第4章:第9話
天気のこともあって、キラとティーナは急いで家へと走っていった。
重たい灰色の空はついにぽたりぽたりと雨粒を落とし始めた。自然と二人の足の動きも早まる。
雨から逃げるように二人は家へと駆けていく。
ティーナが不思議そうに呟いた。
「それにしてもどうしてキラの家にゼオンがいるんだろ。
あんたまさかあたしに黙ってゼオンを家に呼んだりしてないだろーね?」
「するわけないじゃん。なんであんな話しづらい奴を…」
キラはそう言ったがティーナはじっとキラを睨んだ。
キラはため息をついた。するとティーナが言った。
「言っておくけど、ゼオンに近づいたら許さないからね!」
キラは困った顔で言った。
「そう言われてもクラス同じだし、話す時とかどうしてもいくらか近くじゃないと話せないよ。
せめて5メートルまでは…」
「あーもう、そういう意味じゃないよ!」
ティーナは怒鳴った後に困った様子で下を向いた。
ならどういう意味なのだろうと考えたが結局よくわからなかった。それを見てティーナは呆れたようだった。
だがすぐにぼそりとこう言っていた。
「ま…こんなこと言う必要ないんだけどね。……キラはゼオンに害じゃなさそうだし。」
そうこうしているうちにキラの家が見えてきた。
暗い灰色の空の中にある小さな家から漏れてくる明るい光がとても暖かい。
きっと今日も平穏な一日で終わるだろうとキラはそう信じていた。
キラとティーナは家のドアの前まで走っていった。
「ゼオンいるかなあ?」
「まあ見てみればわかるよ。」
キラはゆっくりとドアを開けた。いつもと違って戸を開けてもリラが出てこなかった。
玄関は真っ暗だったが、居間の方から光が見える。キラとティーナは中に入って雨が入ってこないようにすぐさま戸を閉めた。
キラは廊下から居間の方を見たが、中の様子はよく見えない。
そのときいくつかの声が聞こえてきた。少なくともリラの声だけじゃない。
「やっぱりあいついるかも。奥から声が聞こえる。」
キラがそう言うとティーナが途端に笑顔になった。本当にティーナはゼオンが好きなんだなとその時キラは思った。
キラとティーナは居間の方へと歩いていく。居間に近づくにつれて聞こえてくる声もはっきりしてきた。
たしかにリラ、ルルカ、リーゼ、そしてゼオンの声が聞こえてくる。
そしてキラが居間のドアノブに手を掛けようとした時だった。
「じゃあ、やっぱり貴方が50年前にウィゼート内戦で行方不明になったアルフェリラ・エスペレンなんですね?」
キラの手が止まった。今聞こえてきた言葉の意味がわからない。
いつもよりかなり丁寧な口調ではあるがそれはたしかにゼオンの声だった。
キラはドアノブに掛けようとした手を引っ込めて壁にぺたりと背中をつけてしゃがみこんだ。今戸を開けることなどできなかった。
ティーナも困惑しながら同じようにする。リラが言った。
「ああそうだよ。私があの内戦の東陣の生き残りさ。
あの杖は私がその時に持ち去ったものだ。サラから送られてなんていない。」
キラの目が大きく見開いた。リラは一体何を言っているのだろう。
あの時あの杖は「サラからの誕生日プレゼント」とたしかにキラに言ったのに。
そうなると、リラはキラに嘘をついたのだろうか。
キラの中を何だか気味の悪い不安感と恐怖感が渦巻き始めた。
早く終われ、それだけを願ったが会話はまだ終わらなかった。
「じゃあ次に、あいつの両親のことなんですけど。」
「…まだ何かあるのかい?」
「残念ですけどまだまだあります。」
キラの両親という言葉が出た途端、キラの不安感が更に増した。
理由はわからないが何か嫌な予感がする。何かが起こりそうな気がする。不安で、怖くて動けなかった。ゼオンは言った。
「いつあいつの記憶の封印を解くつもりですか。」
キラはさらに目を見開いた。もう混乱状態だった。ゼオンが言っていることの意味がわからない。
キラの記憶が封印とはどういうことだろう。そして、それが本当だとしたらどうしてそんなことをしたのだろう。
第一、その封印された記憶とは何なのだろう。ショックが大きすぎてキラはその場から動けなかった。
「…いずれは教えるつもりだ。」
「いずれとはいつですか。」
「それは…」
リラはそこまで言うと口ごもって下を向いた。そんなリラの様子を見てもゼオンは冷たく言う。
「…いつですか。」
「どうしてそんなことを訊く?
