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リスの居る

作者: とうにょうととうきょうときょうと
掲載日:2026/06/15

どうしてその街を気に入ったのかと田崎くんに聞かれたから、私は咄嗟に空を見上げた。


ローカルの飛行場から舞い上がったヘリコプターが丁度真上を通過していく。


風が連なる山から吹き下ろされて、私の髪をすくった。


「コーヒーが美味しいからですかね」


私の回答を予期していたのだろうか、田崎くんはにっこりと笑ってマッシュルームがふんだんに盛りつけられたパンをかじった。


昨晩二人で炊いたご飯は、宿の冷凍庫で眠っている。

やはり、現地に着いたならば、その土地々々のものを食べないのは勿体ないじゃないかと、どちらからともなく思いついたカフェやレストランを地図上にピンを打って、ナビを起動したのだった。


仕事の休みがたまたま合致したことに気付いたのは、連休にあわせて有給休暇を連結させたという話を、妹の沙智子にしているときで、ああそれなら田崎さんも同じやね、と言われてから連絡を取るまでの速さは、残業規制間近に退勤のタイムカードを押すよりも遥かに短かった。


田崎くんは大学生の頃に、ほっぺたが落ちるような焼き鳥をふるまう居酒屋が川の側で営まれていて、親しい友人に旅行をドタキャンされて予定がから回った寂しさに背中を押されて軒をくぐったら、串打ちをしながらこちらに目配せをしていたのが初めての邂逅である。


「戸、閉めてくれませんか?」


私は、あっ、と声を上げながら慌てて引き戸を両手で閉めた。

虫が入ってくるんです。田崎くんはカウンターにお通しのモロキューを置いて裏手へと消えた。


その日はサラリーマンの姿も多くはなかったから、いつもは素通りしてしまうのに、お腹もすいていたから、良質なたんぱく質でも摂ろうかと思ったわけだ。


「まあ、若い人が来るのは比較的珍しいですからね」


ねぎまを片手に塩を振りつつ、頭に手拭いをして、炭の香りを身にまとった青年にはどこか見覚えがあった。


「迷惑系ユーチューバーに似てますね」


私はスマホに映った丸刈りの痩せた男をアップにして見せた。

すると田崎くんは目を丸くしてから、ニヤニヤしている。


「それ、ボクのいとこっす」


「え」


それからはとくに約束もせずに店を訪れては、シフト終わりの田崎くんをつかまえて飲み直しに繰り出した。


お金がないときには、コンビニで買った缶ビールを携えて、土手に寝転び星を眺めているだけでも癒された。


聞けば田崎くんは、大学を中退してから、暫く海外を点々としていたが、カジノから帰る途中で暴漢に襲われて身ぐるみ剥がされたことから、一旦帰国してメンタルを立て直そうと試みている最中だったらしい。


私は海外で仕事をするのが夢だったから、例え不運でも刺激的な経験をした田崎くんを羨ましく、困難を乗り越えている姿に感銘を受けたりしていた。


その他にも、初めての彼女がアメリカのクラブで出会った中国人だったとか、車の向きを気にせず路駐して切符切られたとか、ビールの泡で口ひげをたくわえながら話しているのを私はきっとうっとりして聞き入っていたのだと思う。


焼き鳥屋のコンロが爆発して、大火傷を負ったあと、田崎くんは沙智子の勤める病院に担ぎ込まれた。


私は仕事を午前で切り上げて、タクシーをつかまえて息もきれぎれ病室に突進していったが、当の本人はケラケラ笑ってティックトックを見ていた。


「お、えっちゃん。果物買ってきてくれた?」


内股になってその場にへたり込むと、お姉ちゃん邪魔やで、とスクラブに身を包んだ沙智子がドアの隙間からすり抜けてくる。


「この人が田崎さん?」


「そうです、ボクがその人です」


かさぶたのこびりついた包帯を剥がされて顔をしかめる田崎くんとは対照的に、沙智子は地面のダンゴムシに向けるのと変わらぬ視線で黙々と作業を続けていた。


意外と田崎くんの寿命が長くないと知ったのは、入院したついでに精密検査をしたときに、医師が難しい病名を診断したからではなくて、いや、それもあるけど、3階の廊下から、カラスに襲われている猫を助けようとして飛び降りたと聞いてから、田崎くんという人間と、線香花火の大きな明るい玉のイメージが、私の脳内でピッタリと重なったからだった。


田崎くんが退院してから、仕事にも復帰し始めたタイミングで航空券を予約して、保険は利用付帯があるからとか、スーツケースは捨てたとか、なんか色々言われたけれども二人で休みが合ったから、今ここに来て異国の風に吹かれている。


「コーヒー飲み過ぎて腹たぷたぷや」


胃のあたりをさすっては、ひと口、またひと口とコーヒーを啜っている。田崎くんは宿にあるシャンプーの臭いが嫌いだから、帰りに買っていきたいと呟いている。


マッシュルームパンの残りを私が平らげると、レンタルした自転車の鍵を外して、二人でゆっくりと漕ぎ出す。


顔も目も肌の色もまるで似ていない人々が、映画のセットのようだと田崎くんは言う。


そう言われてみると、誰一人として私たちを気にもとめていない様子から、田崎くんの言葉が真実味を帯びてくる。


もしも二人きりしかこの世界にいないのだとすれば、田崎くんがいなくなったら私はひとりぽっちになってしまうのだろうな。


田崎くんの自転車が繁華街までの道を先行する。

コーヒーの香りが私の鼻をくすぐる。

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