第3章:第7話
辺りはもう大分暗く、暗幕にすっぽりと覆われてしまったようにさえ見えた。そんな深い深い夜空のあちこちにぽつりぽつりと星が儚げに光っている。
そして、夜空の真ん中には大きな真珠のような月がいた。これは毎度のことなのだが、夜空に浮かぶ満月はなぜかどこか寂しげに見えた。
太陽は完全に沈んだにもかかわらず、村の中央通りにはまだ人がそれなりにいた。
だが、そんな人々は大抵村に勤めている役人のようで、もの珍しげに通りで話しているゼオンとルルカをちらりと見ては、夜の闇に急かされるように足を動かし、あちこちの民家へ入っていくのだった。
ゼオンとルルカがいるのはちょうど郵便局の手前にある数少ない街灯の下だった。
「またややこしいのが来たわね。
あの謎女、…セイラとか言ったかしら。貴方はあの子に心当たりとかあるの?」
ルルカが静かにそう言った。ゼオンは馬鹿馬鹿しそうに答えた。
「あったら苦労しねえよ。ないから厄介なんだろ。」
ルルカは何も言わなかった。ゼオンはため息をついて郵便局の壁に寄りかかる。
あのセイラという少女は一体何者で、何が目的なのだろうか。まず、セイラの種族がわからない。ゼオンは今までの経験で、羽も箒も使わずに空を飛べる人は見たことがない。
そもそも有り得ないはずなのだ。羽も媒体も無しに飛べる種族など存在しないのだ。魔術師、天使、悪魔、獣人、吸血鬼のどの種族でも不可能だ。
次に問題なのはどうしてセイラがゼオンたちのことをあんなに知っていたかだ。
理由として考えつく可能性は二つあった。一つは、誰かゼオンたち全員について知っていて、そのことについてこと細かに話した人がいること。
もう一つはゼオンたちのことについて知ることができる特殊な能力のようなものをセイラが持っていること。どちらが本当だったとしてもあまり気分がいいものではなかった。
そんなことを考えていると、突然ルルカが下を向いてつぶやいた。
「…私、嫌いだわ、ああいう奴。」
ルルカはそう言うが、そんなことを言ったらルルカはどんな人のことも嫌いと言っているような気がする。
じゃあ一体どんな人だったら嫌いじゃないのかと思うが、ルルカは自分のことを話すことを嫌うので話してはくれないだろう。
それに、自分のことをあまり話したくないのはゼオンも同じだ。ルルカのことを言える立場ではない。そんなことを考えているとルルカは続けてこう言った。
「他人の痛い部分をあんなにずばずば突くなんて…。
オズの奴に同情するつもりはないけど…気に食わないわ。」
ルルカは珍しく眉間にしわを寄せてあからさまに不快そうにそう言った。
その気持ちはわからないことはなかった。おそらくゼオンだって、他人の目の前で自分の話されたくないことを、言われたくないことをあんなに鋭く突かれたらきっと不快に思うだろうから。心の底にある沼が、深ければ深いほど、そこをかき乱された時は痛いはずだから。
だが、ゼオンは別にセイラをそこまで責めるつもりはなかった。セイラとオズのやりとりを見ていて、ゼオンはセイラについて少しわかったことがあった。
「結局、きっとあのセイラってのも俺達と同じなんだろ。」
ゼオンは静かにそうつぶやいた。ルルカは首をひねりながらこちらを見ている。どういう意味だかいまいちわからなかったようだ。
ゼオンはルルカの表情を見てため息をついたかと思うと、郵便局の壁に寄りかかるのを止めて、来た道を戻り始めた。ルルカはゼオンを静かに呼び止めた。
「どこに行くのよ。」
「どこって、学校に決まってんだろ。
消灯時間、とっくに過ぎているからな。あまり遅いとロイドがまたうるさい。」
それを聞いたルルカの表情が急に真剣な顔から呆れ顔に変わった。ルルカはため息をついて言った。
「…貴方って、不良行為ばっかりしているのに成績はすごくいいっていう一番ムカつくタイプよね。
というか、貴方に学校であのキラって子以外に話せる人がいたのね、意外だわ。社交性ないからてっきりツンとして一人でいるのかと思っていたのに。」
「あのお節介な馬鹿女が間に入って色々言ったせいだ。 俺は別に一人でも構わなかったんだけどな。」
「なるほどね、納得だわ。それじゃあ私も早く帰ろうかしら。
こっちもあまり遅くなると暇だ暇だって言ってティーナがうるさいのよね。それじゃあまた明日。」
そう言うと、二人ともそれぞれの帰る場所へと歩き始めた。
