彼女の天秤は大きく傾いた ~ 浮気者はもう捨てます
「マーガレット、すまない。週末は急用が出来た」
私の婚約者、コルビー子爵令息クレソンはそう言いました。
その腕に、ピンク髪のゲフィン男爵令嬢ポピーリアさんをぶらさげて。
華やかなピンク髪のポピーリアさんは、か弱い小動物のように愛らしい容姿で、男性たちに人気の令嬢です。
地味な私と違って……。
「だから観劇には行けなくなってしまった。解ってくれるね?」
「……」
今週末に、私はクレソンと一緒に観劇に行く約束をしていました。
最近クレソンは私と出掛ける約束をキャンセルしてばかりでした。
でも今度こそ一緒に行くと、そう約束してくれたのです。
しかしやはり、いつも通り、直前でキャンセルされてしまいました。
「どんな急用ですか?」
私はクレソンに尋ねました。
何となくですが……。
クレソンの急用とは、ポピーリアさんとのお出掛けのような気がしたのです。
「付き合いで、外せない用事だ。貴族なら付き合いが大事なことは解るだろう」
「誰とのお付き合いですか?」
私の質問にクレソンは不愉快そうに眉を歪めました。
「そんなことまで君に報告する必要があるのか?」
「クレソンの言う通りです。マーガレットさん、厚かましいですよ?」
クレソンの腕に手を絡めているポピーリアさんが、勝ち誇るような笑みを浮かべて私に言いました。
「結婚したわけでもないのに、妻気取りでクレソンの予定を詮索するなんて図々しいですよ? そんなんだからクレソンに嫌われるんです」
「……」
たしかに私はクレソンとはまだ結婚していません。
でも婚約者なのですけれど……。
「クレソン、必ず一緒に行くと約束をしたのに、どうして……?」
「だから外せない予定ができたと言っているだろう。駄々をこねるのはいい加減にしろ。観劇はただの遊びじゃないか。重要な用事じゃない」
クレソンは煩わしそうにして私に言いました。
「劇場は逃げないんだから、また今度でも良いだろう」
(私との約束は、重要な用事じゃないのね……)
「解りました……」
私は諦めの気持ちで、了承の返事をしました。
◆
「マーガレット、どうした? その顔は、クレソンにまた約束を破られたか?」
私が帰宅すると、私の顔を見て兄がそう質問して来ました。
「はい……」
「やはりそうか」
兄は苦笑しながら私に言いました。
「これでもう諦めはついたか?」
「……」
「クレソンの奴、我が家から援助を受けているというのに調子に乗りすぎだ」
クレソンを良く思っていない兄は、忌々し気に言いました。
◆
もともと私とクレソンとの婚約は、私の希望で結ばれたものでした。
両親に連れられて出席した園遊会で、クレソンは私に話しかけてくれて、優しくしてくれたのです。
「初めまして、コルビー子爵の息子クレソン・コルビーです」
「……ご、ごきげんよう。グラント伯爵の娘マーガレットです」
「園遊会は初めてですか」
「は、はい……」
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。花を見たり、お菓子を食べたりしていれば良いんです」
私はまだ社交を始めたばかりで友人はいませんでした。
両親も兄も知り合いと話していましたが、私は話す相手がいなかったので家族の後ろに人形のように立っていました。
そんな私にクレソンは話しかけてくれて、相手をしてくれたのです。
クレソンは美しい少年で、とても優しかったので、私はあっという間に恋をしてしまいました。
「お父様、私、結婚するならクレソン様が良いです」
我が家は兄が跡継ぎで、娘を政略の駒にしなければならないような切羽詰まった事情もありませんでした。
だから私は気の合う相手と結婚すれば良いと、常々父に言われていました。
「ふむ。マーガレットがそう言うなら……」
父は私の願いを聞き入れてくれて、クレソンの家コルビー子爵家に結婚の打診をしてくれました。
