プロローグ
夜明けはまだ遠い。空はまだ漆黒の闇に包まれている。
青白い月明かりがぼんやりと見えている。
聞こえてくるのは風の音だけ。人の声は聞こえない。
誰もいない。ここには居ない。
「…静かね。」
少女が一人つぶやいた。
そこは学校か何かの建物の屋上でとても見晴らしがよかった。
少女はそこから辺りを見下ろした。見えてきたのは小さな村と村を取り囲む広大な森。
村の中央には小さな広場があり、そこから村のあちこちへと道が延びている。
懐かしいな、と少女は思った。
そんなとき、どこからか声が聞こえた。
『何してるのよリディ。早くやること終わらせなさい。』
後ろからだ。高飛車で意地悪で、残酷ささえ感じる声だった。
けれど後ろには誰もいない。何も見えない。
けれど少女はそこに間違いなく「ある人物」がいることを知っていた。
実体は無いけれども、そこにはたしかに何かがいる。
リディと呼ばれた少女はその「ある人物」に答えた。
「わかってるわよ、メディ。そう急かさなくても何もせずに帰ったりしないわ。」
『どうかしら、あなたは嘘つきだもの。』
メディと呼ばれた声があざ笑うような調子で答える。
リディはそれに対して何の文句も言わなかった。
仕方がない、早くやることを済ませよう。そう思ってリディは小さな村と広大な森に背を向けた。
リディは両手を前に伸ばした。そして何かの呪文をブツブツつぶやき始めた。
「蒼き力よ…この世を創りし遥かなる力よ…」
そう呟き始めたとたん、屋上の広い床にぼうっと光が現れた。
光は一瞬で屋上全体に広がり、やがて、床に大きな魔法陣が現れた。
魔法陣が現れたことを確認すると更にリディは続けて呪文を唱える。
「この地の定めよ…我が意に従え…破滅の神の四つの杖を…この村に導きたまえ。」
リディが呪文を唱え終わると、魔法陣はいっそう強く輝き始めた。
蒼く、強く輝く魔法陣から放たれた光は空高く昇っていく。
その光の色は天井に輝く月の色に似ていた。
青白い光はやがて空中で集まり、大きな樹のような姿になった。
木になった光はゆっくりと空に枝を伸ばしていく。
空を包み込みそうなほどに強い光を樹が放った時、今度は空の月が強く輝きだした。
まるで、リディの思いに応えているかのようだった。
リディは少しほっとした。うまくいったらしい。
そのとたん、魔法陣の光が消えた。同時に光の樹も魔法陣も消え、月の光も弱まった。
リディはメディに言った。
「ほら、ちゃんとやったわ。これでいいんでしょう?」
『ええ、いいですとも。』
メディは満足げに言った。
満足げなメディとは対照的に、リディは辛そうにため息をついた。
少し昔のことを思い出した。もう戻らない過去のこと。
思い出して、懐かしんで、けれどそれは所詮過去のことだと知り空しくなった。
『アハハ、もうすぐ…もうすぐだわ…』
メディは楽しそうに笑い始めた。
リディは笑えなかった。無表情のまま虚空を見つめていた。
その時、地平線が明るくなりはじめた。暗かった空がだんだんと明るくなり始めた。
どうやら夜明けが近いらしい。
「そろそろ行くよ。」
リディはそう言って屋上から飛び降りた。
地面から屋上までは結構な高さがあったはずだが、リディは何事もなかったかのようにきれいに地面に着地した。
リディは空を見上げた。だんだんと明るくなっていく空を見て思う。
もう一度やり直せたらいいのに。過ぎてしまった時を、もう戻らない過去をやり直せればいいのに。
そして、リディとメディはどこかへ歩いて行ってしまった。
「…一体、どこから間違いだったのかしら。
どれが間違いで…何が正しかったのかしら。」
ぽつり。リディは呟いた。