第5章:第31話
ティーナやルルカの声はもう聞こえてこなかった。不気味な風の音しかわからない。ゼオンは目を開ける。特に大きな怪我はなかった。
少し離れたところにらしくない表情でこちらを見つめるキラが見えた。
ただ先ほどと明らかに違うことは、ゼオンと目の前にいるキラの周りを黒い半透明の壁が取り囲んでいることだった。おそらく先ほどのキラの魔法でできた結界か何かだろう。
結界の向こう側、はるか遠くにティーナ達の姿が見えるが援護は期待できそうにない。
ゼオンはキラの紅の瞳を見た。七年前のあの日、ディオンが見た光景はこんな感じだったのだろうか。目の前にいる人はどう見てもキラなのに絶対にキラではない。
無邪気さ馬鹿さは消え、どこか妖艶な空気を漂わせ、今までろくに使えなかった魔法を自由自在に操る。
残虐な瞳を見て、すぐに相手の意図はわかった。ゼオンは剣を握り直して言う。
「そうか、一騎打ちがしたいってわけか。」
ゼオンの言葉に答えるようにキラが杖を構える。
ゼオンは短い呪文を唱えた。すると剣の柄が熱くなり、炎をまとった。揺らめく炎を操り、剣をキラへと突きつけ、ゼオンは言った。
「…なら来いよ、この馬鹿女。」
先にキラが駆け出した。ゼオンもキラに向かって斬りかかる。
両者の杖と剣がぶつかり合う。黒い結界の中、狭い空間に冷たい音が響く。
キラとゼオン、正反対の二人の一騎打ち。ゼオンはあの時の自分と戦っているように感じた。
速さも力も確実に今のキラの方が上だ。だが元がキラだからか、それともキラを操っている中の奴が馬鹿なのか、攻撃がわりと直線的で力任せなので避けたり受け流したりということはなんとかできる。
攻撃を受け流し、剣の炎を膨れ上がらせ相手の目をくらます。一瞬怯んだ隙にゼオンは後ろへ回り込む。剣の炎をさり気なく足元の草に燃え移らせながら。
一瞬反応が遅れたキラの手元を狙って剣を振るうがやはり速い。また避けられてしまった。
今度はキラの攻撃がくる。剣で受け止めて受け流すが反動も大きい。
徐々にゼオンの方が後ろに押され始める。受け流すことはできてもそこから攻撃に持ち込むことは厳しかった。
後ろの黒い壁に徐々に近づいていく。あそこまで行くともう逃げ場がない。
その前にどうにかしなければ、一瞬そう思った時だった。その隙を狙うかのように、攻撃を受け流した瞬間に強い衝撃と痛みがゼオンの頭を襲った。
横に突き飛ばされて地面に叩きつけられる。痛みを振り払いすぐに体勢を立て直そうとするがキラはすぐにもう一発…と杖を振り上げる。
だがゼオンもむざむざやられる気はない。キラが杖を振り下ろす前にゼオンが剣を振った。
また剣はキラに避けられた。何度やっても無駄とでも言うようにニヤリとキラの口元が当たった時だった。
キラの背後からパチパチと何かが燃え上がる音がした。キラの表情が変わる。
ゼオンがもう一度剣を振る。キラは急に慌てて横によける。その瞬間、キラがもと居た場所を三発の火炎弾が通り過ぎた。
キラは舌打ちして辺りを見回した。表情が険しくなるのが見える。
キラはいつの間にか激しい炎に囲まれていた。かかった、と思った。
ここは元々草原だ。火で埋めるにはもってこいの場所。
攻撃をよけながらゼオンが草原に燃え移らせていた炎が結界の中全体に燃え広がっていた。
ゼオンの足元には炎が来ないように操れるからゼオンの行動範囲に影響はない。
ネズミ取りにネズミを追い込むようにじわじわとキラが動ける範囲を狭めていく。
先ほどまで余裕綽々だったキラの顔が怒りで燃え上がる。ああなるほど、中の奴も馬鹿なのかとゼオンは少し納得した。
ゼオンは剣を振り上げた。すると無数の火炎弾がキラを襲った。
しかしキラの身体能力はそれであっさり倒れてくれるほど低くない。火のない狭い領域の中でキラは全ての火炎弾を驚くほどの素早さで避けてみせた。
そして短い呪文を唱えるとキラの目の前の炎を消し、ゼオンの方へ駆け出す。
それなら、とゼオンがもう一度杖を振るとゼオンの目の前に炎の盾が現れキラの行く手を塞ぐ。キラが再び魔法で炎の盾消そうと呪文を唱え始めた時、今度はキラの背後から炎が波のように流れてキラを襲う。
キラは振り向き盾を消すためだった魔法で炎の波を消してしまった。だがそれでよかった。ゼオンはその隙にキラの反対側の壁まで下がり、キラと距離をとる。
そして呪文を唱え始めた。
「神より授かりし聖なる炎よ…」
地面の炎が消え、代わりに巨大な魔法陣が地面に浮かび上がり、強い光を放ち始める。
剣に力が集中していく。かなりの大技だった。
キラもそのことに気づいたのだろう。立ち止まり、杖を構えて呪文を詠唱し始めた。
「雲を切り裂く雷鳴よ…我が意に答えたまえ…」
こちらもかなりの大技だった。黒い力が杖に集まり、巨大な魔法陣が展開される。
稲妻の音が響きはじめ、キラに力を与えていく。どんどん膨れ上がっていく力。
だがゼオンの方も負けないくらいに強大な炎の力を集めていた。両者共に一瞬も気を緩めずに力をためていく。
力が一点に集まっていく勢い、呪文を唱える声。そして先に術を放ったのはキラだった。
「地を貫け雷鳴の剣!エペ・トネール・コロッサル!」
