第5章:第7話
夕暮れの道に足音が響く。あまりにも巨大な静寂は足音なんかではびくともしない。それでも足音は止まない。焦るようにその音は早くなる。キラはゼオンを探して走った。奇妙な不安感がキラを急かす。ゼオンがどこにいるかなんて知らない。とりあえず中央広場に行けば村中に道が伸びているからどこにでも行けるだろう。
とりあえずキラは中央広場を目指した。学校でも図書館でも、村のどこへ行くとしても大抵は中央広場を通るから。少しずつ民家が見え始める。この道を真っ直ぐ行けばいい。キラがスピードを上げて一気に走り抜けようとした時だった。キラの目の前に急に誰かが飛び出してきた。キラは慌てて急ブレーキをかける。飛び出してきたのがセイラで、止まれと言わんばかりにキラの目を見て笑いかけていたからだ。キラが止まったのを見てセイラが言った。
「こんにちは、どちらに行くつもりです?」
「えっと…ちょっとゼオンを探してて…」
すると急にセイラが食いつくように言った。
「ですよね、ゼオンさんのこと心配ですよね、探してますよね?」
「え?まあ、ちょっとは…」
「じゃあついてきてください。」
「は?」
セイラは急にキラの腕を無理矢理引っ張って走り出した。キラもつられて走り出す。セイラは相当強い力でキラを引っ張っていった。普段のセイラとはどこか違う。キラは尋ねた。
「セイラ…何か焦ってる?」
「……。」
「焦ってるよね?」
「……。」
セイラは答えない。こういう時は大抵図星だ。一体どうしたというのだろう。あのセイラが焦るなんて。周りの建物は民家から小さな店に代わり始めた。中央広場はもうすぐだ。二人はひたすら走る。キラはセイラに尋ねた。
「何があったの?」
「…ちょっとまずいことが起ったんですよ…。」
その時だった。鼓膜を裂くような強烈な爆発音がした。同時に目がくらむような強い光が行く手を塞ぐ。広場の方からだ。光も爆発音も収まると、セイラが舌打ちして呟いた。
「チッ…間に合わなかったか…!」
二人は中央広場まで急いで走った。何かが焼け焦げる匂いがする。広場の様子は異常だった。いつもは平和な広場が今は恐怖の現場となっている。広場の隅では子供たちが怯えて縮こまっていた。一体何が起こったというのだろう。誰がこんなことをしたのだろう。二人は広場の中央に急いだ。そこの地面は先ほどの爆発で真っ黒に焼け焦げていた。そこにいたのはゼオン、ティーナ、ロイド、ペルシア、そして先ほどの青年、ディオンだった。ティーナは鎌を、ディオンは剣を構え、互いに睨み合っている。ディオンが言う。
「なかなかいい腕だな…噂には聞いている。お前がティーナ・ロレックか?」
「だったらどうした…この国の犬がっ!」
別人かと思うような尋常ではない迫力だった。殺気に満ちた目が真っ直ぐディオンを貫いている。ゼオンの為に、国の役人から守るために先ほどの大爆発を起こしたことは一目瞭然だ。だがこれ以上二人を野放しにしてはおけない。キラは慌てて間に入る。
「二人とも止めなよ!ここどこだと思ってるの?広場だよ、子供もいるんだよ!?」
「うるさいっ、お前も死にたいのか!」
ティーナが怒鳴る。キラは一瞬怯む。こんなティーナは初めてだ。いつもの明るさや脳天気さはかけらもない。ただ在るのは異常なほどの殺気のみ。するとゼオンがティーナに言った。
「止めろ、ここで騒ぎを起こしても意味がない。」
「止めるかっ…こいつは明らかに国の人間…!放っておいたら兵士を呼ぶかも…そしたらゼオンが捕まる…!そんなのさせない…あたしがさせないッ!」
ティーナがゼオンの言うことに逆らうのをキラは初めて見た。もうティーナは誰にも止められなかった。
ゼオンは何か言おうとしたがディオンを見ると口をつぐんだ。その時の表情は悲しげで、記憶が蘇った時のキラとどこか似ていた。ディオンはティーナに言った。