君はオズの使いらしいが、キラが両親を失った時の記憶を取り戻しても、君にもオズにも得はないだろう?」
両親を失った時の記憶。それは確かに今のキラにはないものだった。
その時、急に頭痛がキラを襲った。ズキンズキンと痛みは強くなっていく。
今まで見ないようにしていた悲しさと恐怖が一歩ずつ近づいてくるようだった。
ゼオンが言った。
「たしかに俺に得はありません。俺の目的は別のことです。
オズの奴の方にも得はなさそうでしたけど手遅れになった時に損はありそうに見えましたね。
…そう言うってことはすぐに封印を解く気はないってことですか?」
リラは答えなかった。重たい沈黙が続く。
やがて、ようやくリラが言った。
「…記憶を取り戻したら、キラは今のような明るい子ではいられなくなるかもしれない。
ミラとイクスさんはキラの目の前で死んだんだよ。その時キラは相当悲しんだ。その時のショックで性格も歪んでしまってね。
今とは比べものにならないくらい暗い子で、学校にも行かずに部屋に閉じこもっていた。」
「だから両親が死んだ時の記憶を封印したんですか。」
「ああそうだよ。村人もみんなキラの異変には気づいたみたいでね。
みんなあの子の両親が死んだ時のことと死んだ本当の理由についてはキラに言わないでくれた。
だから未だにキラは本当はどうして両親が死んだのか知らない。二人は出かけた先で事故で死んだと思ってる。
それ以来この村じゃキラの記憶や両親の死に触れることはしてはいけないと暗黙の了解になっている。
…10年間、村ぐるみであの子に嘘をついてきたってわけさ。おかげで今はあのとおり明るく楽しそうに過ごしているよ。
……愚かなことだということは自分でもよくわかっているさ。」
リラがそう言うとまた言葉のない時間が続いた。居間に入らなくても空気が重たいことはよくわかる。
頭痛の痛みだけが何かのタイマーのように刻まれていく。
昔のキラのことや記憶の封印のことなど、今まで知らなかったことへの驚きをかき消すくらいの異常な痛みだった。
その時、今度はルルカが口を開いた。
「あの…少し話がずれるのですけど聞いてもよろしいですか?
その…キラの両親が死んだ理由についてなんですけど。」
「いいよ。何だい?」
その時、キラの頭痛が急に今までよりも一層強くなった。
なんとなく、ルルカが何かまずいことを言いそうな気がしてならない。
キラは頭痛のことなんて忘れようと必死で目をつぶって耳をすませた。
まるで何かが溢れ出てくるのを無理矢理止めているような感覚だ。
見ないように気にしないようにしてきた黒い闇がすぐそこまで近づいているのが嫌でもわかる。
もう何も言わないで欲しい。だがそんなキラの気持ちなんて気づいてもいない様子でルルカは言った。
「あの子の両親が、このウィゼート国の国王のサバト・フェン・エスペレンに殺されたというのは本当ですか…?」
今までよりも一層頭痛が激しくなり、立ち上がることができないほどになった。
もう持ちこたえられない。そう思った時、リラが答えた。
「ああ、そうだよ。」
その途端、封印されていたはずの記憶が湧き上がり瞬く間にキラの頭を埋め尽くしていった。
頭痛も止まらず、あまりの痛みに頭をかかえてその場にしゃがみこんだ。
やがて脳裏にはっきりと見えてきたのは灯りもついていない暗い部屋。
見たこともないくらい豪華な部屋だがその時は惨劇の場と化していた。
はっきりとは見えないが目の前には誰かが立っている。
そしてその足元には血まみれで横たわっている父親の亡骸があった。
そして頭の中に切り裂くような激しい悲鳴が響き渡り、頭痛の痛みは頂点に達した。
ティーナが駆け寄って何か言っているのも、キラに気づいたリラ達がドアを開けてやってくる様子ももうぼんやりとしている。
そして、キラは気を失ってその場に倒れ込んだ。