私とクレソンが結婚するなら、私の家グラント伯爵家がクレソンの家コルビー子爵家に資金援助をするという契約で、私とクレソンの婚約はすぐにまとまりました。
「マーガレット嬢、君と婚約できて嬉しいよ」
「クレソン様、私も嬉しいです!」
「これからよろしくね」
「はい!」
婚約した当初はクレソンは私にとても優しかったのです。
「マーガレット、王都に新しくできたカフェが人気らしいよ。行ってみる?」
「ええ、クレソン、行ってみたいわ」
二人で一緒に出掛けることも頻繁にありました。
クレソンは美貌で華やかな令息だったので、どこでも注目を集めました。
クレソンの隣に並ぶ私は、彼に恥をかかせないようにお洒落に気を使い、少しでも美しくなれるように努力をしました。
でも学院に入学すると……。
クレソンは多くの令嬢と知り合い、他の令嬢たちと親しく交流するようになりました。
私のことは放置して……。
美貌のクレソンは令嬢たちに人気があり、学院では常に令嬢たちに囲まれていました。
そのクレソンの取り巻きの令嬢の中に、ゲフィン男爵令嬢ポピーリアさんがいました。
ポピーリアさんはふわふわしたピンク髪に愛らしい容姿の令嬢です。
美貌のクレソンに愛らしいポピーリアさんが寄り添っている様子は絵のように美しく、とてもお似合いの二人でした。
クレソンの婚約者は私なのですけれど……。
「クレソン、カフェに連れていってくれる約束よ」
「ああ、ポピーリア、そうだったね。……マーガレット、すまない、今日は図書館へは一人で行ってくれないか?」
「え……でも……」
「マーガレットとはいつでも一緒に行けるんだから良いだろう?」
そしてクレソンはポピーリアさんと特別に親密になり、ポピーリアさんといつも一緒にいるようになりました。
婚約者の私の傍にはいてくれないのに……。
「マーガレット、すまない、展覧会へ行く約束だけど、やっぱり行かれなくなった」
「え……」
私と出掛ける約束をしても、クレソンは直前でキャンセルすることが増えました。
ポピーリアさんとはお出掛けしていたようですけれど……。
そして、あの日……。
出席予定だった夜会で、クレソンは私をエスコートしてくれる約束だったのですが、それをクレソンは急用が出来たといって直前でキャンセルしました。
それで私はその夜会を欠席しました。
しかし両親や兄が、予定通りその夜会に出席すると……。
「クレソンの奴、来ていたのか! 誰だあの令嬢は!」
「あのピンク髪……。ゲフィン男爵家の娘じゃないかしら」
「あれがクレソンの『急用』か。マーガレットを差し置いて、あんな女と……。我がグラント伯爵家を馬鹿にしているのか?」
その夜会にクレソンは予定通り出席していて、ポピーリアさんをエスコートしていたのです。
「マーガレット、あの男は駄目だ。諦めろ」
「そうよ、マーガレット。あんなだらしない男と結婚したら不幸になるだけよ」
その件で、私の家族たちは怒り心頭になり、私にクレソンとの婚約の解消を勧めるようになりました。
「お父様、お母様、待ってください。もう少しだけ……待ってください」
私はクレソンのことが好きだったので、想いを断ち切れずにいました。
だから両親に頼んで婚約を継続させてもらいました。
(クレソンは優しいから、ポピーリアさんに強引に頼まれてきっと断りきれないだけよ。きっと私の所へ戻ってきてくれる。そのうち解ってくれる……。だってクレソンはあんなに私に優しかったんだもの)
かつてのように優しいクレソンに戻ってくれるのではないかと、私は諦めきれずにいたのです。
それなのに……。
それからクレソンはますますポピーリアさんと親密になり、私との約束は全てキャンセルするようになりました。
約束だけはするのですが、実行される前に全てキャンセルされました。
私がクレソンと最後に一緒に出掛けたのは……いつだったでしょうか?