「どうしてそこまでしてそいつを庇う?お前は何も罪を犯していないし、そいつとは何の関係も無いのに、どうしてそいつの味方をする?…牢獄から逃げ出した逃亡者に。」
ディオンはゼオンを強く睨んだ。その表情から読み取れたのは強い憎しみ、怒り、そして悲しみだった。ティーナは嘲笑して言った。
「だから?そんなの関係ない。」
「そいつが何をしたか知っているのか?」
「腑抜けが。脳みそ腐ってなァい?関係ねぇんだよ!…お前にはわかんねぇよなぁ…豪邸でぬくぬく育って…何不自由なく生きてきた奴にはなあ!」
ティーナの目は見境無く他を傷つける獣のようだった。ロイドとペルシアは怯えた表情で動こうとしない。ゼオンが止めたってもうティーナは聞かなかった。もう誰もティーナを止められない。ゼオンでさえも。ディオンの方がまだ冷静だったがそれでもいくらか頭に血が登っているようだった。
「ああ、そうだろうな…そいつにのこのこついて行っているお前と、そいつに全てを壊された俺と…理解しあえるわけがないな…」
それを聞いたティーナの口元が怪しげにニィッと上がる。そして鎌をディオンに突きつけて怒鳴った。
「だったら潰すしかねぇなァ!頭のてっぺんから足の先っぽまでグシャグシャにしてやるよおぉぉおぉお!あはははははははははははは!」
ティーナは高笑いした後、鎌を構えて呪文を詠唱し始めた。
「この世を滅ぼす紅き瞳の女神よ…我に力を与えたまえ…」
「天空を舞う火の鳥よ…巡る業火よ…力を貸したまえ…」
ディオンも呪文を唱え始める。もう怯えている場合じゃない。するとティーナの呪文を聞いたセイラが言った。
「いけません…この魔法は…!」
「セイラ、何とかしてっ!」
「仕方ないですね…この世を創りし蒼き瞳の女神よ…」
セイラも呪文を詠唱し始めたがもう遅かった。強い光と衝撃がキラたちを襲う。そして遂に発動した。
「…全てを貫け死の刃!ディヴィニエ・モル・ルージュ!」
「…舞い散れ火桜、緋色の不死鳥!スリズィエ・ドゥ・ヴォルカン!」
ティーナの方からは紅く怪しく輝く光の刃が、ディオンの方からは橙色に煌めく巨大な炎の鳥が現れた。
二つの魔法はぶつかり合い、強大な力と火花を散らす。目の前はもう真っ白で何も見えない。衝撃はあまりに強く、キラは吹き飛ばされないようその場にとどまっているのがやっとだった。衝撃のせいなのか、セイラの呪文の詠唱も途切れ、セイラは急によろめいた。セイラに声をかけることさえ今は難しい。紅い刃と火の鳥は激しくぶつかり合う。どちらも一歩も譲る様子はない。風と衝撃はますます強くなる。このままではみんな吹き飛ばされてしまうだろう。誰か、早く、どうにかしなくては…そう思った時だった。
突然、二つの魔法がぶつかり合っている地点に紅の魔法陣が現れた。異変に気づいた両者の魔法が一瞬だけ弱まった。その時、それを狙っていたかのように上空から巨大な魔物が現れた。その魔物は空を覆い尽くすのではないかと思うほどに大きい。けれどキラはその魔物に見覚えがあった。
体中についている無数の目玉、幽霊を思わせるするりとした動き、いつもより何倍も大きいが、確かにそれはルイーネが操る魔物のホロだった。ホロは巨大な口を開き、二つの魔法の上に覆い被さるとそれをあっという間にペロリと飲み込んでしまった。
光も衝撃も嘘だったかのように止んでしまい、その場にいた全員呆然として立ち尽くした。その時、晴れ渡った空から誰かが降りてきた。紅い悪魔の羽を広げ、その人物は静かにティーナとディオンの間に降り立つ。ホロを操るルイーネに指示を出せる人物なんて一人しかいない。オズ・カーディガルだけしか。
「あかんなぁ。喧嘩はもっと派手にやらんと。」
オズは笑えない冗談を飛ばすと不適な笑みを浮かべてティーナとディオンを睨んだ。動揺も焦りもない、この事態を予測していた者にしかできない表情だった。