第5章:第23話
夏が近くても夜はまだ涼しかった。窓から入ってくる風に熱はない。
部屋が暗いから明るい月の光が余計に目立つ。物音一つしない夜中の2時。時折ふくろうの声が聞こえては消えていく。
消灯時間が過ぎているのに寝ていないことに気づかれないように灯りを消したまま、ゼオンは荷物をまとめていた。
もう早く去った方がいい。オズやキラが無茶をしでかす前に。早く村を出て、全て過ぎ去ってしまえばいい。
本やランプ、必要な物は大体もう魔法をかけた鞄にしまっておいた。最後にあの赤い宝石の杖を持ち、窓際へと行く。
ゼオンの後ろにはふてくされた顔でその様子を眺めるロイドの姿があった。
「…んで、俺はショコラ・ホワイト達に何て言えばいいんすか。」
弱みを握られたことがまだ気に食わないらしかった。別れの挨拶の代わりに言った。
「期末テストの勉強だとでも言っておけ。」
「……嘘くさい嘘だね。」
「じゃあお前がショコラ・ホワイトを好きだって噂は誰に流せばいいか教えてくれ。」
「すんません、勘弁してください。」
それきりロイドは何も言わなくなった。そんなロイドを無視してゼオンは窓から飛び降りる。
ここは2階。問題なくきれいに着地すると裏門へと走り、人に見つからないようにひっそりと学校の敷地を出た。
人気はない。足音一つ聞こえない、暗くて静かな通り。たくさんの木に姿を隠しながら大きな通りへと向かう。
少し焦るように走って通りへ出ると人影が見えた。
「遅かったね。急ごう、ゼオン。」
ティーナだった。例の杖もちゃんと持っているし準備は万全だ。二人は静かに通りを駆け抜けると中央広場を通り過ぎて一気に村の出口へと向かう。
真夜中の村は昼間とは違い、本当に人がいるのかと思うくらいの静さだった。ほとんどの家の灯りはもう消えていて、薄暗くて周りはよく見えない。
頭に村の地図は入っているので出口を探すのには困らないが、オズやセイラが邪魔をしてくるかもしれないので周りを警戒しながら進んだ。
音だけはよく聞こえるのでそれだけが頼り。今のところ怪しい物音はせず、ゼオン達はあっという間に村の出口あたりにたどり着いた。
そこでゼオンは急に立ち止まった。ティーナも少し驚いて立ち止まる。
振り向いて、村を見渡す。月明かりに照らされた村が見えた。この小さな村に居た時間は短かったが、思い出すことは多かった。だがもう二度と訪れることはないだろう。
再び村に背を向けた時。足音がして、誰かが近づいてくるのがわかった。
二人とも警戒して杖を取る。近づいてきたのは少し意外な人物だった。
「…ルルカ?」
ティーナが杖を下ろした。綺麗な金髪が月明かりの下でよく見える。ルルカは特に攻撃する様子はなく、杖も持たず手ぶらでやってきた。
だがゼオンは杖を下ろさなかった。ルルカの顔色はいつもよりかなり悪かった。
足どりもどこかおぼつかなく、少しふらついている。ルルカの異変にティーナも気づいたようだった。
「どうしたの!?何かあったの?」
ルルカはティーナではなくゼオンの方を向いていた。すぐに口を開くことはなく、味方とも敵とも思えない目をしてじっとこちらを見つめていた。
相手がルルカでもゼオンは全く警戒を緩めない。この村にルルカを痛めつけられる相手がそう多くいるわけがない。
ゼオンはルルカに杖を突きつけた。
「…やったのは、オズか?」
「…いいえ、セイラよ。オズもいたけど。…信じられないかもしれないけど、あの二人組んだのよ。」
ティーナの目が大きく見開く。ゼオンにとってもかなり意外な話だった。だが嘘とは思えない。ルルカがそんな嘘をつく理由がない。
ゼオンは舌打ちした。ルルカを使って邪魔をしようというわけか。オズやセイラの考えそうなことだ。
ゼオンは杖を下ろし、ルルカに尋ねた。
「で、何の用だ?どうせあの二人に脅されたんだろ。何て言ってた?」
ルルカは悔しそうにため息をついて言った。
「出発は明日以降にしろ…ですって。」
「明日以降?出発するなじゃなくてか。どうしてだ?」
「キラが…例の事件、貴方の意思でやったわけじゃないって証明するとか言い出したのよ。それにオズとセイラが手を貸したわ。
…あの子、あの杖の影響を受けて暴走してするとか言ってたわ。それを貴方に伝えてこいですって。」
ゼオンの表情が険しくなった。ティーナも真っ青になる。二人ともすぐに言葉が出なかった。だからもう関わるなと言ったのに。嫌な予感がじわじわ現実になっていく。
まさかキラが自ら暴走しようとするとは思わなかった。自分なんかの為にそんな自殺行為をする人が居るとすら思っていなかった。完全に予想外だ。
七年前の記憶が蘇る。あの冬の日のような出来事が再び起こるかもしれない。
あの時、あの杖の力がどんなに恐ろしいかゼオンは思い知った。その記憶がゼオンを引き止めようとしているのがわかった。
だがそうはいかない。ここで止まればオズ達の思う壺だ。大体、キラのことを気にする必要なんてない。
