


 もちろん最初に見たものが天井だったり、布団に付いたシミだったり、枕元に転がっていたティッシュのくずだったりと、そういう脳神経の編み目に全く引っかからないようなものの場合もあるだろう。というか、大半の場合がそうだと思う。


 しかし中には、起き抜けに見たものが人生でもっとも記憶に残るものだったりする場合がある。例えば、昨日遭遇したしゃべる巨大な三毛猫とか。



 そして今朝の光景も、俺の生涯に残るものだった。




「おはようございます、店長! 起きてください! もうすっかりバッチリ朝ですよ!」




 軽く肩を揺すられ、俺は目を覚ました。


 自慢ではないが、俺は寝起きが良い。花屋の仕事というのは朝が基本だからだ。特に温室や花壇の世話は、お店を開ける前に済まさねばならない。

 その為、俺は朝から動き回れるよう、人より早く寝る癖を付けていた。起き抜けに寝ぼけるなんてことはめったにない。


 だからこそ、目から飛び込んできた映像が大脳に、ビビビッ! と到着するまで一秒もかからなかった。身構える間もないとはこのことだ。



「おはようございます、店長!」

「……」



 思わず口を、餌をねだる鯉のようにパクパクと開け閉めする。

 満面の笑みを浮かべた少女が、俺をのぞき込んでいた。大きな黒い瞳に、呆然とした俺の顔が映っている。


 あ、寝癖が……。



「ぐっど良い朝」



 やる気なく片手をあげ、挨拶。


「もう、なんですか、その挨拶は。朝はおはようですよ」

「……」


 理解されなかったらしい。


「おはよう」

「おはようございます、店長。ほら、見てください!」


 バッと少女がカーテンを開ける。



 青い。

 どこまでも青い。

 忌々しいほどに青い。



 窓枠に切り取られた空は、見事なまでに真っ青だった。こっちまで真っ青に染められてしまいそうなくらいだ。


「暑ぃ」

「夏ですから」

「夏か……」

「常夏です。その、なんていうか、ハッスルしちゃうのも当然ですよね」

「ときにお嬢さん」

「衣留でいいですよ、店長」

「じゃあ衣留」

「はい」

「朝の健全な生理現象をチラチラと眺めるのは止めてくれ」


「……」


 ポッ、と頬を赤らめ、衣留はそっぽを向いた。それでもタオルケットを盛り上げる『よくぼう』が気になるのか、チラリ、チラリと横目で見てくる。


「店長、そんなこと言うのはセクハラです。訴えちゃいますよ」

「……俺の台詞だ」


 パジャマがわりのTシャツが、汗でじっとりと肌にまとわりつく。


 暑い。

 どこまでも暑い。

 泣きたいほどに暑い。



 那乃夏島での二日目は、記憶に残る朝だった。








     ◆ ◇ ◆









 先ほど少し述べたが、花屋の朝は忙しいと相場が決まっていた。それは俺の自宅兼店舗である『ルンランリンレン』でも同様で、朝食の前に温室と花壇の世話をするのが日課だった。


「ふあぁ! これが温室ですか!」


 店の裏手。日当たりの良い庭の中央に、デンッ! と鎮座するビニールハウスを見て、衣留はランランと目を輝かせた。


 ちなみにビニールハウスと言ったが、実際の大きさは『ハウス』というより『ルーム』といった程度だった。大きめのテントを想像してもらえればいいだろうか。骨組みの間にアクリル板が張ってあるタイプで、車一台がようやく入れるくらいのサイズのこぢんまりとしたヤツだ。


 もっとも衣留には、それでも真新しいものに見えたらしい。


「温室見るの初めてなのか?」

「はい! これが温室なんですね! つまり英語言うとホットルーム!」

「いや、温室の英語なんて知らないが、それはたぶん違うと思うぞ」


 俺はこめかみをポリポリ。


「入るか、衣留?」

「もちです!」


 期待に胸を弾けさせる衣留を横目に、俺は温室の入り口のドアノブに手を伸ばした。念のために付けてあるダイアル錠の数字を合わせる。衣留が不審なくらい真剣な表情でダイアル錠の暗証番号を覚えようとしていたが、その辺りはスルー。