学院に入学する前は、二人でよく出掛けていたのですが。
学院に入学した後のことはもうよく思い出せません。
◆
「マーガレット、今回もクレソンが約束を破ったら、奴との結婚は諦めてくれる約束だったね?」
「ええ、お兄様……」
もう、諦めるべきなのでしょう。
クレソンはポピーリアさんに夢中なのです。
その事実を私は受け入れるべきなのです。
これ以上、グラント伯爵家の資産を無駄にしないために……。
「お兄様、もうコルビー子爵家への援助は必要ありません」
「ようやく決心してくれたか。マーガレット、解ってもらえて嬉しいよ」
私とクレソンが結婚するなら、私の家グラント伯爵家はクレソンの家コルビー子爵家に資金援助をするという契約をしていました。
クレソンが私を蔑ろにしていても、グラント伯爵家はコルビー子爵家に援助を続けているのです。
クレソンの父コルビー子爵は事業に失敗して、経済的に困窮していました。
だから私の父グラント伯爵が、資金援助とセットで私との縁談を打診したら、コルビー子爵は二つ返事で了承したのです。
クレソンはコルビー子爵家の跡取りでしたので、私はクレソンと結婚したら、いずれコルビー子爵夫人になる予定でした。
そのため私の父グラント伯爵は、コルビー子爵の事業の立て直しを手助けしていました。
いずれ私が、クレソンと一緒にその事業を継ぐことになるからと。
「お父様に、随分と無駄遣いをさせてしまいました……」
「マーガレットは気にしなくて良い」
兄は悪い顔で笑いました。
「元を取り返す手立ては考えている。こちらが資金援助をストップしたら、どうせ立ち行かなくなる。丸ごと買い叩いてやるから見ていろ」
「元が取り返せるなら良かったです」
「では婚約解消の手続きを進めよう。私から父上に言っておくよ。マーガレット、良いね?」
「……はい。お兄様、お願いします」
「マーガレットが解ってくれて良かった。後のことは私たちに任せておけ」
「はい」
「そうだ、マーガレット、気晴らしに観劇に行かないか。『冷たい黄金』を観たかったのだろう?」
王立劇場で上演されている演劇『冷たい黄金』は、社交界でも話題になっている恋愛劇で、私がクレソンと一緒に見に行く約束をしていた舞台でした。
「ちょうど友人と一緒に行く予定でね。チケットを取っていた」
「お兄様のチケットをいただいてしまっては申し訳ないわ」
「私の分のチケットはある。安心しろ。一緒に行こう」
「ご友人は?」
「友人の分もちゃんとある」
「チケットが余っているのですか?」
「ああ」
兄は少し意味深にニヤリと笑いました。
「もしもの時のために、多めにチケットを取っていた」
◆
――週末。
私は兄と一緒に王立劇場に出かけました。
そして王立劇場で兄の友人と合流したのですが。
「久しぶりだね、マーガレット嬢」
「ローレル殿下?!」
兄の友人とは、我が国の第二王子ローレル殿下でした。
「マーガレット嬢、その……、色々大変だったようだね。何かあったら私をいつでも頼ってくれ。力になるよ」
「もったいないお言葉でございます」
ローレル殿下は、私がクレソンと婚約解消をする話を、兄から聞いているのでしょうか。
何だか気を遣ってくださっているようです。
「そう固くならなくていい。私は今日はお忍びだ。気楽に接してくれ」
「殿下のお心遣いに感謝いたします」
(ローレル殿下ってこんなに素敵だったかしら)
今までクレソンにないがしろにされ続けていたせいでしょうか。
紳士的で細やかな気遣いをしてくれるローレル殿下がとても素敵に見えてしまいます。
「そうだぞマーガレット」
兄は面白そうに笑って私に言いました。
「お忍びなんだから無礼講だ。こいつのことはローレルと呼び捨てしてやって良いんだぞ」
不敬な兄がローレル殿下を「こいつ」呼びしたので、私は真っ青になりました。
「お、お兄様、殿下に無礼です……!」
「マーガレット嬢、かまわないよ。ローリーと愛称で呼んでもくれてもかまわない」
「そのような不敬、私には、む、無理です。お許しください……!」
「マーガレット、殿下のご所望だ。ローリーと呼んでやれ」
「お兄様、ふざけないでくださいませ!」
私と兄とローレル殿下の三人は、劇場のエントランス・ホールで歓談しました。
