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4日目 ~まいちるはなびら~②





 作業開始から、おおよそ2時間後。



 青空をクライミングしていた太陽が頂上に登頂成功しようかというところで、俺たちは一旦作業を中断した。

 理由は簡単で、早い話、お腹と背中がくっつきそうになったからだ。



「昼飯にするか?」

「そうですね」


 道具をトラクターの脇にまとめ、泥まみれになった手や顔を泉で洗う。



 ちなみにミズミカミさまが管理人を務めているという『星水見(ほしみずみ)鏡泉(かがみずみ)』――確かに噛みそうな名前だ――は普通の泉とは違い、どれだけ使っても水が減ることはなく、例えどれだけ汚しても水が濁ることはないらしい。そういうわけで、俺たちは心おきなく汚れを落とさせてもらった。


 祠の横の影になっているところにレジャーシートを敷き、買ってきたお弁当を広げる。

 ミズミカミさまも誘ってランチタイムスタート。




「ほら! 色々買ってきたんですよ!」


 ビニール袋の中から、衣留がラインナップを取り出してゆく。幕の内弁当から各種おにぎり、菓子パンに至るまで、なかなかの品揃えだった。ちなみにコーディネートしたのは衣留で、俺は観客兼サイフだった。



「そっちの箱は……何?」



 梅干しおにぎりをちんまりちんまりと食べていたミズミカミさまが、ふと衣留の背後を指さした。


 そこにドデンとあぐらを掻いていたのは、俺の家から持ってきたクーラーボックスだった。



「さすがミズミカミさま、お目が高いですねー」



 衣留は「どうぞお納め下さい、お代官様」と意味不明の一人芝居をしながら、ミズミカミさまの前にクーラーボックスを押し出した。蓋を開けると、ひんやりとした冷気がビニールシートの上に飛び降り、四方八方にダッシュしてゆく。


 クーラーボックスの中をのぞき込んだミズミカミさまは、きっかり五秒後、こてんと首をかしげた。



「……氷?」


「これぞ夏の定番! チューチューアイスです!」



 色とりどりの着色料で染められた棒状のアイスが、満員電車で奮闘するサラリーマンのように詰め込まれていた。昨日の帰り、スーパーに寄って買ってきたものを、俺の家の冷蔵庫で凍らせたものだ。



「一つのチューチューアイスを二つに割けあって食べる! これがなくして甘く熱い夏は語れないです!」



 チューチューアイスをマイク代わりに、熱の籠もった演説をする衣留。

 一通りチューチューアイスの魅力と必要性と経済に与える影響を語った後、「とりゃ!」と衣留はアイスを二つに折った。



 片方を自分の口に放り込むと、もう一つをミズミカミさまの口に押し込んだ。



「む、むぐぅ!」



 むりやりチューチューアイスを口に突っ込まれ、目を白黒させるミズミカミさま。

 しかし衣留は構わず、


「どうでふか、ミズミカミひゃま?」


 しばらく戸惑っていたミズミカミさまだが、すぐにチューチューアイスの魅力に気付いたのか、まるで哺乳瓶に吸い付く赤ん坊のようにチューチューし始めた。



「あむ! んぅ! ちゅっ!」



 すごい吸い付きようだった。


「そんなに美味いか?」

「ふぅふぅ!」


 ぶんぶんと首を縦に振るミズミカミさま。その動きに会わせて、口にくわえっぱなしになっているチューチューアイスがピコリンピコリンと揺れ動く。

 どうやら口から離すのも嫌なくらい気に入ったらしかった。


「そんなにハマってもらえると、私も嬉しい限りですね」


 こちらもモゴモゴとアイスを舐める衣留。


 俺としてはチープな味という印象しかないチューチューアイスだが、しかし二人の姿を見ているとなんだかとてもおいしそうに思えてくる。


 と言うわけで俺も、クーラーボックスからレモン色のものを取り出した。

 ポキッとへし折ったところで、ふと重大な事に気付く。



 これ、誰と分ければ良いんだ?




