第7章:第41話
サバトはそれからルルカに言う。
「それにしても、ルルカが皆さんと仲良くやれているようで安心しました。」
「仲良く? まさか、何言っているんですか。」
ルルカがツンと冷たく言うとサバトは面白そうに笑った。
「僕には、貴女は皆さん方を幾らか気に入っているように見えましたが?」
「勘違いですよ。きっと。」
「仕方がありませんね。ならそういうことにしてあげましょう。」
からかわれているようでルルカは少しつまらなかった。
その時廊下の方が騒がしくなってきた。「陛下が」とか「どこだ?」などと叫ぶ声が聞こえてくる。
サバトは危機感の欠片もないほわほわした物言いで言った。
「おや、そろそろ時間切れのようですね。」
「あの……?」
「ちょっと執務室から抜け出してきたんですよ。すみません、そろそろ行きますね。お説教が待っているようですので。」
サバトはそう言って部屋を出て行こうとした。こういった意味でもサバトは変わらない。
その後サバトはぼそりと呟いた。
「そうだ……ロアルの村といえば、余裕が出来次第あの方のことも考えなければなりませんね……。」
「あの……?」
「いいえ、こちらの話です。とにかく、このキラさんのご両親ことと反乱については結末はどうであれ一段落ついたようで何よりです。
ルルカにも色々世話をかけましたね。ありがとうございました。」
「そんなこと、気にしないでください。」
その会話の最中、ルルカは何か引っかかるものを感じた。
こういう勘がルルカに働くことは珍しい。普段ならゼオンに降ってくる考えだ。だがどうもしっくりこない。
本当にこの件は片付いたのだろうか?
引っかかる理由が最初ルルカはわからなかった。そう考えているうちにサバトは今にも部屋を出て行こうとしていた。だがその時ルルカは思い出した。
すぐにサバトを引き止めて尋ねた。
「あの、一つお訊きしたいのですが。」
「はい、どうかしましたか?」
「あの、キラの両親が亡くなった日、私……この城に来ていましたか?」
それはここに来るまでの間にイヴァンが言ったことだった。ルルカはそんなことをした覚えはない。
サバトの答えはこうだった。
「いいえ、ルルカが来ていたという話は無かったかと思いますが……?」
ルルカは少し安心した。自分の記憶通りの答えだった。
「そうですよね……。すみません、引き止めてしまって。」
「いいえ、気にしないでください。では、お元気で。」
優しい微笑みと暖かい言葉を残してサバトは扉の向こうに消えていった。
◇ ◇ ◇
出発の日は寒いがよく晴れていた。あの戦いの直後より大分気分は落ち着いたとはいえ、決して気分が良いとは言えないこんな時でも空は青くどこまでも続いていた。
帰りはキラ達五人だけで帰ることとなった。ディオンとイヴァンは駅までキラ達を見送りに来てくれ、キラ達は朝のうちにアズュールを出た。
帰りはとても楽だった。汽車に揺られて皆と喋りながら外を眺めていればいい。
元来た道を振り返ると、そびえ立つ城の壁に青空が映りこんでいるのが見える。壮麗なるアズュールの街ともこれでお別れだ。
ルルカがずっとサバトが居る城の頂上を見つめていたのが印象に残った。
「それにしても、あのキラキラ王子様みたいな国王様がタイプなんて、ルルカちゃーんもなかなか乙女だよねぇー。」
ティーナがからかうようにそう言うとルルカは頬を赤くしながら地獄の底のような目でティーナを睨みつけていた。
ティーナはもう怪我も完治し、来る前と同じように元気になったようだ。
あの戦いの直後にティーナが負った傷を見た時は数日で治るような怪我なのかと不安に思っていたのだが、怪我どころかもう傷跡すら残っていなかった。
城の設備と医務官の魔法のおかげなのだろう。
怪我といえばゼオンの怪我はティーナ以上に重いものだったようなのだが、こちらもほぼ完治したようだった。
だがゼオンの方は「ほぼ」であり、しばらくは激しい運動を控えるように言われたようだった。
――だが、ゼオンはその言いつけなんて守らなさそうに見えた。出発前、ディオンがゼオンに怪我のことも含めああだこうだと様々なことを気をつけるよう言っていたのを、ゼオンが右から左に聞き流していたのを見て、そうキラは確信していた。
ゼオンとクロード家との問題が最終的にどうなったのかキラは知らない。
だが少なくともディオンとゼオンの間にもうわだかまりは無いように見えた。
アズュールに来る前、ゼオンの言動からうっすらと見えた緊張感は帰る時にはもう消えていた。
ルルカはサバトとの別れを惜しんでいるというのに、ゼオンときたらもう窓の外には目もくれずに本を広げてそちらに熱中していた。
惜しまれることもないディオンが哀れだ。そう思った時、ゼオンは思い出したように何かを取り出した。
それはクロード家の紋章だった。
「そうだ……これ、返すの忘れてた。」