どうせ村を出てしまえば、赤の他人になる人だ。
この杖が何なのか。あの白い少女の目的は?それがわからなければ、ゼオンはいつまでも人殺し扱いのままだ。
キラのことなんて気にしていられなかった。
どうせゼオンが村を去ってしまえばそんなこと証明しても意味がなくなる。早く行った方がいい。
「あいつのことなんて知るか。行くぞ、ティーナ。」
ティーナも頷いて村に背を向けた。ルルカは静かに言った。
「…それでいいわ。」
だが、それを許さない者がいた。風が吹くのと同時に、何者かの気配を感じた。
素早く振り向き、杖を突きつける。静かな夜闇の中、その人物は驚いた様子も見せずにクスクス笑う。
その態度がゼオンは気に食わなかった。
この闇のように黒い髪、深い海のような瞳。セイラはゼオンの杖のすぐ先にいた。
「…何のつもりだ。」
「勿論邪魔しに来たんですよ。今居なくなられたら困りますから。」
そう言ってセイラは意地悪くクスクス笑った。腹が立つ。目的を明かさずに人を無理矢理動かすこのやり方。この笑い。
するとティーナがセイラの目の前まで行くと、地獄の底のような目でセイラを睨みつけた。
「セイラは、オズに協力する気?」
「ええ、まあ色々あったんで。」
「あたし達の邪魔をするの?」
「ええ、すみませんね。」
ティーナの目尻がつり上がる。ゼオンの為…という理由だけとは思えない表情だった。
ティーナは瞬時に杖を鎌に変えると刃をセイラに向けて冷たい目で見た。
「…まだあたしを困らせる気? ……まさかまだ懲りてないってわけ?」
「そんなつもりはありませんよ。私には私の目的があるというだけ…」
「うっとおしんだよその敬語!」
カッとなってティーナが怒鳴る。だがセイラは冷静だった。
「あーあ、自分から話逸らしちゃって何なんでしょうねぇ。 ……そう話せって言ったのはあなたの方じゃないですか…。
まあ、別にいいですが。とにかく邪魔させてもらいますよ。」
「たとえセイラでもゼオンの邪魔をするなら許さない…!」
ティーナもゼオンも武器をセイラに突きつけて動かなかった。
決着は早めにつけた方がいい。もしオズが介入することになったら厄介だ。
周囲に他に何かがいる気配はない。セイラはおそらく接近戦よりも魔法を使った戦いを得意とするだろう。
三対一なら、詠唱を邪魔されることはまず無いだろう。杖を構え、ゼオンが呪文を唱えて一気に片をつけようとした時だった。
セイラは動揺する素振りすら見せずに言った。
「ところで、前だけの警戒でいいんですか?」
それを聞いたティーナがハッとして振り返る。おそらく後ろにいるルルカが裏切ったら…と思ったのだろう。だが、その行動が間違いだった。
「違う、ティーナ!」
ゼオンが怒鳴るより先にセイラは魔法でティーナの鎌を払い落とすと更にもう一発、光の魔術でティーナを弾き飛ばした。
ゼオンはその間に杖を剣に変えるとセイラの後ろへ回り込み、首もとに剣をあてる。
「大人しく村に戻れ。さもないと…」
「あらゼオンさん、最近冴えてませんねぇ…」
セイラが手を振ると地面が蒼く光り出した。そして魔法陣が現れる。
不覚だった。最初からセイラはすぐに魔法を発動させられるようにここに魔法陣を仕掛けておいたのだ。
蒼い光が輝くのと共に体が動かなくなる。剣を握る手にも力が入らなかった。
ゼオンが舌打ちするのと同時にセイラが笑った…その時だった。
一本の矢がセイラ目掛けて放たれた。セイラはすぐにそれを避けたがその瞬間、魔法陣の光が弱まった。
「行きなさい!」
ルルカの声だった。ゼオンは迷わず魔法陣の範囲から逃げ出してそのまま森の方へと駆け出す。
だがセイラが簡単に諦めるような雑魚であるはずがなかった。
「くっ…させるか!」
セイラがそう叫ぶと魔法陣から蒼い光をまとった獅子が現れ、ゼオンの行く手を阻んだ。
鋭い爪、凛々しい鬣。とても一筋縄で通してくれそうな相手ではない。
獅子はゼオンを睨みつけると炎を吐き出して、ゼオンを取り囲もうとした。
だがまた後ろからルルカの矢が獅子へと放たれてそれを防ぐ。
ゼオンはその隙を見逃さなかった。獅子の背後へと回り込むと、飛びかかって剣を突き刺そうとした時だった。
獅子の向こうで笑うセイラの姿が見えた。セイラのすぐ下ではまた別の魔法陣が輝いていた。
「貴方らしくないですねぇ、ゼオンさん?」
剣が獅子に刺さった感触はなかった。剣が刺さった途端、獅子は無限の光へと変わっていく。
そしてその光はゼオンを包み込んで逃がそうとしなかった。ティーナやルルカが助けようとするが届かない。
ようやく悟った。これは魔物の獅子なんかではなく別の魔法だと。セイラにそう錯覚させられたのだ。だがその時にはもう遅かった。
夜空も村も、ティーナやルルカの姿も遠ざかっていく。クスクス笑うセイラの姿も消えていく。
そして蒼い光が目の前を覆いつくして何も見えなくなった。