第5章:第24話
風の音が聞こえる。続けて木の葉の擦れ合う音、ふくろうの声。見上げると見えるのは無限に続く星空。そして輝く月。
人の声の聞こえない世界。風の音が綺麗な音楽のように聞こえた。
さして立派ではない、屋根の上に座り、ローズヒップの紅茶を飲みながらリディは空を見上げる。
リディは視線を上から横に移した。その先には一つのチェス盤がある。
黒のナイトを白のルークがまさに取ろうとしているところだった。
静かな世界をかき乱すかのようにメディの声が聞こえた。
「随分堂々と邪魔してくれたじゃない。」
メディは少し苛立っているようだった。リディは冷静に返す。
「邪魔? どうかしたの?」
「この期に及んで言い訳?あなたの手駒、随分好き放題してくれたわね。私が気づかないと思うの?」
「さあ……私は知らないわ。」
「…本当に、あなたは嫌だわ。」
メディの口調は荒かった。リディはカップの水面を憂いを帯びた目で見つめるだけだ。
ゼオン・S・クロードをメディはよほど追い出したかったらしい。
確かにあの人を追い出せばティーナ・ロレックもいなくなるだろうし、キラの周囲から二つ強力な駒がいなくなればサラがキラから杖を奪うのは容易いだろう。
あと、ゼオンとティーナの二人が村から去ればオズの監視下から外れる。そうすればあの二人の杖が奪いやすくなるという狙いもあるのだろう。
杖が一本でもサラ・ルピアの手に渡れば反乱派に強力な武器が渡ることになる。
もしサラが国王を暗殺することになったら、キラはどんな表情をするだろうか。リラは悲しむだろうか。
死んでしまったミラとイクスだって死んでも死にきれないにきまっている。
悲しみが更に強い悲しみを生み、連鎖はきっと止まらない。
そして、あの人は……
「メディ、もう止めて。こんなこと……」
リディはうなだれて俯きながらそう言った。だがメディの存在は離れない。ただ嘲笑うような声が意識がそこに在る。
実体はなくても憎しみのこもった視線を確かに感じる。
「嫌ね。私、あなたが憎いもの。勿論ミラ・ルピアのことも、あいつのことも…
貴女が自分の責任を果たす気が無いなら私も自分のやりたいことをするだけだわ。」
メディの高笑いが染み着いて焼き付いて離れない。メディの存在自体はどこか遠くへ離れた。だが声が消えない。
そして、大切なものが次々と消えてなくなっていく様子が浮かんだ。
リディは耳を塞いでうずくまった。もう見たくない。もう嫌だ。大切な人たちが死んでいく様なんて。
悪夢を振り払うように顔を上げる。真っ暗な空の中、輝く星たち。
その僅かな光にすがるようにリディはチェス盤に目をむけて黒のクイーンの駒をつかんだ。
そして、白のルークのすぐ傍に叩きつけた。
「打ち砕きなさい、キラ・ルピア。
メディなんかに負けないで。貴女の世界、貴女の日常、大切な人たち…貴女自身で守るのよ…!」
風が強くなる。それぞれの思惑が廻る。
そして、最初の小競り合いがもうすぐ起ころうとしていた。
◇ ◇ ◇
白い光が消えていき、視界が晴れた。
ミッドナイトブルーの空が再び現れる。だが、そこはゼオンが先ほどまでいた場所とは明らかに違った。
視界が急に暗くなったせいか、少し目眩がしてゼオンはしゃがみ込んだ。落ち着いてから辺りを見回したが、セイラもティーナもルルカもいなかった。
どうやら別の場所へ魔法でとばされたらしい。しかも飛ばされた場所はゼオンもよく知っている場所だった。
広く開けた場所、可愛らしい花々が植えられた花壇、四方八方に伸びる道。そして中央には地面が焼けたような跡が。
ゼオンがディオンと会った場所、中央広場だった。
ため息をついて立ち上がる。また村の中へ逆戻りというわけだ。今からまた村の出口へ行ってもまたセイラが居るだろう。
だがいつまでもここにいてもいけない。ルイーネが村を監視している。見つかったらまた厄介なことになるだろう。
とにかくこの広場にいては目立つ。とりあえずどこかに移動した方がいい。そう思った時、誰かの足音がするのが聞こえた。
警戒して剣を構える。そして足音のした方へ素早く剣を向けた。
「な…何事だ?」
そこにいたのは一人の老人とその付き人らしき数人の人だった。
老人は他の人々より身分が高いのか、付き人たちは老人を守るように前へ出てきた。
ゼオンはすぐに剣を下ろした。オズかセイラの差し金かとおもったがどうも違うようだった。
ゼオンが剣を杖に戻してから老人達に謝ると、老人はゼオンの前に出てきてまじまじとゼオンの目をのぞき込んだ。
ゼオンは不思議に思った。この老人と面識は無いはずだが。すると老人は言った。
「…ゼオン・S・クロードとはお前か?」
ゼオンの目が大きく見開く。すると老人はゼオンに自己紹介した。
「驚かせてすまなかったな。儂はこの村の村長のカルディスだ。
君のことは部下やディオン殿から聞いている。…ところで、なぜこんな夜中にこんな所に?」