主に殿下と兄が、私を良いようにからかっていたのですけれど。
王立劇場は王都で一番格式のある大劇場です。
エントランス・ホールは広々としていて、客がくつろげるソファがいくつもあります。
こういった劇場は社交の場でもあるので、私たち以外にも、おしゃべりに花を咲かせている貴族たちがあちこちにいました。
「マーガレット、あれを見てみろ……」
ふいに兄が、それまでのおしゃべりを中断して、小声でいいました。
「やはり来たか」
兄が示した方角を見て、ローレル殿下が皮肉っぽい笑みを浮かべました。
「……」
兄に言われてそちらを見た私は、絶句しました。
いえ、ある程度は、予想していたことです。
「クレソンとポピーリアさん……」
そこにはポピーリアさんをエスコートしているクレソンがいました。
クレソンの『急用』はやはりポピーリアさんだったのです。
しかも、私と一緒に行くはずだった、この劇を観に来るなんて……。
――急用が出来た。
――付き合いで、外せない用事だ。
――貴族なら付き合いが大事なことは解るだろう。
クレソンの言い訳を思い出して、私の心の中に怒りの炎が燃え上がりました。
(なにが……『外せない用事』よ……)
私との予定をキャンセルしたクレソンが、それで何をしていたのか……。
何となく想像はしていても、実際に目の当たりにしたのはこれが初めてでした。
クレソンの嘘を、この目で見てしまうと……。
どうしようもない怒りが湧きあがりました。
(なにが『貴族なら付き合いが大事』よ。我がグラント伯爵家との付き合いは、クレソンにとっては大事ではなかったのね。さんざん我がグラント伯爵家に援助してもらっておきながら、私をないがしろにして。ポピーリアさんを優先するのがクレソンの大事なお付き合いなのね……)
「クレソンは、我がグラント伯爵家より、ゲフィン男爵家を選んだのですね……」
私がそう言葉にすると、兄は頷きました。
「そういうことになるな。まあゲフィン男爵は、爵位は低いが資産家だ。そっちを選ぶのは解らないでもない」
兄がそう言うと、ローレル殿下は嫌そうに顔を歪めました。
「だが、ヒース、あの男は相変わらずグラント伯爵家から資金援助をしてもらっているのだろう。グラント伯爵家からの援助のためにマーガレットと婚約したまま、ゲフィン男爵の娘と二股をかけているのは、あまりに不誠実だろう」
「それには同感です。我がグラント伯爵家はあの男を許すつもりはありません。マーガレットが目を覚ましてくれて良かった」
「お兄様、ローレル殿下……」
ふつふつと湧きあがる怒りをこらえきれなくなった私は、兄とローレル殿下に言いました。
「クレソンとお話がしたいのだけれど、良いかしら?」
私の視線の先では、クレソンがポピーリアさんを腕にぶらさげていました。
まるで恋人同士のように微笑み合いながら。
◆
「クレソン」
私はクレソンに近付くと、声を掛けました。
「……っ!」
クレソンは私の声にぎくりとして振り向き、目を見開きました。
「マ、マーガレット、どうしてここに……!」
「クレソン、あなたの急用って、ポピーリアさんとの観劇のことだったのね」
「そうよ」
クレソンの腕にぶらさがっていたポピーリアさんが少しも悪びれることなく私に言いました。
「クレソンは貴女に愛想をつかしているの。もういい加減にクレソンを解放してあげたらどう?」
「ええ、そうします。クレソンとは婚約解消するわ」
私はクレソンとポピーリアさんを交互に見て言いました。
クレソンは少しきまり悪そうにしていますが、ポピーリアさんは勝気な笑みを浮かべて堂々としています。
「だからコルビー子爵家への援助は打ち切ります」
「ふん! マーガレット、脅しのつもりか?」
クレソンは不愉快そうに顔を歪めましたが、強気な態度で私に言いました。
「だがそんな脅しは通用しない。婚約解消したければ勝手にするが良い。私はポピーリアと結婚する」
クレソンはポピーリアさんを抱き寄せました。
ですが……。
「クレソン、資金援助ってどういうこと……?」
ポピーリアさんは訝し気に眉を寄せてクレソンに質問しました。
「ああ、まあ……婚約するときの契約で色々とあったんだ……」
クレソンは言葉を濁しました。
(クレソンが我が家から援助を受けていることをポピーリアさんは知らないの?)