「…………わたしと……はんぶんこ」



 クイクイとTシャツの裾を引っ張られ、俺は横を向く。

 餓えたハムスターの目をしたミズミカミさまが、俺の右手に握られたアイスをじぃ~と見つめていた。



「どうぞお代官様、お納め下さい」



 まあ、これくらい安い賄賂ならいくら贈っても懐は痛まないしな。










     ◆ ◇ ◆









 昼食後。


 満腹になったお腹をさすりながら、俺は泉のほうを眺めていた。泉の縁では、ズボンの裾をまくり上げた衣留が、水面を蹴り上げながら遊んでいた。



「うわあ、本当に鏡みたいに綺麗な水ですね!」



 衣留がパシャパシャと水を跳ね上げる。飛び散った水滴が俺の頬にぶつかり、さらに小さな水滴にわかれていった。



「ここで水浴びしたら、きっと気持ちいいですよね、店長」

「まあ、そうだろうな」



 俺は泉の縁まで歩いてゆくと、鏡のような水面をのぞき込んだ。泉の水はとにかく綺麗で、そして清流のように冷たい。泳ぎたくなる気持ちも分からないではない。



「……する……水浴び?」



 クーラーボックスの上にちょこんと腰掛け、本日四本目となるチューチューアイスを幸せそうにチューチューしていた女神さまが、ふとそんなことを曰った。



「……水浴び……してもいいけど?」

「いいのか? だってルゥちゃんがそのうち来るんだろう?」

「今日くらいは我慢するから……別に良いって……」



 我慢?



「もしかして、ルゥちゃんに気を遣わせちゃったか?」

「大丈夫……」


 チューチューアイスを咥えたまま、ミズミカミさまは空を見上げた。


「ルゥちゃんは……全ての誰かさんの上を飛ぶのが仕事だから……水浴びばかりしてる訳じゃないし……」

「全ての誰かさん?」


 なんだ、それ?


「ルゥちゃんは……お空といっしょ……」

「空といっしょ?」

「うん、そう。いつもみんな全員の上に広がっていて、でも誰か一人のためだけにも広がってる……それが空で、そしてルゥちゃん……」


 ミズミカミさまにつられ、俺も空を見上げた。

 青い空が、宇宙まで続いているかのように高くのびていた。


「ルゥちゃんは……いままでずっとお空色だった……」


 ミズミカミさまは続ける。


「那乃夏島にきてピンク色になったけど、やっぱりルゥちゃんはお空といっしょだった。恥ずかしがり屋で時々雲の向こうに隠れちゃうところも、ちょっとしたことで照れて真っ赤になっちゃうところも、それに全ての誰かさんが大好きなところも……ルゥちゃんはいつだって、この空とおんなじで心が広いから……」


 口からちゅぽん! とチューチューアイスを引き抜き、ミズミカミさまはふんわりと笑った。




「だから、大丈夫」


「そっか……」




 ミズミカミさまの言葉が全部分かったわけではないが、しかし俺はそれでも良いと思った。


 ルゥちゃんの素敵っぷりは何となく分かったのだ。それで十分だろう。




「ならお言葉にあまえるか」




 さて、問題は水着だな。










     ◆ ◇ ◆









 心のシーソーが一気に水浴びに傾いた俺だったが、しかしすぐに泉に飛び込めるかと言えば、そんなわけはなかった。


「水浴びするのはいいが……水着ないんだよな」


 問題はそこだった。

 男である俺はともかく、さすがに衣留はそのままじゃアレだろう。


 いや、まあ、俺としてはそのままでもオーケーというか、むしろ生まれたままの姿でも一向に構わないが。



「店長、なに顔を赤くしてるんですか?」

「いや、なんでも」



 顔を上げる。ニッコリと笑みを浮かべた、しかし微妙に生温かい目をした衣留が、俺をのぞき込んでいた。


「気にするな」

「ふうん、そうですか?」


 衣留はフフフと笑うと、いきなり自分の服に手をかけた。一瞬躊躇った後、バッ! バッ! と着ているものを勢いよく脱ぎ捨てる。

 徐々に露わになる肌色に、俺は思わずゴクリと喉を鳴らす。


 最終的に衣留は生まれたままの姿に…………なることはなく、花柄のセパレート水着姿になった。




「その、期待しちゃいました?」




 イタズラが成功した子供のように衣留は笑った。

 俺はこめかみをポリポリ。


「用意いいな、お前」


 まったくだった。


「こんなこともあろうかと! って感じですね」


 どうやら衣留は始めからここで泳ぐ気だったらしい。グラビアアイドルのように悩ましげなポーズを取りながら、


「どうですか、店長? 似合います?」


「……」



 俺はあらためて目の前でポーズを取る少女を眺めた。

 花柄の水着を纏った衣留は、誰がなんと言おうと可愛くて綺麗だった。



 いや、別に普段の衣留が可愛くないといっている訳ではない。

 しかし健康的な肌を惜しげもなく露わにした衣留からは、輝きというか、命が咲き乱れているというか……上手く言葉に出来ないが、キラキラとした何かがにじみ出ているように俺は感じた。



