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5日目 ~かさなるみずおと~②








 じっと涙を堪えていた空が、ついにぽつぽつと泣き始める。



 号泣に変わる前に自宅に戻ることに成功した俺は、さっそく家中から電気スタンドをかき集めてきた。


 衣留に手伝って貰いながら合計四台のスタンドをレジカウンターに並べ立てると、ホームセンターで買ってきた蛍光灯ランプをセットする。



 スイッチ、ON。



 白々しいスポットライトが、イノチノシズクを眩いばかりに照らし出す。お前こそが今日の舞台の主役だ、と言わんばかりに。


 もっとも光を一身に浴びているはずのプリマドンナは、いつまで待っても踊り出してはくれなかった。



「お日様じゃないでちゅけど、これで我慢しまちょうねぇ~」



 スタンドの光を鉢植えに浴びせかけながら、衣留は赤ちゃん言葉でそう言った。赤ん坊にするかのように、鉢植えの縁をツンツンと指でつつく。



「ふふ、元気元気ですね」



 そう言う衣留の顔には、慈母のような優しげな微笑が浮かんでいた。


 今更ながら、衣留の花に対する愛情はそうとうなものだと俺は思った。彼女が草花に向ける目は、どこまでも優しい。


 それはきっと花屋である俺よりもずっとずうっと優しいもので、だからこそ俺は、その優しさがあまりに眩しすぎて衣留の顔を直視することが出来なかった。



「お前、本当に花が好きなんだな」

「もちです」


 眩しい笑み。


「そっか……」



 衣留から目を逸らしながら、俺は所在なげに視線をさまよわせる。

 そこでふと衣留が思い出したかのように、


「そういえば店長? 聞こう聞こうと思いながらスルーして来ちゃったんですけど……」


 あっけらかんとした衣留の声。しかし俺は、その声の奧に今の大気のようなじっとりとした気配があるように感じた。



「店長がずっと気にしてるこの花、結局、なんなんですか?」

「…………」



 一瞬、言葉に詰まる。

 二回ほど瞬きした後、俺はなるべくカラッとした声になるように気をつけながら、



「そんなに気にしてたか、俺?」

「はい、世界が嫉妬するくらいでしたよ」

「そ、そうか?」

「そうです。だいたい店長、日に何度もこの鉢植えをチェックしてたじゃないですか。それで気にしてないって思う方が無理ですよ」

「まあ、それもそうだな」


 乾いた声で俺は笑った。


「それで店長、この花、なんなんですか?」


 首をかしげながら再び尋ねる衣留。

 俺はわずかに言いあぐねた後、浮気が見つかった亭主のように覚悟を決め、言った。



「イノチノシズクだ」


「イノチノシズク?」



 衣留は別の方向に首をかしげた。わざとらしく腕を組み、眉をひそめる。



「むむ、おかしいですね。有能な私のデータファイルにインプットされていない花があるだなんて」

「俺もよく知らないんだが、なんでも図鑑にも載ってないレアな花らしいぞ。ぶっちゃけ、俺も見たことがない」

「え? 店長もないんですか?」

「ああ、死んだ父さんたちの話だと、『世界で一番綺麗な花』らしいんだが」

「世界で一番綺麗な花……」



 そこで、衣留がわずかに顔をうつむけた。

 まるで噴火直前の富士山のように沈黙する。



 カウントダウン開始…………5、4、3、2、1……




 ゼロ。噴火。





「ほわっっっちゃぁぁ、ねぇぇむっ!」




 衣留、絶叫。


 くわっと目を見開き、腹の奧からシャウトする。


 ちなみに注意深くリスニングすると、シャウトの内容は『あなたの(What’s)名前は(your)何ですか(name)?』だった。




 誰に名前を聞いてるんだ、お前は?




「店長店長店長! 世界で一番って本当ですかいつ咲くんですか早く答えてくださいこの甲斐性無しっていうか咲かせてみようホトトギス!」

「落ち着け。あとさりげに甲斐性無しとか言うな」

「大事の前の小事です!」


 俺の言葉などお構いなしに衣留はオーバーヒート。

 電気スタンドをビシビシ指さしながら、


「あれですね、光があればいいんですね! 分かりました、まかせてください! ルンランリンレン三代目店長であるこの私が、太陽の代わりに懐中電灯でサンサンと照らし出してやります!」

「お前は俺の店を乗っ取るつもりか?」



 思わず脱力する。つっこみ疲れだった。

 まったく……



「オーケー、好きに頑張ってくれ。応援してるから」

「おまかせあれ、です!」



 家中の懐中電灯をかき集めるため、家の奧に走ってゆく衣留。



「お前ならきっと、俺より良い花屋になれるな」



 衣留の背中に向けられた呟きは、割と本音だった。









     ◆ ◇ ◆











 俺の店舗兼自宅は、商店街に面しているショップ部分を除けば、ごくごくフツーの一軒家だった。一人だと広く、二人でもまだ少し広く、三人だとちょうど良いくらいの大きさだ。一階に店舗とキッチンとリビングがあり、二階に俺や両親の部屋――ちなみに両親の部屋は現在、衣留が使っている――がある。裏庭に面したリビングからは温室や庭の花壇などがよく見え、一年中お花見を楽しむことが出来た。


 もっとも今は、夜の帳と降りしきる雨のせいで全てが霞んでしまっていたが。



 夕食後のひととき。

 死んだ母さんが買いだめしていたハーブティーを入れながら、俺はリビングを眺めていた。


 厳密にはリビングではなく、リビングの中央にあるテーブルの上だ。



 そこには店舗から強制的に引っ越しさせられたイノチノシズクの鉢植えと、省エネ電球の付けられた電気スタンドがあった。さらにそのすぐ脇には、飽きずに懐中電灯でイノチノシズクを照らし続ける衣留の姿がある。


