第6章:怪盗幻想シュヴクス・ルージュ 第1話
窓の外から勢いよく吹き込んでくる風が心地よい。8月だというのにこんなに涼しい風が吹いてくるとは思わなかった。
時折聞こえる汽笛の音。窓の外に見たことがない景色が広がっていてキラは思わず身を乗り出す。
汽車に乗るのはほとんど初めてだったので最初は落ち着かなかったのだがもう大分慣れた。
キラは今窓の外を眺めるのに夢中になっていた。
もう何年も村から出ていなかったものだから久々に見た村の外の景色に興奮せずにはいられない。
その時たくさんの木々の向こうから太陽の光で煌めく何かが見えた。そして瞬く間に目の前に広がる青い世界。遠くに見える地平線。キラは夢中になって叫んだ。
「ねぇ、あれ海? あれが海!?」
ルルカとティーナが答えた。
「そうよ、というかもう少し静かにしてくれないかしら?騒がしいわ。」
「ってかキラ、海見るの初めてなの?」
「初めて初めて!」
するとキラ達の前方に座っていたホワイトとオズとルイーネが笑った。
笑われたキラはぶぅとふくれた。三人ともキラと同じくずっと村に住んでいたのだからキラのことは言えないはずだ。
「三人は海見たことあるの?」
「私はあの村が出身じゃあないから。見たことあるわ。」
「俺もそうやしな。」
「私もです。」
キラは少し驚いた。ホワイトが村出身ではないことは知っていたがオズとルイーネもそうだとは知らなかった。
知り合ってからの時間は長いのに、オズやルイーネのことをキラは何一つ知らないのだと気づかされた。
その後ショコラが急にそそくさと何かの包みを取り出した。中には美味しそうなミカンが入っていた。オズがすごく嫌そうな顔をした。
「うわーミカン持ってきたん?うわー。俺ミカンはあかんって言ったやろ。」
「えー、美味しいですよ? みんなどうぞー。ルイーネちゃんいる?」
「わぁ、ありがとうございますー。」
「みんなもどうぞー。」
「ミカン……? ミカンって食後のデザートでしょ?」
「うわぁルルカ、なんでそんな変なこだわり見せるの! 別におやつでもいいじゃーん。ねっ、ゼオ……」
「黙れお前ら。」
ゼオンの一言で全員大人しく黙って不思議そうにそちらを見る。
珍しくゼオンは機嫌が悪そうだった。キラは貰ったミカンを差し出した。
「何、ミカンほしいの?」
「いらねぇよ。」
「あれ、ミカン嫌い?」
「嫌いじゃないけど、明らかにミカンよりも言及すべきところがあるだろ。」
はねつけるように返された。ミカン美味しいのになとキラは思った。
それからゼオンは地獄の底のような目を自分の隣に座っているオズに向けて言った。
「とりあえず、ミカンのことより言いたいことが山ほどあるんだが……勿論答えてくれるよな?」
「ええでー。」
オズは呑気に笑っていた。ゼオンが確認するように言い始める。
「どこだここ。」
「汽車の中やな。」
「どうしてこうなった。」
「そりゃー、俺が『旅行ついてこなかったら武力行使っ』とか言って脅したからやな。」
「どこに行くんだ。」
「そこは最高機密やねん。」
氷点下の目つきが更に冷たくなっていく。無表情なのに、というより無表情だから恐ろしい。
オズはその状況を楽しんでいるようだった。
「だから、なんでそこだけ答えないんだよ……。」
行き先はともかく、こんなことになったのは、ディオンが帰ってから数日後の図書館での会話がきっかけだった。
◇ ◇ ◇
「キラちゃん達、夏休みに旅行行かない?」
全てはホワイトのこの言葉がきっかけだった。
キラ、ゼオン、ティーナ、ルルカ、オズ、セイラ……と丁度よく6人図書館に集合していたところに突然ホワイトが入ってきたのだった。
珍しい誘いだ。すると今度はオズが話を始めた。
「そや、この前話してたんや。夏休みにショコラの知り合いのところに行くことになってんねん。
お前らも勿論行くやろ?」
オズの笑顔が恐い。間違いなく「行くやろ?」=「行け」だ。絶対にそうだ。
何も旅行に誘う時まで脅さなくてもいいと思うのだけれど。
なんだかオズが怖いけれど、夏休みに特に予定はない。もう何年も村から出ていないキラは旅行という言葉が魅力的に感じた。
「私は別に大丈夫です。」
「わぁ、よかったあ。ゼオン君達は?」
ホワイトは嬉しそうにゼオン達の方を見る。予想はしていたがゼオンとルルカの返答は冷たかった。
「断る。なんで俺達がついて行かなきゃならないんだ。」
「全くだわ。ゼオンはまだ再調査の交渉の予定が成り立ってるからマシだけど、私はまだ逃亡中なのよ?」
たまには楽しんでもいいとキラは思うのだがゼオンとルルカには理解できないようだ。
この様子では旅行について行くのはキラだけかもしれない。
ティーナは少しそわそわしていれように見えたがゼオンが行かないというならついてこないだろう。
そしておそらくセイラもついてこない。行きたいかどうかというよりも別の理由で。
キラは青白い顔で座っているセイラを見た。この前ルルカが言ったとおり明らかに具合が悪そうだった。
「セイラ、大丈夫? 外に出てきてよかったの?」
「あなたに心配される筋合いはありません。」
「旅行は……止めておいた方がいいよね?」
「……。そうですね。」
少しだけ行きたそうに見えたのでキラは更に心配になった。
一体どうしたのだろう。いつも皮肉ばかりのセイラがこんなに大人しくなるのは初めてだ。やはり夏風邪だろうか。