だが、なぜかルルカは数歩歩いてすぐにぴたりと足を止めた。そしてゼオンの方を向いて言った。
「…待って。一つ答えなさい。」
「何だ。」
ゼオンはぴたりと足を止めた。ルルカは続けて言う。
「あの謎女が何者だとか、シルクハット男の目的がどうのとか言ってるけど……貴方にも何か目的があるんじゃないの?」
冷たい風が二人の髪をかすめて通り過ぎていった。急に辺りは静まり返り、場の雰囲気も一気に変わった。
ゼオンは何も言わなかった。面倒くさいことを聞いてきたなとゼオンは思った。答えるかわりにゼオンはこう聞いた。
「どうしてそう思うんだ?」
「この杖のことが絡んできた時の貴方はらしくないわ。
…貴方はどうしてこの杖のことについて知りたいの?」
ゼオンはため息をついて言った。
「……言えないな。」
「どうしてかしら?」
ルルカは鋭い目でこちらを見ながら問い詰めるように尋ねる。そんなこと、ルルカにはっきり言うわけがない。
ゼオンは再びルルカに背を向けて歩き出す。そしてこう言い放った。
「お前が、人間不信な理由と王女扱いされるのを嫌がる理由を言いたがらないのと同じだ。」
そう言うとゼオンはまだ何か言いたげなルルカを残して学校の方へと歩いていった。
ゼオンがこの杖について知りたがる理由。言いだす気は全くなかった。ルルカに人間不信になる程の過去があるように、ゼオンにもそれなりの過去がある。
あの日は、今日のような、不気味なほど綺麗な満月が天井にあった。マフラーもコートも全く意味がないくらいの肌を突き刺すような寒さだった。辺りは真っ白な雪景色で、仲の良さそうな親子連れを何組も見た。
…あの日の出来事を忘れられるわけがない…
◇ ◇ ◇
「…大丈夫なんですか?」
ルイーネが心配そうに言った。
窓から見える景色は真っ暗で、森の向こうにぽっかりと白い月が見えるだけだ。
辺りはすっかり夜になっていた。静寂の中、時折ふくろうの声が寂しげに響く。
オズはまだ整理し終わっていない本が山ほど机に積み上げてあるにもかかわらず紅茶を飲みながら外を眺めていた。
シャドウとレティタはもう寝ている頃だろう。時計は既に11時を回っていた。
ルイーネが身長よりはるかに大きな本を持ちながらオズに再び尋ねる。
「その…キラさんの杖のこと…どうするんですか?」
「…俺はどうもせえへん。」
オズは窓の外に目を向けたまま、そう答えた。ルイーネは目を丸くした。相当意外に思ったらしい。
そして持っていた本を下に置くと不思議そうにオズに尋ねた。
「何も…って、意外ですね。いつもならいろいろ小細工して、杖が村の外に行かないように仕向けそうな気がしたんですが。」
ルイーネがそう言うとオズはようやくルイーネの方を向いて少し笑って答えた。
「ルイーネ、言っとくけどな、俺はキラの杖まで意地でもこの村に置いておこうとする気はないで。三本あれば十分や。
それにあんな杖、キラに持たせとったら危ないやろ。」
ルイーネはさらに目を丸くしてぽかんと口を空けた。相当驚いたらしい。一体ルイーネはオズのことをどれほどのワルだと思っていたのだろうか。
オズは少し不満そうにルイーネを見た。するとルイーネはまた不思議そうにオズに聞いた。
「えっと…それじゃあ、明日のことについては特別なことはしないってことですか?」
「そうそう…と言いたいとこやけどそういうわけでもないんやな。
あのガキとキラのゲームの時、お前らに色々と指示は出させてもらうからな。」
またルイーネは首をかしげる。ルイーネの脳内にさらに疑問符が浮かんでいることがよくわかった。
どうやらオズが何を考えているのかわからないらしい。そんなルイーネにオズは笑いながら言った。
「…あの謎女が俺らのことあんだけ知ってる理由、だれか俺らの情報をバラした奴がおるのか、それとも何か別のからくりがあるのか。…それくらいは知りたいやろ?」
ルイーネははっとしたようにオズを見ると、「それはそうですねぇ。」と少し怪しげに笑いながら言った。
オズも笑い返してカップに残っていた残りわずかな紅茶を飲み干した。
ルイーネは先ほどよりも少し楽しそうな表情で机の上の本を持って本棚の方へ飛んでいった。
そしてルイーネが飛んで行くのを確認してからオズはつぶやいた。
「あいつについて知ってる奴を、のこのこ逃がすわけにもいかんしな…。」
オズは悲しげに、寂しげにそうつぶやいたかと思うと、普段は苦手で飲まないはずのローズヒップティーの缶へと手を伸ばした。