第3章:第8話
授業の終わりの鐘が鳴り、みんな帰り支度をしはじめた。鞄の中に物を詰め込んだり、友達とぺちゃくちゃ喋ったり、教室内は騒がしかった。
そんな中、キラは一人テキパキと帰り支度を進めていた。もちろん今日は急いで学校を出てセイラと例の杖をかけてゲームをしなければならないからだ。
キラは余計なおしゃべりもせず、教科書を鞄に入れ、杖を持って教室を出ていこうとした。
すると、それを見たリーゼがキラの方に来て言った。
「キラ、どうしたの。今日はずいぶん帰るの早いね?」
リーゼがそう尋ねるとキラは杖を強く握りしめた。
そして拳を握りしめて気合いの入った表情でリーゼの方を向いて言った。
「…今日は、決闘に行くんだ!」
気合い十分なキラとは対照的にリーゼはどう反応すればいいかわからなさそうな様子でキラを見ていた。
唖然としているとしか思えない表情だ。その会話を聞いていたクラスメートたちも口をぽかんと開けながら唖然とした様子でキラを見ている。
そんなクラスメートの様子を気にも留めずにキラは元気よく手を振りながら言った。
「じゃっ、また明日ねー。
大丈夫、生きて帰ってくるからさ!」
そう言うと青ざめているリーゼをよそにキラは勢いよく教室を飛び出して行ってしまった。
◇ ◇ ◇
天気は快晴。どこまでたどっても雲一つないすがすがしい青空だった。
箒で飛ぶには最高の天気だ。キラは空を見上げて今日の天気を確かめてから満足そうに少し笑って歩き始めた。
校門のところまで歩いていくと、キラは校門の前で話している二人の人影を見つけた。ゼオンとルルカだ。
キラは急いで二人のところまで走っていった。
「やっほー、結局あんたたちも来るんだ?」
キラがそう言うと二人は話を止めて振り返った。そしてルルカが複雑そうな表情で言った。
「別に行きたいわけじゃないわよ…。けど、あんな怪しい女見過ごすわけにもいかないじゃない。
…ところで貴女、箒はどうしたの、使うのよね?」
「ああ、杖と箒、両方持ってくと重いしかさばるし大変だから朝のうちにオズのとこに行って預かってもらったんだ。」
キラがそう言うと、さっきまで何も言わなかったゼオンが納得した表情で言った。
「ああ、それで今朝遅刻したのか。」
「あーもう、うるさいなっ!」
キラはむきになってそう言った。ゼオンはキラなんて気にも留めずにただ無視するだけだった。
キラはその態度が気に食わなく口を尖らせた。けれど何をしたってゼオンは無表情でキラの言うことを聞き流すだけだ。
そんなとき、キラはあることを思い出した。昨日セイラから聞いたことだった。キラはゼオンに聞いてみた。
「ねーねー、あんた甘党なの?」
ゼオンの表情が急に驚いた変わった。
そして、先ほどまではキラの言うことなんて無視するだけだったのに急にキラの方を向いた。
これは図星だなとキラは思った。ゼオンはしばらく驚いた様子でキラを見ていたがしばらくしてぷいとそっぽを向いて言った。
「……違う。」
いや、図星だ図星だ。いつもと違うゼオンの反応を見て面白がっていると、ルルカがため息をついて言った。
「…貴女よくわかったわね。たしかにこの人甘党よ。
お菓子とか大好きなのよ。あと紅茶にシュガースティック三本よ。あとコーヒーなんて苦いから飲めないんですって。ありえないわ。」
ルルカがそう言うとゼオンは急に機嫌を悪そうにつぶやいた。
「……よく言うな、料理下手なくせに。」
「あ、やっぱそうなんだ…。」
そう言うとルルカの眉間がピクリと動いてそのまましばらく黙り込んだ。どうやらやっぱりルルカは料理が苦手らしい。
ルルカはゼオンを睨んだがゼオンはわざとらしく目をそらすだけだった。
前から思っていたがこの二人は似たもの同士だなとキラは思った。ルルカはとても機嫌悪そうにゼオンに言った。
「なんでそこで料理の話が出てくるのよ。大体…」
「ねーねー、ルルカってどのくらい料理下手なの?」
ルルカの発言はキラによって見事にかき消されてしまった。
ゼオンはいつもと変わらない口調で続ける。
「俺がちょっと留守にしてた時にティーナがルルカに一度料理作らせたらしいんだけどな、その翌日あのティーナが一日寝込んだ。」
それはすごい。あのハイテンション女が寝込むとは。よほどの破壊力なのだろう。
キラは興味津々でゼオンの顔を見て聞いた。
「で、で?一体どんな料理だったの?」
「本人が言うにはクリームシチューだったらしいんだけどな、ティーナが言うには『赤紫色でとぐろまきながらグツグツ言ってる生暖かいトルコ風アイスみたいなもの』らしい。
…どんなものか想像つかねえけど。」
「……たしかに。っていうかそれってティーナの言い方もまずいんじゃない?
