第2章:第13話
いつもは静かな夕暮れの草原は今日はいつもより賑やかで、魔物の吠える声と灼熱の炎が燃え上がる音に包まれていた。
もうすぐ沈みきる真っ赤な夕日がまだゼオンとキラを見守っている。
村が近くにあることなんて忘れてしまいそうなほど広い草原のど真ん中。ゼオンは杖を握りしめながら魔物と対峙していた。
両者共に一歩も動く様子はない。緊迫した空気と沈黙が続く。風の音しか聞こえない中、両者はさっきから一歩も動かずにいた。
先に動き出したのは魔物の方だった。
魔物は大音声で吠えたかと思うと今度はゼオンめがけて突進してきた。ゼオンは素早く一歩左にずれてそれをかわす。
勢い余って魔物はゼオンの後ろに生えていた木にぶち当たった。
後ろを向かなかったのではっきりはわからないがミシミシという音の後に轟音とともに木が倒れる音が聞こえた。
これは直撃だとひとたまりもないなとゼオンは思った。そして草を踏み分ける音が聞こえ始める。
魔物はまたゼオンの方に狙いを定めたのだろう。魔物の唸り声がさらに大きくなった。
木にぶち当たったせいで機嫌が悪いらしい。背後から感じる殺気は強くなる一方だった。
一歩一歩、低い唸り声を上げながら少しずつ魔物が近づいてきているのを感じる。
そして、一瞬草を踏む音が止んだかと思うと魔物は再び地を蹴って走り出し、ゼオンに飛びかかってきた。
「…力はあるけどのろいな。」
ゼオンはそうつぶやき、ぺたりと地面に伏せた。上を魔物が通り過ぎると同時に起き上がり、ぶんっと杖を振りながら魔法で火を出す。
魔物はひょいと向こう側へ跳んでその攻撃を避け、火は地面に深い芝生の草に当たっただけだった。
すぐにゼオンは魔物に向かって真正面から走り出した。魔物は馬鹿にしたように笑い、炎を吐き出した。
ゼオンはそれを予測していたかのように素早く後ろに回り込んだ。
それに気づいた魔物はすばしっこいゼオンを追うように炎をはきながらくるくると辺りを見回すように一回転した。その途端、ゼオンが魔物から素早く一歩離れてつぶやいた。
「…馬鹿だな、お前。」
そう魔物に言った時、初めて魔物は周囲を見回し、自分が燃え上がる炎の輪の中央にいることに気づいたようだった。
走り回っているうちに、草が伸びきっている場所に来ていることに気がつかなかったようだ。
そんなところで炎をはきながら一回転したら、草に火が燃え移り、炎に囲まれ、身動きが取れなくなるに決まっている。
面倒なので早く片付けたいと思ってやったことだったがまさか本当に引っかかってくれるとはゼオン自身でも思っていなかった。
魔物は逃げ場を探して様々な方向を向いたが、魔物の正面にあるのは燃え盛る炎だけで、逃げ道なんてどこにもない。
炎の輪は魔物を完全に閉じ込めてしまっていた。
「…終わりだな。」
慌てた様子できょろきょろ辺りを見回して存在しない逃げ道を探す魔物の方へ顔を向けたゼオンは魔物を取り囲む炎に合図を送るかのように杖を振り上げた。
途端に魔物を取り囲む炎の輪から無数の真っ赤な火の玉が飛び出し、魔物に次から次へとぶち当たっていく。
まるで玉入れでもしているかのように、全ての火の玉は魔物めがけて飛んでいく。
魔物は身動きがとれるはずもなく、苦しそうな鳴き声をあげながら、地面にうずくまった。
「そろそろ懲りたか?」
ゼオンがそう言うと同時に火の玉が消え、魔物を取り囲んでいた炎の輪も消えてしまった。
ゼオンは魔物の目の前まで歩いていき、杖を突きつけてこう言った。
「とっとと失せろ。骨くず一つ残らないくらい焼き尽くされたくなかったらな。」
ゼオンがそう言うと同時にその魔物は火傷した体をゆっくり上げて、静かに森へ戻っていった。