「私がご説明しますわ」
私はポピーリアさんに言いました。
「コルビー子爵は事業に失敗して経済的に困窮していたのです。だから我がグラント伯爵家がコルビー子爵家に援助を行っていたのです。ポピーリアさんはクレソンとよくお出掛けなさっていたようですけれど……」
私はポピーリアさんを真っ直ぐに見つめました。
「クレソンが支払いに使っていたお金は、我がグラント伯爵家からの援助金です。私とクレソンが学院で不自由しないようにと、私の父が贈ってくれたお金です」
「え?!」
軽く驚くような声を上げたポピーリアさんに、私ははっきりと言ってやりました。
「私はクレソンとは婚約解消しますので、我がグラント伯爵家はコルビー子爵家への援助を打ち切ります。クレソンは差し上げますので、これからはポピーリアさんが面倒を見てあげてください」
「え、待って、クレソンってお金無いの?!」
目を丸くしたポピーリアさんに私は答えました。
「はい。クレソンにお金はありません」
すると次の瞬間、ポピーリアさんは言い放ちました。
「じゃあ別れます! さよなら、クレソン!」
「は?!」
クレソンが驚愕の声を上げました。
「えっ?!」
私も不意打ちされて、思わず驚愕の声を上げました。
「は?!」
「何?!」
私の後ろで、私を見守ってくれていた兄とローレル殿下も、変な声を上げました。
「ポ、ポピーリア、何を言い出すんだ!」
クレソンは大いに動揺してポピーリアさんに問い掛けました。
「手を放して!」
ポピーリアさんはクレソンを拒絶して、クレソンの手を払いのけようともがきました。
「だってクレソンってお金無いんでしょ! そんな男に用はないわ! 放してよ! 私もう帰るんだから! 放して!」
「ポピーリア、落ち着くんだ!」
「放しなさいよ! この貧乏人! 我が家の資産をアテにしているんでしょ! その手には乗りませんから!」
「違う!」
「じゃあ援助してくれてたマーガレットさんと別れてこれからどうするつもりなのよ! お金が無いくせに!」
「そ、それは、これから考えようと……!」
「私と結婚して、我が家の資産を食いつぶすつもりだったんでしょ!」
「ち、違う、そんなつもりじゃ……!」
「違わないでしょ! 貧乏人! あさましいのよ!」
ポピーリアさんはもがきましたが、クレソンはポピーリアさんの手をがっちりとつかんでいます。
二人がもみあって騒いでいるので、エントランス・ホールにいた人々が遠巻きにこの痴話喧嘩の見物を始めました。
「クレソン、ポピーリア嬢の手を放してやれ」
「女性が嫌がっている」
見るに見かねて、私の兄とローレル殿下が止めに入りました。
「これは私とポピーリアの問題だ! 部外者は引っ込んでいろ!」
「ポピーリア嬢に無理強いをするな」
「紳士として見過ごすわけにはいかない。不埒者として警備の者に突き出されたいか?」
兄とローレル殿下が、クレソンを取り押さえました。
「ありがとうございます。助かりました」
ようやくクレソンから解放されたポピーリアさんは、兄とローレル殿下にお礼を言うと、私に言いました。
「マーガレットさん、今まで失礼しました。私、今日はこれで帰ります。謝罪は後日改めていたします」
「え、ええ……。気を付けて帰ってね」
「はい。ありがとうございました」
嵐のように去って行ったポピーリアさんの背中を、私は呆気に取られたまま見送りました。
◆
「マーガレットさん、知らぬこととはいえ、今まで失礼いたしました」
数日後、ポピーリアさんが手土産を持って我が家に謝罪にいらっしゃいました。
「つまらないものですが、どうかお納めください」
「わざわざありがとうございます」
男爵家とはいえさすがは資産家のご令嬢。
使用人を何人も引き連れて現れ、次々と手土産を運び込みました。
私は応接室にポピーリアさんを案内すると、使用人たちを下がらせて二人でお話をしました。
ポピーリアさんは私にとっては婚約者の浮気相手という、いわば敵のような人でしたが、私は彼女と話がしてみたくなったのです。
クレソンを捨てたポピーリアさんの、あの判断の速さに興味が湧いたのです。