暖かいものに『トルコ風アイスみたい』なんて普通言わないよ。」
「…俺に言うな。ティーナに言え。」
まあそれもたしかにそのとおりだ。言い出したのはティーナなのだから。
けれどなぜか今日はティーナがいなかった。辺りをきょろきょろ見回したが見つからない。
キラは少し不思議に思った。授業が終わってゼオンが出てきたとなると、ティーナもここにやってきそうな気がするのに。キラはルルカに聞いた。
「ねえ、そういえばティーナは?」
「さあね。別のところぶらぶらしているんじゃないの?」
困ったなあとキラは思った。ティーナがいないとどういうことになるか昨日痛感したばかりなのに。
これで図書館に行ったらまた気まずい雰囲気になるのだろうか。まあ、居ても気まずそうだけど。
そう思うと気が重くてキラは思わずため息をついた。
そしていい加減こんなところで話していないで図書館に行こう思い歩き出した時、ルルカがキラの襟を引っ張って引き止めた。
「ところで貴女に一つ聞きたいことがあるのよ。
料理が下手だの甘党だの……それ、誰に聞いたのかしら?」
後ろから熊でも思わず縮こまりそうなくらいの素晴らしい威圧感が流れ込んでくるのがたしかにわかった。
キラは立ち止まるしかなかった。引きつった笑顔を浮かべながら後ろを振り向いた。無表情で黙りこくっているのがのがさらに怖い。
もうこれは今すぐ答えないと殺されるなとキラは思った。
仕方なく小さな声でキラは言った。
「……セイラ。」
「ふぅん…」
怖い怖い怖い。人生至上感じたことのない恐怖だ。同じ人型の生物からここまで凄まじい威圧感が出るとは驚きだ。
ルルカは無表情でキラを見下ろしたまま何も言わなかった。キラは引きつった笑顔を浮かべたまま何も言わなかった。
今度からセイラから勝手に色んなことを聞くのは止めたほうがいいなとキラは思った。
緊迫した空気が流れる中、二人の様子を眺めていたゼオンがため息をついた。
「お前ら一体どこのガキだ。とっとと行った方がいいんじゃねえのか。」
そう言ってキラの前を歩き始めた。キラは慌ててその後を追った。そしてその後をルルカが歩いてくる。
空はすがすがしい快晴。雲一つない青空。空を飛び回る派手なゲームにはもってこいの天気だった。
◇ ◇ ◇
木が軋む音が響き、重たいドアがゆっくりと開かれた。図書館の中は相変わらずアンティーク調の家具と無数の本棚が並んでいて、ここがどういう場所だかよくわかった。
木製で凝った彫刻がされた椅子や机が並んでいる。本棚も古いけれど洒落ていて趣のあるものばかりだ。
前から思ってはいたけれど、これはオズの趣味なのだろうか。ルイーネの趣味である可能性もあるなとキラは思った。
キラ、ゼオン、ルルカの三人は図書館内に入っていくと本棚の間を通り抜けてまっすぐオズのところへ向かった。
「お、ようやく来たな。たった今ルイーネたちを放したとこや。
あと十分でスタートやで。」
オズはキラたちを見つけると笑いながらそう言った。相変わらず部屋の雰囲気と口調が合っていない。
キラは左の方のテーブルを見た。セイラが呑気に椅子に座ってココアを飲んでいた。
セイラはどうしてこの杖を欲しがるのだろう。またそう思った。だが聞いたところできっと答えてはくれないだろう。
「オズ。朝預けた箒ちょうだい。」
オズは置いてあった箒を取るとキラのところまでやって来て手渡した。
セイラの目的が何だとしても、とりあえずやれることを頑張るだけだ。そう思ってキラは箒を強く握りしめた。
するとそれを見たセイラがココアの入ったカップを置いて立ち上がった。そしていつもどおりの落ち着いた口調で言った。
「じゃあ、キラさんも来たことですし、外に出て準備しましょうか。」
そう言ってセイラはすぐに外に出ていってしまった。この勝負で杖を手に入れられるかどうか決まってくるというのに、セイラには随分余裕があるように感じた。
まあ、もとからセイラは余裕綽々といった様子で話す人ではあるが。
それにしても、セイラは杖も何も持っていなかったが、どうやって魔法を使うつもりなのだろう。
そんなことを考えていると、後ろにいたルルカがキラをちらりと見て言った。
「…それにしても貴女、勝算あるの?