ついにキラの杖に集まった雷の力は巨大な剣へと姿を変え、ゼオンに向かって放たれた。まがまがしい力を帯びた剣がゼオンをめがけて飛んでくる。
そしてゼオンも術を放た――なかった。それどころか、詠唱を止めてしまい、そのまま自分に向かってくる剣の方へ駆け出す。
キラの表情が余裕から驚愕に変わる。
このままではキラの魔法に対抗できないどころの話ではない。けれどゼオンは冷静だった。
雷の剣が近づいてくる。視界は金色で覆われ、稲妻が巡る音が耳を支配した。そして剣がゼオンの喉元を貫こうとした時だった。
ゼオンは先ほどの詠唱でためた力を集中させて前方に光の盾を張って剣の軌道を僅かに逸らすと、そのままスライディングして剣の下を素早く通り抜けた。
同時に背後で雷の剣が地面にぶち当たって爆発を起こす。強い光と爆発でおきた土煙に身を隠し、一気にキラに近づく。
あれだけの大技だ。隙は大きいしキラもすぐにまた大技は使えない。キラの顔がこちらを見たが反応するのが遅い。
そして、ゼオンはキラの杖をめがけて剣を振るった。
これで終わりだと、そう思いたかった。
「外したか…!」
ゼオンは舌打ちした。
避けられたわけではない。だが聞こえてきたのは杖が弾き飛ぶ勢いのいい音ではなく、ぽたりぽたりと何かが滴り落ちる音だった。
それはキラの血だった。剣が当たった杖のはではなくキラの左腕だった。剣が当たる直前に、杖を持った方の手を庇うように左腕を突き出してきたせいだった。
「どうせ自分の体ではないのだから、傷ついても構わない。」とでも言うかのように。
キラは突然左腕を押さえてしゃがみこんだ。しばらくうずくまったままだったが、その後急にキラは明るい声で言った。
「いったぁーい!ちょっとあんた酷いじゃん! ばかばかっ、このー……」
急にキラの声がいつもの調子に戻った。先ほどまでの残酷で冷たい雰囲気が消える。
今の痛みのせいでキラ自身の意識が戻ったのだろうか。ゼオンは一瞬そんなことを思ってキラに手を差し伸べようとした。だがすぐにそれは違うと気づいた。
これはゼオンを欺くための芝居だ。そして今度こそしっかり杖に狙いをつけて剣で杖を弾き飛ばそうとした時だった。
キンッと高い金属音と共に強い力が剣の行く手を遮る。キラは俯いたまま、杖で剣を受け止めていた。
そしてキラは言った。先ほどの明るい声からは想像もつかない、嘲笑うような低い声で。
「この……人殺しのくせに!」
キラの杖の先が光る。これはまずいな、とゼオンはすぐにキラから離れて距離をとった。そして改めて剣を構えた。
キラの姿が遠くなって落ち着いた時、もう一度「人殺し」と言うキラの声が蘇った。
身近な人を「殺された側」のキラに言われると、ほんの少し痛かった。
すぐに頭からその声をかき消そうとしたが、その時キラが杖で殴りかかってくる。
そして追い討ちをかけるように言うのだ。
「よくのうのうと逃げ続けていられるよね。人一人死んだらさ、周りの人がどれだけ悲しむかわからないの? 家族を殺されたお兄さんはどれだけ悲しんだだろうね?」
キラとの戦いの前に見た、ディオンの横顔を思い出した。その隙を突くようにキラは何度も何度も殴りかかる。
剣で辛うじて受け止められてはいるが後ろへ後ろへ下がらざるおえない状況だった。
「可哀想なお兄さん。大切な家族を一度に三人も奪われて。可哀想なお姉さん。ある日突然弟に切り刻まれて人生を終えるなんて。
この杖のせいだって? バカじゃない? あんたはずっとクロード家も両親も恨んでたんでしょ、そうでしょ?
ねえねえ一体誰のせい? あんたのせいでしょ? ねえそうでしょ、人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し!
いいよね、殺した側は楽で。殺された側がどんだけ悲しもうが泣こうが逃げ延びちゃえば終わりだもんねぇ!」
ただの真似事だ、無視しろ、気にするな。そう頭に言い聞かせるが、簡単に無視できる言葉ではなかった。
ゼオンに最もよく効く毒の言葉がキラの声として流れ込んでくる。
体ではないどこかにナイフが突き刺さったような想いだった。こんな声に惑わされている場合ではない。
頭ではわかっている。これはただの口真似だと。ただキラを操っている奴がキラの声で適等なことを言っているだけだと。
だが集中力が削がれ、体がこわばり、徐々に追い詰められていくのがわかった。
突然ゼオンの真下に黒い魔法陣が現れた。まずい…そう思った時にはもう遅すぎた。
ディオンと会った時にオズがティーナに使ったのとよく似た、束縛の魔法だ。
手足の感覚が抜け、地面に押さえつけられるようにしゃがみ込む。何かで縛り付けられたように手も足も動かない。口だけでも動けば呪文が唱えられるのだが、どこか体の一部分でも動かせば強い痛みが襲う。
それでもどうにかして呪文を唱え始めた時だった。再び先ほどの雷の剣の魔法をゼオンに向けるキラの姿が見えた。
黄金の剣が、審判の十字架のように見えた。
最悪だった。この状況では逃げることも反撃することもできない。
「地を貫け雷神の剣!エペ・トネール・コロッサル!」
そして、チェックメイトの一手のように、雷を帯びて煌めく剣がゼオンめがけて放たれた。