ゼオンは答えようとしななかった。カルディスはすぐに理由を察したようだった。
「…逃げ出すところだった…というとこか。」
少しつっかかるようにゼオンは言った。
「…あんたはどうしてこんな夜中に?」
するとカルディスはあからさまに不愉快そうな表情をした。そして苛立った様子で言った。
「…オズに話があった。」
オズの名前を聞いて、ゼオンは少し考えこんでから尋ねた。
「それなら…オズがルイーネに何か指示してる様子はあったか……ありませんでしたか?」
今更になって相手が村長だということを思い出して言い直した。
カルディスはその言葉を聞いて疲れた様子でため息をついた。
「そんな様子はなかったが……ルイーネか…困ったもんじゃ、オズなんぞに飼い慣らされおって。
それにしても、その様子じゃオズと何かあったのか?」
「直接ではないですが…村からの逃亡を妨害されました。」
「全くあいつは……なるほどな、それで警戒していたわけじゃな?」
ゼオンは頷いた。さすがに村長なだけあってそこらへんの馬鹿とは違う。話が早かった。
だがこんな所で悠長に話してる場合でもなかった。オズやセイラに見つかる前にティーナと合流して村を出たい。
村長には悪いが早くここを去りたかった。だが村長はゼオンに言った。
「…オズに味方する気はないが、村から出るのはもう少し待ってくれんか?」
ゼオンの表情が険しくなる。そして見透かすように皮肉たっぷりに言った。
「…そんなに国ともめ事起こしたくないですか?よっぽど村が大切なんですね。」
「そういう理由じゃあない。この村は逃亡者や行き場のなくなった者の為の村。
できる限りこちらも君の為になることはしてやりたいんじゃよ。」
ゼオンの目は鋭くなる一方だった。
目の前の老人のことが信用できない。村の村長…他の人より一段高い立場というだけで、なんとなく目の前の人に良いイメージを抱けなかった。
それは、長い間クロード家なんて腐った貴族の中にいたせいもあるのかもしれない。
ゼオンは冷たく村長を睨みつけて言った。
「お節介もほどほどにしてくれ。こんな村もうこりごりだし、今更寮に戻る気もねえから。
…オズに見つかりたくねえから、俺はさっさと行くよ。じゃあな…」
「オズに見つかりたくないのなら、しばらく儂の屋敷にでも隠れていればいい。
学校内と儂の屋敷はルイーネの監視の管轄外だから見つかる心配はないじゃろ。」
カルディスはあっさりそう言ったがゼオンはそんなことをするつもりはなかった。
今カルディスの屋敷にはディオンがいるはずだ。ディオンのいる場所に行くなんてできるはずがない。
鉢合わせでもすればまたあの目でゼオンを見るだろう。そして、きっとまたあの時の景色が脳裏に浮かぶのだ。
ゼオンは言う。何も知らない大人なんかに善人面して庇われたくなんてない。
「煩い。ボケたジジイの親切ごっこに付き合ってなんてられねえよ。」
側近らしき人々の間からどよめきがおこったがゼオンは構わなかった。
カルディスは厳粛な姿勢を崩さずに言った。
「ディオン殿が屋敷にいるからか?」
「理由の一つではあるな。あんたの屋敷なんかに行ったらそのまま国に引き渡されるかもしれないってのもある。」
「用心深い坊やじゃな。心配せんでもうちに客用の部屋はいくらでもある。一つ余計に埋まったところでディオン殿には気づかれまい。ただ、屋敷内を歩き回ることはあまりできないがな。
国に引き渡すつもりもない。まだ疑うようなら屋敷の一階の一番裏門に近い部屋を貸そう。もし万が一国の使者なんかが来たら窓でも割って逃げればいいじゃろ?君の杖も取り上げたりはせん。」
ゼオンは目の前の人がどうしてそんなにゼオンを引き止めたがるのか不思議だった。
ショコラ・ホワイトのような天然のお人好しとは違う。ただの親切ではない気がした。
裏がある。ゼオンはそう感じた。
「…目的は?」
「目的?」
「素直に言えよ。あるんだろ?」
ゼオンは問いただすように言った。カルディスは諦めたようにふっと笑った。
急に目が鋭くなる。そして低い声で言った。
「君はオズが何を考えているかわかるか? 部屋を貸す代わりにオズの企みを止めるのに協力してほしい。」
ゼオンはやっと納得がいった。カルディスの目的も、その裏で起こったことも。
本人は気づいていないだろうがきっとカルディスはオズに手駒にされたのだろう。
何か企んでいるような素振りでも見せてカルディスを怒らせでもしたのだろう。
そしてカルディスがゼオンを利用するように仕向けたのだ。オズの策を上手く終わらせるために。
あの杖の力でキラを暴走させ、ゼオンがそれを止める。きっとそれがオズ側のシナリオだ。
だがそこまで考えた時、一つ疑問に感じた。
杖の力を利用するって、どうやって…? ゼオンは少し考えた後、答えた。
「…わかった。部屋、借りさせてもらうよ。」