あの謎女、あなどらない方がいいかもしれないわよ。」
「ほえ?どーして?」
キラは不思議そうに首を傾げた。ルルカがそんなことを言うなんて珍しい。
そう思っていると、ゼオンがこう言った。
「…あいつ、見た目はただの子供だけど、あれは相当の修羅場をくぐり抜けてきてるぜ。
まあ、ただの勘だけどな。」
ゼオンの勘はよく当たるから怖い。これからという時にそんなに脅かさなくてもいいじゃないかとキラは思った。
少し心配になってキラはため息をついた。そして箒と杖を両方持って図書館の外に出ていった。
図書館の外ではセイラが暇そうな顔をして待っていた。手にはやはり何も持っていない。
そんなとき、強い風がキラの髪をかすめた。今日はいい天気だが少し風が強い。
そう思ってキラは用心して箒にまたがった。そして地面を足で軽く蹴ると箒は薄い羽根のようにふわりと少し浮き上がった。
高度も安定しているし、激しく揺れたりもせず空中で静止している。上出来だ。
この安定さを他の魔法にも生かせればいいのになとキラはふと思った。
けれどそう思っていても仕方がない。キラは杖を持ったまま、宙に浮いた箒の上でサーフボードに乗っている時のように立った。
するとゼオンがキラに言った。
「お前、それ落ちるぞ。」
「いーの、大丈夫。こっちの方がスピード出るんだよ。」
キラははっきりそう言い切った。
今度はセイラが地面を軽く蹴った。すると何も持っていないのにセイラの体はふわりと浮き上がり、キラの箒と同じ高さまで上がった。
キラは驚いて目を見張った。ゼオンやオズがセイラのことを不思議がるわけが心底よくわかった。羽も箒も持たずに空を飛べるなんて。
キラが驚いてぽかんと口を開けていたがセイラはこれが当たり前とでも言うかのように呑気に髪をいじっている。
するとオズがキラに言った。
「キラ、大丈夫やとは思うけど、頼むから落ちるんやないで。
またあのババアに睨まれるのごめんやし。」
オズがわざわざそんなことを言うとは。一体オズとリラはどれだけ仲が悪いのだろうか。
そう思っているとセイラが皮肉っぽく言った。
「未だにあの人に恨まれているんですか?」
オズは少し顔をしかめた。そして答えるかわりにセイラにこう言った。
「…お前、性悪って言われたことあらへん?」
「とある女々しい女に『性悪魔人一世』と言われたことならありますよ。」
それは堂々と言うことじゃないだろうとキラは思った。威圧感たっぷりな二人の雰囲気を見て二人の仲がよくなることはないだろうなと思った。
そう思っていると、ゼオンが図書館の中にある時計をちらりと見て言った。
「もうそろそろ10分経つぞ。」
「そうか。じゃ、ルルカ、スタートコール頼むで。」
「…なんで私なのよ…」
ルルカはとても嫌そうに呟いた。
けれど結局、仕方なく二人に言った。
「…あと10秒でスタートよ、いいわね?」
キラもセイラも頷いた。
杖を握りしめる力が強くなる。
ルルカはそれを確認してから言う。
「3…2…1……」
キラは顔を上げ、吹きつける風を睨みつけた。
「スタート。」
その声と同時に二人は深い森の上空へと飛び立っていった。
◇ ◇ ◇
少し強めの風が爽やかに吹き抜けていく。
村の通りは気持ちのよい青空に誘われて外に出てきた村人たちで賑わっていた。気持ちよい青空の下、通りのど真ん中で気持ちよさそうにスキップして歌いながら歩いている人が一人いた。
「あるー日ー、おりのなーかー、おにさーんにーであーったー」
こんなひどい歌詞の歌を口ずさみながら歩いていたのは紛れもなくティーナだった。
正直ティーナは今日はかなり暇だった。することはないし、だからと言って宿にこもっているのもつまらない。
しょうがないのでルルカを連れまわして遊ぼうと思ったのに気がついたらルルカは出かけていた。
そんなこんなでしばらく近くの草原でひなたぼっこをしてごろごろしていたのだが、キラたちの授業が終わる時間になったので、ゼオンに会いに行こうと思って胸をときめかせながら学校へ向かっているところなのだった。
ティーナはものすごい歌詞の歌を歌いながら順調に学校へと向かっていった。
「血が咲くおーりーのーみーちー……あっ!」
ティーナは誰かを見つけて立ち止まった。目の前から見覚えのあるおとなしそうな水色の髪の少女が歩いてくる。
一瞬ティーナは誰だか思い出せなかったが、しばらくして思い出した。
たしかキラと初めて会ったときにキラと一緒にいたリーゼとかいう少女だ。ティーナはさっそくリーゼのところに走っていった。
「ねーねー、あんたキラと一緒にいた水色のクルクルだよね?
ゼオンどこにいるか知らない?」
「えっと…ゼオン君と一緒にいたティーナさん?
というか、水色のクルクルじゃなくてリーゼって言うんだけどな…。」
「うんうん、でさあクルクルちゃんゼオンの居場所知らない?」
リーゼはなぜかしばらく無言で硬直した。
けれどしばらくしてから優しくこう答えた。
「えっと、ゼオン君なら学校にはいなかったよ。
なんか、キラが…決闘するとかなんとか言ってたからひょっとしたらキラについて行ってるかもしれない。」
「へー、キラどこで決闘してるかわかる?」
「オズさんのところ。」
リーゼは優しく笑ってそう答えた。こうなったら図書館まで行くしかないなとティーナは思った。
ゼオンがいるかもしれないところにティーナが行かないわけがない。
「よっしありがと!
バイバイ、クルクルちゃん!」
ティーナはそう言うと元気よく通りを走って行ってしまった。