第4章:第12話
暗い夜闇は終わりを知らず、朝日の姿はまだ見えない。
空に瞬く星の光が綺麗で、どこか懐かしい感じがした。
リディは深い深い森の中を迷いもなく進んでいった。
灯りなどなくても目的地への道のりはわかっている。あの場所への道を忘れるはずがない。
そしてついに行く手を阻む木々が消え、月明かりを反射して煌めいている湖が目の前に現れた。
昔と全く変わっていない風景だった。
『お墓参りも大変ねえ。わざわざこんなところまで来なきゃいけないなんて。ねえ、リディ?』
メディの嘲り笑うような声が嫌でも耳に入ってくる。
リディはうつむきながら言った。
「でもこれだけは面倒くさがったりできないわ。」
そう言って歩き出し、湖のほとりにあるイクス・ルピアの墓へと向かった。
白い墓石は冷たい月明かりを受けてぼんやりと光っている。
背後の湖の輝きがとても幻想的だった。
『ところでリディ?キラ・ルピアの封印が解けたみたいよ?』
「…そう。」
リディは感情のない声でそう答えただけだった。
そんなリディにメディは低い声で聞いた。
『まさかとは思うけどあなたの差し金じゃないわよね?』
メディは少し低い声でリディにそう言った。
「別に何もしてないわ。メディは変に封印を解いたりしたらむしろ私には都合が悪いってわかってるんじゃない?
封印を解いてもキラ・ルピアが悲しむだけだもの。」
リディがそう言うとしばらく言葉に詰まったかのように間が空いた後にメディが答えた。
『…まあいいわ。』
メディが何も言わなくなったところでリディは再び墓の方を向いた。白い墓石は何も言わず、ただ冷たくそこに在る。
リディはこみ上げてきた悲しさと涙をどうにかこらえた。そして、リディは持っていた花束を見て言った。
「…たった10年なのに…長かったわね…」
そして、その時三本目の花束が墓の前に置かれた。
色とりどりの花に対して墓はただただ白い。
そしてリディは呟いた。
「ごめんなさい…本当にごめんなさい…。私が…いえ、私たちが関わらなければこんなことにはならなかったのに…。」
◇ ◇ ◇
翌日の教室はいつもより静かに感じた。思ったとおりキラは学校を休んでいる。
騒がしい声がうっとおしく響く教室の中、普段は一番馬鹿らしく騒いでいる奴が今はいない。よほどショックだったのだろう。
一方リーゼの方は思ったとおり朝から一回もゼオンと口を利いていなかった。
リーゼは教室内のゼオンがいる場所と反対側の隅でペルシアと話している。
リーゼは何事もなかったかのように過ごしているがゼオンの方はチラリとも見ない。
怒らせて当然だ。ゼオンの方もなるべくリーゼに関わろうとしなかった。ゼオンの方から何か言う資格は無いだろうから。
ゼオンが無言で本を読んでいるとロイドがやってきてゼオンに聞いた。
「…リーゼとなんかあったの?朝から妙に二人とも口利いてない気が…。」
「ああ、昨日ちょっと色々あったんだ。」
ロイドは複雑そうな表情をするだけだった。
ゼオンもそれ以上何も言わなかったのであっという間に会話が無くなって居心地の悪い沈黙が流れ始めた。
別にゼオンは構わなかった。だがロイドの方は我慢ならなかったようでわざとらしく話題をふってきた。
「あー、そういや今日から食堂のアイスが半額なんだってさ、知ってた?」
その途端、ゼオンは大きな音をたてて本を閉じた。ロイドは驚いたのか固まって何も言わない。
そういやアイスをおごれと言われていたなとゼオンは思った。
あの時キラが国王の名前を言い当てたところを見ると、おそらくあの時にはもう封印はほとんど解けかけていたのだろう。
けれどもキラは封印が解ける時が刻一刻と迫っていることに全く気づいていなかったのだろう。
ゼオンはすぐにそのことに気づいたのに。気づきたくもなかったのに。
今回の件でセイラが以前言ったとおり、ゼオンとキラは正反対だと思い知らされた気がした。
ゼオンがそんなことをぼんやり考えていた時、意外な人物がやってきた。
それはリーゼだった。
「ロイド、ちょっと席外してくれる?」
リーゼがそう言うとロイドはすぐにどこかへ行ってしまった。それを確認してからリーゼは言った。
「放課後、キラのお見舞い行くけど一緒に行かない?」
「怒っていたんじゃないのか。」
「ちょっとはね。けどもういい。どうせいずれは教えなくちゃいけないことだったし。」
リーゼは辛そうにうつむきながらそう言った。ゼオンはそれでもいつもと変わらない調子で言った。
「俺が行っても怒らせるだけかもしれないけど。」
「…そんなことないと、私は思う。」
リーゼはまっすぐゼオンを見てそう言った。
その目は真剣で、いつも内気でおとなしくておどおどしている姿からは想像できないほど怖い目だった。
「行ってくれる?」
這いつくばってでも行けとその目が語っている。ゼオンは特にこの後這いつくばってでもやらなくてはいけないことはない。
強いて言うなら事の真相をオズに教えなければならないがそれはルルカに任せればいいだろう。
「…わかった。」
ゼオンはそう言った。リーゼは悲しげに笑って「ありがとう。」と言って行ってしまった。
◇ ◇ ◇
「書類の内容は全て本当だったわ。キラのお婆さんもそのことは知っていたみたいね。」
「…なるほどな、ようわかった。」