(私はずっとクレソンと別れられなくて、クレソンのために我が家の資産を無駄にしてしまったのに。ポピーリアさんは即座に判断してクレソンを切り捨てた。……くやしいけど、ちょっと羨ましいわ……)
「ポピーリアさんはクレソンのことが好きなのだと思っていましたが……そうでもなかったのですか?」
私がそう尋ねると、ポピーリアさんはあっけらかんと答えました。
「好きでした。プレゼントをたくさんくれて、高いお店にも連れていってくれて、頼りになる人だと思ったんです。でも、そのお金って、全部マーガレットさんのお家のお金だったんですよね」
「ええ、そうです」
「じゃあ私が本当に好きだったのは、クレソンじゃなくてマーガレットさんでしたね。クレソンはマーガレットさんのお金で着飾って虚勢を張っていたんですもの。すっかり騙されていたわ」
「ポピーリアさんは、クレソンのお金だけが好きだったのですか?」
「そういうわけでもないですけどぉ……」
ポピーリアさんは少し考えるような顔をしました。
「でもあのときに一気に冷めたんです」
「王立劇場のあのときに?」
「そうです。だってずっと援助してくれてたマーガレットさんをあっさり裏切って、私に乗り換えようとしたんですもの。そういう人って信用できないでしょう」
ポピーリアさんは皮肉っぽく笑うと、小さく肩をすぼめました。
「クレソンは私と結婚しても、いつか私のことを裏切ったと思います」
「ポピーリアさんは、クレソンが我が家の援助を受けていることを知らなかったの?」
「知りませんでした。マーガレットさんの我儘で婚約したと聞いていました。マーガレットさんの束縛が鬱陶しいから婚約解消するつもりだって言っていました」
私の我儘で婚約したことは間違っていません。
クレソンは私との婚約が本当は嫌だったのでしょうか……?
「クレソンが援助を受けてるって知らなかったから、マーガレットさんって我儘で図々しいなって思っていたんですけど。婚約と援助がセットだったなら話は別です。援助を受け取っているくせに浮気するなんて有り得ないですよ。とんだクズでした。……ねえ、マーガレットさん」
ポピーリアさんは真顔で私に言いました。
「もっと早くに言ってくだされば良かったのに。どうしてずっと黙っていたんですか?」
「ごめんなさい……。タイミングがつかめなくて……」
私は少しバツが悪くなって言い訳をしました。
問題を長引かせて家の資産を無駄に使わせてしまったのは、私がはっきり物を言えず、決断もできず、うじうじといつまでも悩んでいたせいです。
私もポピーリアさんのように素早く判断ができて、はっきり物が言えていたら、多分もっと早く解決していたのでしょう。
(もっと、きちんと自分の意見を言えるようにならなくちゃ)
「あーあ、マーガレットさんが男性だったら放っておかないのに」
ポピーリアさんがおかしなことを言い出して、私は面食らいました。
「え?!」
「お金持ちで真面目で性格も良くて最高ですよ。クレソンと別れたから、マーガレットさんはこれからモテまくると思いますよ」
「そ、そんなこと、有り得ないわ……」
「きっとモテますよ。お金持ちで真面目で性格も良くて理想の奥さんでしょ。ところでマーガレットさんのお兄さん、紹介してもらえませんか? あのときのお礼もしたいです」
「……あ、兄には、婚約者がいます。ごめんなさい」
「あら残念。じゃあお兄さんのお友達を紹介してください!」
ポピーリアさんの逞しさに、私は圧倒されました。
あっけらかんと欲望を口に出すので、むしろ清々しい気分になって来ます。
野生の獣と交流している気分とでも言うのでしょうか。
「そうそう、あの後、クレソンがうちに来たんですよ。話し合おうって。もちろん追い返しましたけど。マーガレットさんも気を付けてくださいね。クレソンが来るかもしれませんよ。『やり直そう』って」
「まさか……。クレソンはポピーリアさんのことは気に入っていたけれど、私のことは気に入ってなかったと思うわ。うちには来ないでしょう」
「来ると思いますよ。だってクレソンはマーガレットさんにも私にも捨てられて、援助のアテがなくなったでしょう? だからマーガレットさんのところに『やり直そう』って来るんじゃないかしら。お金が目当てで」