 ちなみに衣留は、昼ご飯を食べた後からずっとあの調子だった。

 よく飽きないというか、何というか……




「まあ、それだけ楽しみにしてるって事か」




 世界で一番綺麗だという花――イノチノシズク。



 もちろん、そう言う俺だって楽しみにしているのは間違いない。

 しかし俺の心に落ちた黒いシミは、いっこうに薄まる気配がなかった。



「気にしても仕方がないか」



 俺は蒸らし終えたハーブティーを、ちぐはぐな二つのカップに注ぎ入れた。片方が花柄のティーカップなのに対し、もう片方は厚手のマグカップだ。四日前までは花柄のティーカップが二つあったのだが、二日目に衣留が洗い物をした際に、ティーカップ殿は見事に玉砕なさった。



 ちなみに余談だが、それ以降、衣留にはキッチンへの出入り禁止令を出してある。解除することはこの先もないだろう。



 お茶を出し切った俺は、ポットを流しに持ってゆき、三角コーナーの上でひっくり返した。ばふこん、と茶色いお茶の出がらしがまとまって落っこちる。





 まるで儚く散る落ち葉のように。





 おもわず俺の動きがぴたりと止まる。

 それはきっと必然だった。


 三角コーナーの網に引っかかった枯れ葉たちを見た瞬間、俺の胸にチクリとした痛みが走った。足下から何かがゾンビのように這い上がってくる。



 そのゾンビの名前が『恐怖』だと分かるまで、お茶の蒸らし時間すらかからなかった。



 俺の妄想スクリーンに、あるワンシーンが映し出される。



 銀幕の中にいたのは、悲しい顔をした衣留と俺だった。さらに俺たちの目の前には、萌え尽き、しおれたイノチノシズクがあった。



 俺は不意に悟る。





 ――例え世界で一番キレイと言われる花でも、枯れ果てた姿はみすぼらしく、悲しい。





 そのことを悟った次の瞬間には、俺の足は自然とリビングに向かっていた。



「あ、店長!」



 俺に気付いた衣留が、頬を上気させながら振り返った。



「見てください、これ! ほら、つぼみです! つぼみ!」



 懐中電灯をぶんぶんと振り回しながら、衣留は俺に鉢植えを見るように言った。

 俺は無言で鉢植えをのぞき込む。


 いつのまにか、ニョキニョキのびていた茎の先端に、花のつぼみらしきふくらみが出来ていた。



「さすがは私ですよね!」



 衣留は「えっへん、どうだ!」と胸を張りながら、



「これはもう初志貫徹突貫工事! 私、徹夜で光を当てまくりますから! そうすればきっと、明日には花が…………」


 そこで衣留は言葉を切った。


「…………店長?」



 興奮から一転、怪訝そうに俺を見る。

 俺の手が、電灯のスイッチをOFFにしていたからだ。



「あれ、なんで消しちゃうんですか、店長? もうすぐ咲きそうなのに」



 そんなことは俺も分かっている。

 俺が気にしてること、それは……



「店長?」


「……なあ、衣留」



 俺の口からあふれ出した言葉は、まるで去ってゆく親にすがりつく子供のような声だった。


「お前、このイノチノシズクがどれだけの時間、花を付けてられるか知ってるか?」

「いえ……」


 衣留は首を横に振った。


「知らないですけど……」

「一日なんだよ」



 そう、イノチノシズクはたったの一日しか咲いていることが出来ない。

 しかも花を付けた翌日には萌え尽き、みすぼらしく枯れてしまう。



「この花はな、咲いて一日で枯れるんだよ……もし明日咲いたとしたら、明後日には枯れちまうんだ……」

「店長……」

「なあ、衣留は見たいのか? 世界で一番綺麗っていう花が、みすぼらしく枯れるのを。それも世界が終わる最後の日に……」

「…………」

「俺は……見たくない……」




 俺は衣留の手から静かに懐中電灯を取り上げると、そのスイッチもOFFにした。

 今まで周りを明るく照らしていた人工太陽が消え、リビングがわずかに薄暗くなる。




 いや、光が消えたのは懐中電灯ばかりではない。




 一分か、十分か。


 突如、衣留が無言で立ち上がった。

 踵を返すと、無言のままスタスタとドアの方に歩いてゆく。



 ドアの前まで来たところで、衣留はぴたりと動きを止めた。


「……もう、寝ます」


 その声があまりにも平坦で、俺は最初、衣留が感情を押し殺さねばならないほどに激怒しているのだと思った。


 しかし五秒後、そうではないことを俺は知ることになった。




「店長……」




 衣留が肩越しに振り返る。

 その顔を見て、俺は思わず息をのんだ。



 衣留の顔には、何もなかった。



 笑みも、怒りも、悲しみも、寂しさも……本当になにも無かった。ついさっきまで太陽のように輝いていたはずの瞳も、今はガランドウだった。



「そうですよね……」



 ゾッとするような抑揚のない声で、衣留は呟いた。



「誰も……枯れた花なんて見たくありませんよね……」

「い、衣留……?」

「忘れちゃってましたよ……私……」



 くすり、と衣留は笑った。

 とても笑顔とは呼べない笑みだった。




「……おやすみなさい、店長」





 ばたん、とドアの閉まる音と共に、衣留の姿が見えなくなる。


 ざあざあという雨音が、さきほどよりも強くなったように俺は感じた。











 ――優しい世界が終わるまで、あと2日。



 

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