ここは溜まり場じゃない
「ねぇねぇ、聞いてよ、トオルくん!」
「……なんでここにいるんですか」
夜のバー。まるで常連のようにカウンターに腰を下ろしていたのは、桃崎さん――通称ピンクだ。
俺がグラスを拭いているのなんて気にも留めず、彼女は楽しそうに笑っている。
「今日の夜は綠谷くんが絶対シフトに入らないって言ってたから。じゃあバーにトオルくんがいるんじゃない?って思って来てみたら……はい、ビンゴ!」
「……ああ、そうですか」
「ほんとはね、トオルくんが働いてるカフェに行こうと思ったの。でも最近、めちゃくちゃ混んでるじゃない?話もできないなんて退屈だな~って思って」
桃崎さんはグラスに映るライトを覗き込みながら、わざとらしく肩をすくめる。その軽い仕草が、妙に場に馴染んでいて妙に腹立たしい。
「……よく、知ってますね。というか俺のカフェのバイトまで知ってるんですか」
問い返すと、彼女はほんの一瞬、信じられないという顔をした。
「え?だってそれは…もしかしてトオルくん、知らないの?」
「……何をですか」
「SNSでめっちゃバズってるからすぐわかっちゃったよ!」
グラスを拭く手が一瞬止まる。氷のカランと鳴る音がやけに響いた。
「…………は?」
当然のように頷いた桃崎さんは、すぐにスマホを取り出した。画面には“カフェのイケメン店員”とタグ付けされた写真がずらり。
ラテを仕上げる俺の横顔や、皿を運ぶ姿が、勝手に切り取られている。いつの間にこんな写真...
「ほら見て!“イケメン店員と常連客の距離感が尊い”ってコメントまであるの!私も二人のカフェでの掛け合い、ぜひ生で見てみたいんだけど……!」
「……いや、掛け合いって」
イケメン店員、ね。それはどう考えても何かの間違いだろ。
――グリーンはともかくして。
「だってさ!トオルくんの無表情と、緑谷くんのトオルくんにだけ見せるあのとろける笑顔!それだけで物語ができてるじゃない!ほら、“溺愛×クール”ってやつ!!」
「……お客さん、ここバーですけど」
「わかってるってば!でも想像するだけでお酒が美味しいんだもん!」
グラスを傾け、頬をほんのり赤らめる桃崎さん。
俺は深いため息をつき、磨き終えたはずのグラスを、やけに丁寧に拭き直すしかなかった。
「――あっ、そうそう!そんなことより聞いてよ、トオルくん!」
「……まだ何かあるんですか」
「昨日ね、急に綠谷くんから電話かかってきたの!」
桃崎さんは椅子から転げ落ちそうな勢いで身振りを交え、まるで芝居でもしているかのように声を張る。
「“指示した場所にそれぞれ例の物を置いてこい。1時間以内に”って!人づかい荒すぎない!?こっちは正義のレンジャーなのよ!?宅配業者じゃないんだから!」
「……例の物?」
俺が眉をひそめると、彼女は水を一口飲んだあと――何気ない調子で。
「――あ、爆弾ね」
まるで「今日の晩ご飯カレーだったの」くらいの軽さで、恐ろしい単語を放った。カウンターの空気が、一瞬で凍りつく。
「……ずいぶんと物騒なもん運んでるな」
バンッ、と桃崎さんは勢いよくカウンターに額をつけた。だが次の瞬間にはケロッと顔を上げ、瞳をきらきらさせる。
「そうなのよ、重たいし目立つし!レッドなんか道で転んで泣きそうになってたんだから!それをブルーがサッと抱き起こして、“大丈夫か”って……ブルー攻めもありと思ったわ!あぁもう、尊すぎる!」
「……愚痴から妄想に移行するの、早すぎません?」
桃崎さんは身を乗り出し、まるでステージで熱弁するみたいに手振りを交えて喋り続ける。俺はただ、黙々とグラスを磨きながら――合いの手すら打たず、ただその嵐が過ぎるのを待っていた。
「なんか急ぎだったっぽいし、怒ってたみたいだからさ~。だからみんな黙って従ったんだけどね」
桃崎さんは氷の音をカランと鳴らし、軽く肩をすくめる。
その仕草は無邪気そのものだ。
(……爆弾の使用用途って、もしかしなくても昨日の“あれ”か?)
背筋にじわりと冷たいものが這い上がる。
しかし当の本人は何も気づいていないのか、にこにこと笑いながらグラスをあおっていた。
そのときだった。
背後から低く、静かな声が落ちる。
「……桃崎さん。トオルさんをあなたの妄想に付き合わせるのは、やめていただけますか?」
ぞくり、と背中が震えた。
振り返れば、白シャツ姿のグリーンがバーの入り口に立っていた。
柔らかな笑みを浮かべているのに、その瞳の奥は鋭く研ぎ澄まされ、桃崎さんを真っ直ぐ射抜いている。
「げ……もう来ちゃった」
桃崎さんが思わず唇を尖らせる。
「もっとトオルくんと二人で語りたかったのに~。邪魔入るの早すぎ!」
「……語らなくて結構です」
グリーンの声が、氷の底に沈むように低く響いた。
俺は頭を抱えかけ――その時だった。
ガラリ、と重い扉が勢いよく開く。
冷たい夜風が吹き込み、カウンターの灯りがゆらめいた。
「あー!お前、やっぱここにいたか!」
現れたのはレンジャーの一人、イエロー担当の黄瀬。
金髪を乱暴にひとまとめにした姿で、扉を開け放つなり大声を張り上げる。
その明るさが場の空気を一瞬でかき回し、俺は思わず深いため息をついた。
開口一番、怒鳴る。
「俺に仕事押しつけて自分だけ先行きやがって!何サボってんだ、桃崎!」
「ちょ、ちがっ……違うもん!これは取材!……じゃなくて交流!ヒーロー活動の一環だから!」
カウンター越しに桃崎さんが必死に言い訳を繰り出す。
「言い訳すんな!俺が現場でどんだけ汗かいてたと思ってんだ!自分だけ酒飲んで癒されやがって!」
二人の声が狭い店内で反響し、空気をさらにざわつかせる。
そのすぐ横で、グリーンは何も言わず俺の前に腰を下ろし、淡い笑みだけを浮かべたまま二人をじっと見つめている。
その視線の冷ややかさと、カウンターで繰り広げられる騒ぎとの温度差が痛いほど際立っていた。
(……なんでここ、レンジャーの溜まり場になってんだよ)
俺はもう何も言わず、ただ黙々とグラスを磨き続けるしかなかった。