オズは静かにそう言った。キラの封印が解けて以来、図書館の空気は重い。
図書館にいるのはオズ、ルルカ、ルイーネ、ティーナの4人だったが誰一人として明るく喋る様子はない。お喋りなティーナですらどこか不愉快そうに黙りこんで話を聞いているくらいだった。
オズへの報告を終えたルルカはすぐには帰らず椅子に座って何か考え込んでいる。
ルルカもルルカで複雑に思うところがあるようだった。
「…それで、キラさんの様子は?」
ルイーネが不安げにそう尋ねる。
「家で寝込んでいるんじゃないかしら。」
それを聞いたルイーネは下を向いた。きっと怒っているのだろう。俯きながらも口元に力が入っているのが見える。
ルイーネはオズに言った。
「だから言ったじゃないですか…キラさんには知られないようにって。こうなるって、どうせオズさんわかっていたんでしょう?」
返す言葉はない。ルイーネの言うとおり、こうなるとわかっていながらオズは書類を渡したのだから。
さらにルイーネが何か言おうと口を開きかけた時だった。
「五月蝿い、黙んな。あんたも同罪だろ。」
低い声が響き渡った。誰もが一瞬それが誰の声かわからなかった。
そしてそれが誰の声かわかった時、その場にいた全員の表情が驚いた顔に変わった。
そう言ったのはあのティーナだった。ティーナの目は普段じゃ考えられないほどつり上がっていて怒っていることはすぐにわかった。
ティーナはルイーネの前まで行くと、普段じゃ考えられないような冷たい声で言った。
「何が教えなければだ。本人にこそこそ隠して、真相を教えずに親切をしたふりをして。
馬鹿馬鹿しい。もっと別にやり方はあったはずだろ?何が封印だ。『キラちゃん可哀相。』とでも思ったの?
だったらそれはキラに対する侮辱だとあたしは思うね。」
「じゃ…じゃあオズさんのやり方が正しかったとでもいうんですか!?」
「はぁ?まさか。あれは最低、偽善ですらない。そもそも最初からどいつもこいつも最低なんだよ。
本当にキラの為を思うなら、過去を隠すんじゃなくて乗り越えられるまで支えてあげればいいのにねぇ。
耐えられなかったのはそっちなんじゃないの?暗い顔見たくなかっただけじゃないのぉ?
ああこれだからもう!どいつもこいつも最低最悪馬鹿馬鹿しいっ!」
ティーナは明らかにいつもと様子が違った。口調はどんどん強くなっていきエスカレートしていった。
何かに取り付かれたように言葉を吐き出すティーナを見て、オズはこれはキラのためだけに怒っているわけではないなと感じた。
キラの過去、置かれた状況を知り、何か思うところでもあったのだろうか。
唖然としながら三人はティーナを見ている。ティーナの勢いは止まらなかった。
「馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しいっ!
可哀相なんて思われてそんなことされても、そんなの見下されてるのと同じなんだよ…!」
ティーナは図書館が壊れそうなくらいの勢いで怒鳴り、本がカタカタ音を立てる。最悪の空気、沈黙の中でティーナの息の音がした。
その時のティーナはまるで自分のことであるかのように悲しそうだった。
そしてついにルルカが言った。
「…ティーナ…どうしたの?」
そう言った途端、急にティーナは我にかえったようにハッとして、何も言わなくなった。
部屋は静まり返って、全員がティーナの方を見ている。ようやくティーナは自分が今かなりみんなを驚かせたことに気づいたようだった。
ティーナはしばらくポカンとして、辺りを見回し、それから先ほどと人が変わったようにいつもの明るい口調で言った。
「え…あ…ごめん、なんでもない。
キラの記憶のこと聞いたら、昔のことちょっと思い出してそれで… ちょっとカッとなっちゃっただけで…。」
ティーナはそこまで言うと気まずそうに黙り込んだ。多分みんなもそうだと思うが、ティーナの意外な一面を見た気がした。
ただのミーハーな少女ではないらしい。見た目よりもどす黒いものもあり、それを隠す賢さも見えた気がした。
とりあえずこのことにはこれ以上触れないほうがよさそうだなと思ったオズはルルカに言った。
「ほな、悪いなこんなこと頼んで。ご苦労さん。あ、ドーナツあるんやけど食うてくか?」
「いらないわ、ドーナツよりケーキの方が欲しいわね。」
「…文句そこなん?これだから元王女は……。」
ぼそりとルイーネが言った。そしてオズは今度はティーナに言った。
「おい、お前もいるか?」
ティーナは少し考え込んでから答えた。
「え、んー…じゃあいる。」
ティーナはそう言って椅子に座った。少し前まではいらないとはねのけたくせにそう言うようになったのは、さっきの反動による疲れだろうか。
それを聞いてルイーネは皿を出したりカップを出したりと準備を始めた。
だがルイーネは先ほどティーナが言ったことを気にしているのかいつもより手際が悪い。
世話焼きで口うるさいが根は優しい、ルイーネなら気にして当然だった。どこかの誰かのような非情さはないから。
そして不意にぼそりと言った。
「…キラさん大丈夫でしょうか…。」
「まあ、なんとかなるんじゃない?…キラはなんだかんだで周りの人には恵まれてると思うし。」
ティーナはらしくないくらい落ち着いた様子でそう言っていた。