「…………綺麗だな」



 思わずストレートな感想がこぼれ落ちる。

 これに意表をつかれたのは衣留だった。



「え、あ……」



 ぽひゅん! と音を立てて衣留の顔が熟れた林檎色に染まった。

 どうやら俺がここまで大まじめなコメントをするとは予想してなかったのだろう。

 モデルのような堂々とした態度から一転。衣留は恥ずかしそうに自分の肩を抱くと、



「て、店長……その……」

「…………」

「あ、ありがとう……ございます……」

「……ど、どういたしまして」



 なんだ、この気恥ずかしい空気は。



「……」

「…………」



 しばしの間、ミズミカミさまのチューチュー音だけが響く。

 長々と続きそうだった沈黙を破ったのは、やはりというか衣留だった。


「あの……店長……」


 上目遣いでこちらを見つめながら、衣留は意を決したように、



「……わ、私を見て……どう思いますか?」



 おずおずと身体を隠していた両腕をどけると、衣留はそのまま腰の後ろで手を組み合わせた。

 私の全てを見て、とばかりに無防備な水着姿を俺にさらけ出す。



「綺麗ですか……私……?」

「いや、その……」


 俺は自分の顔が真っ赤になっているのを自覚しつつ、


「き、綺麗……だぞ……」

「ど、どれくらい、ですか……?」

「どれくらいって……それは……その……」


 入れ歯をなくしたジイサンのように口をモゴつかせる。

 気の利いたお世辞文句でも言えれば良いのだが、所詮は俺だった。キザなセリフが思いつくはずもなければ、似合うはずもない。


 結局、俺が発したのは花屋の新米店長らしい言葉だった。



「店の前に……花たちと一緒に飾りたいくらい……かな?」

「花……ですか……」

「あ、ああ……」



 俺は頷く。


 そこで俺は、自分が言った台詞が微妙に変態チックなニュアンスを含んでいることに気付き、あたふたとした。

 飾りたいだなんて、少々危険な趣味だと思われないか、俺?



「いや、衣留! べ、別に飾りたいというのは変な意味じゃなくてだな! 純粋に綺麗な花を……」



 愛でたい気持ちと一緒だから。


 そう言おうとして、しかし俺の口は『を』の形で石のように固まってしまった。



 一瞬、わずか瞬き一つ分の間だったが、衣留の顔から全ての感情が抜けてしまったかのように見えた。




「……衣留?」




 思わず俺は自分の目を擦った。衣留があんなガランドウの目をするはずがないと自分に言い聞かせ、再び彼女に目を向ける。


 そこに居たのは、いつも通りの衣留だった。




「あれ? どうしました、店長?」




 いつの間にか衣留の顔には、イタズラっぽい表情が戻っていた。


「あ、さては私の内なるフラッシュに目をやられましたね?」

「さて、今日こそは昼寝するか」

「あ! ちょっと店長、無視しないでくださいよ!」


 くるりと背を向けた俺に、衣留は背後から飛び付いた。俺の首に腕を絡めると、しめしめといった様子で「にゅふふふふ」と笑う。


 なんか嫌な予感が……




「人を無視する店長は……こうです!」

「うおぉっ!」



 俺は一瞬、自分の身に何が起こったのか分からなかった。


 目に映っていた景色がグルリと縦に回ったかと思うと、全身を冷たい水の感触が襲う。


 衣留によって後ろに引き倒され、背中から泉にダイブしたのだと気付いたのは、空がやばいくらいに青いと思った後だった。




「……やったな、衣留」

「はい、やっちゃいました」




 こちらをのぞき込み、満開の花のような笑みを浮かべる衣留。

 青空を背負った彼女は、やはり店頭ディスプレイに飾りたいくらいに可愛くて綺麗だった。



「……オーケー、水浴びするか」

「え? あ、きゃあ!」


 お返しとばかりに俺は衣留の腕をつかむと、自分と同じ目にあわせるべく引き倒した。

 盛大な水しぶきが上がる。




 身体に降りかかる水の感触の合間に、バラの刺に触れてしまったかのようなチクリとした痛みを感じたが、その痛みの元になった刺がどこにあったのかまでは分からなかった。








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