「さすがにクレソンだってそこまで恥知らずじゃないと思うけど……」
「来ると思いますよ。だってクレソンはお金がないんだもの」
そしてそのポピーリアさんの予言は当たりました。
◆
「クレソンの奴、どの面を下げて……」
クレソンが来ました。
クレソンの来訪を執事が告げると、父が半ば呆れたような顔で私に言いました。
「マーガレットは出て来なくて良い。私が追い返してやる」
「いいえ、お父様、私も言いたいことがあるので同席させてください」
父と兄に同席してもらって、私はクレソンと話をしました。
クレソンは私の顔を見るやいなや、言いました。
「マーガレット、やり直そう!」
(本当に『やり直そう』って言ったわ……。ポピーリアさんの予言が当たった)
「お断りします!」
私はクレソンに言いました。
「どうせ我が家のお金が目当てなのでしょう!」
私がクレソンに会おうと思ったのは。
ポピーリアさんのように、きちんとクレソンに言いたいことを言って決別したかったからです。
今までの私は、クレソンが変わってくれることに期待するばかりでした。
でもこれからは自分で判断して、自分で状況を変えて行きたいと思ったのです。
「クレソン、お帰りはあちらですわ! とっととお帰りになってくださいな!」
「マ、マーガレット、どうしたんだ、そんなこと言うなんて君らしくない」
「ポピーリアさんに追い返されたから、うちに来たのでしょう! お生憎様。私だってあなたなんかお断りよ!」
「ポピーリアに何か言われたのか?! マーガレット、ポピーリアに騙されないでくれ。私を信じてくれ」
「浮気者が何言っているのよ! あなたが一番信用できないわよ!」
「マーガレット、落ち着いてくれ。話を聞いてくれ」
「浮気者の話なんて聞く価値が無いわ! どうせ嘘なんでしょ。浮気するくらいですもの。ただの寄生虫が調子に乗らないでくださいな。二度と私の前に現れないで!」
私はクレソンを追い払うことで、過去のくよくよしていた自分に決別しました。
「さあ、お帰りになって!」
◆
「ごきげんよう、マーガレット嬢」
我が国の第二王子ローレル殿下が、真っ赤な薔薇の花束を持って、私を訪ねていらっしゃいました。
「この花を君に」
「あ、ありがとうございます」
真っ赤な薔薇は情熱的な花言葉がありますので、そんなものを渡されて私はドキドキしてしまったのですが……。
「武勇伝だったそうじゃないか」
ローレル殿下は楽しそうににこにこしてそう言いました。
「え?」
「ヒースから聞いたよ。クレソンを撃退したんだってね」
「お兄様がしゃべったのですか?!」
私は別の意味で、心臓がひっくり返りました。
私が淑女にあるまじき振る舞いでクレソンに言いたい放題した一件を、ローレル殿下に言うなんて!
王立劇場でのクレソンの一件で少しお世話になったローレル殿下に、私は好印象を持っていました。
素敵な男性の前では淑女らしくして良いところを見せたいのに。
それなのに。
お兄様ときたら、ペラペラと余計なことを……。
「お兄様が何を言ったかは知りませんが、ぜんぶ忘れてください!」
「良いじゃないか。惚れ直したよ」
「え?!」
「マーガレット、結婚して欲しい。グラント伯爵は君が了承したら結婚を許可すると言ってくれている」
「え?! え?!」
急降下から急上昇で、私はまた心臓がひっくり返りました。
「私などで良いのですか?」
「君が良いんだ」
「も、もし浮気したら、言いたい放題しますわよ!」
「浮気はしないよ」
「約束を守ってくださいますか?」
「約束は守る。誓うよ」
(私なんてモテないと思ったのに。ポピーリアさんの予言がまた当たったわ)
「私でよろしければ……」
私はポピーリアさんの不思議を感じながら了承の返事をしました。
ローレル殿下はぱっと笑顔を浮かべました。
「ありがとうマーガレット、必ず幸せにするよ」
「約束ですよ」
私はローレル殿下が差し出した手を取りました。
――完――
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