◇ ◇ ◇
キラは魔物からどんどん離れ、ひらひら飛び回っている妖精の方へと走っていた。ゼオンが足止めをしたので魔物はもうキラを追ってはこない。
キラの視線はふわふわ飛び回る妖精一点に集中していた。妖精はまだこちらには気づいていない。
スピードを徐々に上げながらなおかつ足音を殺して妖精に近づいていく。
こういうことに関してはどちらかというとと得意なので苦労はなかった。
妖精との距離はもう10メートルなかった。一発でキメてやる。そうキラは思った。
そしてしっかりと狙いを定めて飛び上がった。キラは空高く舞い上がって妖精へと手を伸ばした。
普通ならそう簡単に飛び上がれない高さでもキラならとてもたやすく飛ぶことができる。
妖精はすっぽりとキラの手の中に収まった。それと同時にキラの口元が軽く上がる。
これであとは着地するだけ。そう思った時だった。
グアオォォといううなるような魔物の叫び声がキラの耳に突き刺さった。驚いてキラは視線を地面へ下ろす。
着地地点にはなんだか恐ろしげな牙を持った魔物が一体、待ち構えるようにキラの方を向いていた。
さっきとは違う魔物だ。魔物がもう一体いただなんて聞いてない。
まずい。キラの心臓の音が早くなりはじめた。魔物はキラと目が合うと、ニヤリと笑い、突然キラめがけて飛びかかってきた。
だからといってむざむざやられるわけにはいかない。キラは右手にもった妖精を素早く左手の籠の中に入れると、魔物の爪がキラに触れる前に魔物の頭を踏んづけ、踏み台にして魔物を飛び越えて地面に着地した。
ひとまずピンチを切り抜けることができたキラはほっとして息をついた。だがすぐに魔物の唸り声が耳に入る。
警戒しつつ後ろを振り向くとそこには頭を踏んづけられたせいか非常に機嫌悪そうな表情を浮かべている魔物が立ちはだかっている。
「2体いるなんて聞いてないよ…。」
キラは冷や汗を拭いながらつぶやいた。
キラは焦りながら一歩後ずさりする。目の前には機嫌悪そうな一体の魔物。近くに人は誰もいない。
ゼオンもきっと今はもう一体の魔物の相手で忙しいところだろう。助けが来ることはまず期待できなかった。
けれど、キラはここでへばって泣いて喚いて助けを求めるような人ではない。
とりあえず近くの芝生に籠を置き、いつ魔物が向かってきてもいいようにしっかり神経を集中させて構える。
助けが来そうな気配はない。なら自分でどうにかするしかないなとキラは思った。
力の強さと足の速さにはいくらか自信がある。それにリラにも日々(色んな意味で)鍛えられている。
いかにも恐ろしげな魔物ではあるが、よほど速くなければ多分キラでも勝てるだろう。たとえ勝てないほどの強さだったとしても何もしないでいるよりはましだ。
キラは魔物に向かって勢いよく走り出した。同時に魔物の方も鋭い爪で攻撃してくる。
キラはそれを素早くかわして後ろに回り込み、背中に三発、強烈な蹴りを入れた。
鈍い音と共に魔物は前に倒れ込む。すぐさまキラは魔物の背中を駆け上がり、首の後ろあたりにもう一発蹴りを入れようとする。
だがその時、魔物は素早く体勢を立て直し、腕でキラをはらいのけるように突き飛ばしてしまった。
キラの左腕に痛みが走る。だが地面に落ちる直前にすぐに受け身をとった。おかげで直撃だったものの、怪我は左腕のかすり傷だけだ。
相手の速さもそこまで速くない。油断しなければ多分気絶させるくらいはできるだろう。
キラは再び魔物に向かって走る。魔物の方も迎え撃つように鋭い爪で攻撃してくる。
キラの口元が少し上がった。そこらの魔物がスピードでキラに勝てるわけがない。
キラは攻撃を全てかわし、さっと魔物の懐に潜り込むと、魔物の左足をつかみ、キラの身長の2倍はありそうな魔物の巨体を投げ飛ばした。