 ビニールハウスのドアを開けると、湿気をたっぷりと含んだ空気が、俺の肌をモイスチャーにしようと押し寄せてきた。

 もちろん肌に艶が出ることはなく、ただ単に不快になるだけだが。


 温室に足を踏み入れる。ムッとする熱気の立ちこめる温室の中では、色とりどりの南国花が咲き乱れていた。正面に陣取ったハイビスカスが、主役面でこちらを見つめてきている。


 さも「わたしって綺麗?」と言わんばかりに。


「ふわぁ、綺麗ですねぇ」

「あんまり褒めると付け上がるから、ほどほどにしといてくれよ」

「はい?」

「いや、こっちの話」


 壁に掛けてあった如雨露(じょうろ)を手に取ると、一旦温室の外に出て、ホース付きの水道で水をくむ。

 再び温室に戻った俺は、水のたっぷり入った如雨露を衣留に手渡した。



「葉にはかけないようにな」

「確か日が強いときに葉っぱに水が付いていると、あとが残っちゃうんですよね?」

「よく知ってたな」

「言ったじゃないですか、私を雇わないと後悔しますよって。これでも有能なんですから、私」


 もっとほめて、と衣留は胸を張る。

 とはいえ、あんまり褒めるとハイビスカスみたいにつけあがりそうだからな。


 放置するか。



「さて、俺は花壇の水やりでもするか」


 褒めてもらえず不満げな顔をする衣留をよそに、俺は温室の扉を開けながら、


「とにかく水をやったら、枯れてる葉を取り除いてくれ。出来るだろ、有能なんだから?」

「あ、はい、もちです。実は私、思わずお花が声だしちゃうくらいテクニシャンなんです!」

「期待してる。分からなかったら聞いてくれ」


 俺はビニールハウスから出ると、花壇の方に歩み寄った。


 水量を絞ったホースで水をやる。かすみ草やダイアンサスといった花々が、足下を濡らすシャワーを気持ちよさそうに浴びていた。


 しかしなんつーか、何時になく元気いいな、こいつら。



「あのう、店長。終わっちゃったんですけど」

「は? もう?」


 振り返る。温室から顔を出した衣留が手を振っていた。


「まだ十分もたってないのにか?」

「水やりだけで終わりましたから。ぜんぜん枯れてなんかないじゃないですか」

「まったくか?」

「一本も」

「全然?」

「テクニックを披露する余地もないくらいに」



 手招きする衣留に従って再び温室内に入った俺は、グルグルと花たちを見て回った。


 お立ち台に並ぶのは、確かに生気あふれるギャルたちばかりだった。枯れ葉どころか、人生の酸いも甘いも知り尽くした熟女なオネーサンすら見あたらない。どれもこれも、盛りのついた元気のいい娘ばかりである。


「こんなに生き生きしているお花、はじめて見たかもです」


 つんつんと興味深げに花をつつく衣留を横目に、俺はなぜが不可解な感情をもてあましていた。残念ながらうまく言葉にすることは出来ないが、なんというかこう、夏バテになりかけた時のような、そんな怠さを感じていた。


「店長、次はどうします?」

「……」

「店長?」


 如雨露を片付けた衣留が聞いてくる。

 俺は花たちからわずかに目をそらしながら、


「朝飯にするか……ちなみに衣留、お前料理は?」

「え、えっとその……」

「その?」

「お、おまかせあれ、です!」


「こってりめで頼む」





 夏バテ予防だ。






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[気になる点] >もっとも衣留には、それでも真新しいものに見えたらしい。  ◇ ◇ ◇  『目新しい』では?
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