ゼオンも元気のないセイラをじっと見ていた。
オズが急に呟いた。
「ったく、ここに来たって悪化するだけなんやから大人しく寝てりゃええのに……。」
「ちょっと、そんな言い方ないじゃん!」
「ま、とりあえずそいつは来なくてもええわ。
ゼオンとティーナとルルカは来なきゃあかんから。つーか来い。」
遂に命令になった。三人の顔が途端に呆れ顔になったのは言うまでもない。
「で、その知り合いの家ってどこなんだよ?」
ゼオンが訊くとオズとホワイトは急に顔を見合わせた。
そして二人でひそひそ話を始めたかと思うと、ホワイトが素晴らしい笑顔で言った。
「ひ・み・つ!」
ゼオン達の「怪しい!」の心の叫びが聞こえた気がした。
確かに怪しい。けれどもう行くと言ってしまったキラは苦笑いを浮かべて傍観するしかなかった。
そして更にオズが爽やかな笑顔で言う。
「断ったら、八つ裂きやから。」
オズがやけに強いとか、最強だいう話はゼオンやその他の人たちの対応からわかっていた。
これでは断りようがないだろう。ルルカの目に刃物のような鋭さがが宿る。
「嫌よ、あなたが何と言おうと行き先がわからない限り行かないわ……。
もしエンディルスだったら私は殺されるもの……。」
「せやったらお前には行き先教えてもええけど。」
「おい……どうしてルルカはよくて俺には教えないんだ。」
「ルルカ、来い。教えたる。」
「話聞けよ。」
誰もゼオンの話は聞いていなかった。ルルカは最初は警戒していたがしばらくしてからようやくオズのところまで行った。
そしてオズから話を聞いてから考え込み、訝しげにオズを見た後に一度ホワイトの様子を見てから答えた。
「……わかったわ。」
「嘘だろ……。」
「ルルカぁ、まじで?」
「まあ、マジよ。オズ、もし騙したらキラは八つ裂きか道連れだからよろしく。」
「え。」
「ええで、嘘ついてへんから。」
「え。」
キラの意見はどちらも聞いてくれなかった。
これで同意していないのはゼオンとティーナだけになった。
オズの次の狙いはゼオンだ。ゼオンが可哀想だがキラには何もできなかった。
「さあ旅行と八つ裂きどっちがええ?」
「その手には乗らねえからな。お前は攻撃魔法の使用禁止なんだろ?
八つ裂きにはできないはずだ。」
ディオンと和解し、再調査をしてもらうようお願いしたのだから、ゼオンは村を一度出ることになって万一国の人に見つかったとしてもルルカ程深刻な事態にはならないはずだ。
それでも旅行に行きたがらないのは多分オズに従いたくないからだろう。意地を張りたくなる気持ちはわかる。
するとそれならというようにオズはキラを見た。
「別にそんな禁止命令いつ破ったってええんやけど。
つまらへんなー、そんなこと言うなら旅行止めてサラのとこ遊びに行こかなー。そのまま居座るかもなー。」
キラの心が凍りつき、サラの顔が浮かんだ。震える声で尋ねる。
「それって……つまり……」
「寝・返・り!」
オズはゼオン達三人が束になっても適わない位の強さだと聞いている。
そんなオズがサラ側に回ったら止めるどころの話ではない。目の前の景色が歪み、手足の震えが止まらなかった。
キラは半泣きになりながらオズをぽかぽか殴った。
「わぁんオズのばかばかばかやろー! 婆ちゃんに言いつけてやるー!
お願いだから……寝返らないで!」
「だってゼオンが旅行来てくれへんしー。」
「わぁんゼオンのばかばかばかやろー! いいじゃんか旅行くらい…。うう……お願い、どうしてもお姉ちゃんを止めたいの。
ゼオン、お願いだから……!」
キラは半泣きになりながら必死でゼオンに頼み込んだ。サラは絶対に止めなければならない。オズが敵になったらもう勝ち目が無いのだ。
後ろのオズがどんな顔でそれを見ていたかなんてキラは気にしてもいなかった。ゼオンはしばらくあからさまに目をそらしていたが、それから悔しそうにオズを睨みつけた。
「卑怯だ……。」
「で、行くん?」
ゼオンの眉間にほんの一瞬皺がよる。対するオズの笑顔はいつでも爽やかだ。
「……くそ……仕方ねえな。」
「あー、よく聞こえへんわー困ったなー聞こえへんなー。」
「行けばいいんだろ行けば……!」
絶対零度の眼を前にオズは満足げに微笑んでいた。ここでようやくキラはオズの都合がいいように事が進みすぎていることに気づいた。
珍しくゼオンの顔から悔しさの感情が見てとれた。
「ゼオン、なんかもしかして……」
「黙れ。もういい。」
「なんか、ごめん。」
キラの謝罪を受け止めるゼオンの背中がどこか虚しく感じた。
そしてオズは最後に残ったティーナに言う。
「ゼオンは行くらしいんやけど、ティーナも行くやろ?」
「え……。」
「一人で残ってもつまらへんやろ?」
普段なら激しく反抗するところだが、今日のティーナは硬直したまま言い返さなかった。
ゼオンとオズを交互にきょろきょろ見つめる。
「卑怯だ……。」とまたゼオンが呟いていた。
「しょ、しょうがないなあ……行くよ。」
元から行きたそうだったのでティーナはあっさり了解した。
「……外道すぎる。」
ゼオンがそう呟いたがオズはそれはそれは生き生きした様子で笑うだけだった。
悪の大王のような高笑いが真夏の青空に気持ちよく響いていた。
そんなこんなで、ゼオンは大層機嫌が悪かったがキラ達はホワイトの知り合いの家に行くことになったのだった。