魔物は10メートルほど離れたところに痛々しい音を立てて背中から落下した。
魔物は追撃はされるまいとよろよろと立ち上がろうとする。
だが、キラが魔物の腹を踏んづけ、それを防ぐのが先だった。
「きらきらいなずまキック、くらってみるぅ?」
キラはニッと笑ってそう言った。すると次の瞬間、キラの目がキッとつりあがり、魔物の腹にマシンガンのような勢いの蹴りが何十発も入れられていった。
結局、キラが魔物を蹴るのをやめたのは、もう魔物の鳴き声さえ聞こえなくなってからだった。
腹に強烈な連続キックをくらった魔物は完全に気絶して、起き上がってくることはもうなかった。
キラは魔物が気絶したことを確認して、ほっとして息をついた。一時はどうなるかと思ったがこれで一安心だ。
ゼオンもきっと魔物の相手をし終えたころだ。国に追われる大犯罪者とかいうくらいだから魔物なんかに負けたりはしないだろう。籠を拾い上げ、歩き出そうとした時だった。
「『きらきらいなずまキック』なんてしょぼそうな名前の割には強いんだな。」
これっぽっちも驚いてた感情がこもってない声が聞こえた。
キラが後ろを向くとそこには既に魔物の相手をし終えて暇そうに立っているゼオンの姿があった。
「きらきらいなずまキック」が何かわかるということは、さっきからキラが魔物と戦う様子を見ていたということか。
そう思ったキラはすこしムッとして言う。
「居たなら手伝ってよ。」
「悪いな。そんないかにも魔女って格好した女が素手で格闘してる様が物珍しかったんだ。」
「う、う、うるさいっ、魔法苦手なんだからしょうがないだろっ!」
キラが草原に響き渡るような大声で怒鳴り散らしてもゼオンはちっとも気にする様子はなかった。
ゼオンはキラのところまで歩いてくると怒ってるキラに対してぶっきらぼうに言った。
「じゃ、俺は帰るからな。
あとは自分でどうにかしてくれ。」
「無責任だなぁ…オイ。」
「お、『無責任』は間違えなかったな。」
ゼオンの言葉にカッとなったキラは手をぶんぶん振り回しながら騒いだ。ゼオンはキラなんていないかのように村の方へ歩いていく。
キラは悔しそうに歯を食いしばって追いかけようとする。すると、ゼオンの足が突然ピタッと止まった。
驚いたキラもつい足を止める。
「お前、後ろ危ないぞ。」
その言葉を聞いてキラが後ろを振り向こうとした瞬間、後ろから夕焼け空を裂くような魔物の鳴き声が聞こえた。
後ろを振り向くと今にも鋭い爪をキラに突き刺そうとしている魔物がいた。
いつの間にかさっきの魔物が目を覚ましたらしい。
キラはとっさに避けようとしたがその瞬間、さっき怪我した左腕がズキンと痛み、抑えてしまって、すぐに体が動かない。
そうしてる間にも魔物の爪がどんどんキラに迫ってくる。
まずい、当たる。そう思い、思わず目をつぶったその時だった。
目の前を黒い影がかすめた。
誰だろう。そう思った次の瞬間、魔物の悲鳴がキラの耳に突き刺さった。
キラは驚いて顔を上げる。
目の前の魔物はもう襲いかかってくる様子はなく、痛そうに腹を抑えて、おとなしくするだけだった。
誰が魔物を止めたのだろう。ゼオンだろうか。
そう思ったキラは魔物の目の前に立つ人物に視線を下ろした。
その人物は先が鋭く光る細身の剣を魔物に突きつけていた。
すぐにわかったことはゼオンではないということと、すごく意外な人物だということだった。
「不注意すぎだよ、あんた。」
その人物はぶっきらぼうにキラにそう言い放った。
キラは驚き、指を差して言った。
「ブラック…先輩…!?」
目の前にいたのは間違いなくあのショコラ・ブラックだった。