「ありゃ。まあ、また会った時に返せばいいんじゃない?」
「……そうだな。」
そう言ってゼオンは再び本へと視線を戻した。
汽車の中、時間が普段よりのんびりと進んでいくように感じた。
ティーナがくるくるきゃぴきゃぴと目まぐるしく動き回りながらゼオンに話しかけ、ゼオンは顔もあげずに軽くあしらう。
その様子がおもしろくてキラが笑い、そこからティーナとキラのお喋りに発展し、窓の外から列車の中へと視線を戻したルルカがいつの間にかそのお喋りに加わっていた。
反乱の前と同じとは言えない。キラ自身が反乱の前と後では何かが違った。
だが、この一時の暖かさは反乱の前と何も変わっていなかった。この時間が永遠であればいいのにと思ったくらいだ。
そんな時間の中、ふと窓の外を熱心に見つめるセイラの姿が目に留まった。
もしかして出発した時からずっとセイラはこうして窓の外の風景を見続けていたのだろうか。
窓に張り付くように身を乗り出し、四角の枠の向こうに広がる世界を見つめる瞳は今まで見たことがないくらいに大きく輝いて見えた。
キラは自分の足元に荷物と一緒に置いてある杖のことを思い出した。
セイラは何を知っているのだろう。何が見えているのだろうか。尋ねようとしてもセイラはこちらを向いてはくれない。
だがセイラがここまで一緒に来て、そしてキラ達を助けたことにはきっと意味があるとキラは信じていた。
結局、汽車が終点に到着するまでセイラの目が空から離れることは無かった。
セイラの深い蒼の目に映り込む雲の白が綺麗だった。
終点の町はちょうどロアルの村の隣に位置する。
そこから村への到着は早かった。村と隣町の間には深い森があるので、たどり着くのに苦労するかと思ったら、ゼオンの瞬間移動の魔法で、村のすぐ近くまでは一瞬で行けてしまった。
そこから少しの間暗い森を歩く。こうしてゼオン達と森の中を歩いていると初めてゼオン達と会った時のことを思い出した。
だがあの時のような険悪な空気はもう無い。その小さな変化がキラは嬉しかった。
暗い森を抜け、懐かしい辺境の村の姿が見えた時にはもう空は赤く色づき始めていた。
少し坂になっているこの位置からなら村全体を一望できた。
村の中央には小さな広場、そこを取り囲むように民家や店や村の施設が立ち並び、その建物達を取り囲むように畑があり、更にその周りに草原が広がってる。
木々と草原に囲まれたこの狭い村は緑色の都のようだった。
坂を下り、村へと足を踏み入れた途端、キラ達の目の前にスルリと蠢く薄紫の魔物が舞い降りてきた。
全身に赤い目玉がついているこの魔物の姿も懐かしい。キラは魔物に言う。
「久しぶり、ルイーネ。……あ、ホロって言った方がよかったのかな?」
すると魔物から高い愛らしい声がした。
『いえ、ルイーネでいいですよ。皆さんおかえりなさい! 長旅お疲れ様でした。ご無事のようで何よりです!』
「うん、ただいま。ルイーネ達は元気だった?」
『はい、こちらは特に問題無しです。……オズさんが全然仕事してくれなくて遊んでばっかりだったこと以外は! 全くもうっ、ひどいですひどいです!』
ルイーネには悪いが、今までと何も変わらない様子が微笑ましく感じた。
「あ、オズは今どうしてるの?」
『オズさんですか? オズさんならほら、後ろに……』
「後ろ?」
言われたとおりキラは後ろを向く。するとぷにっと頬に何かが当たる。
薄紫の髪と色白の肌によく映える紅の瞳が懐かしい。オズがにっこり笑いながらキラの頬を指でつついていた。
典型的な悪戯に引っかかったキラは思わず両手をぶんぶん振り回す。
「ぶぁー! ばかやろーっ! いきなりそれは無いでしょ!」
「あはは、引っかかる方が悪いんや。」
その様子を見たゼオンが冷めきった目をした。
「お前……余程退屈してたんだな……。」
「そらそうや。俺だけ一人で留守番なんて酷いわ、最低やー。」
「お前自分から退いたんだろ。大体ルイーネ達が居るんだから一人じゃねえし、いい年なんだから留守番くらいで文句言うな。」
「……なんかお前、言うようになったな。」
ゼオンの言葉に今度はオズの方が引いていた。それからティーナが言う。
「んで、何なの? 正直何の用もないんならスルーしたいとこなんだけど。」
オズに対するティーナの態度は冷たかった。
「せっかく出迎えに来たのに酷いわー俺傷つくわー。」
「白々しい演技いらないから。何? あ、もしかして反乱がどうなったかとか聞きに来たの?」
「いや、それは今度でええ。用ってのは、まあ村に入ってきた奴らの身元確認やな。ジジイから頼まれた仕事や。」
「はぁ、それをわざわざ……相変わらずめんどくさい村だね。」
「と、キラのお迎えやな。お前ら留守の間、ババアがキラがキラがってうるさかったんや。
んで、もうすぐ帰ってくるって言ったら迎えに行ってこいって殴られたんや。」
よく見るとオズの右頬だけがほんのり赤かった。どうやら殴られたのはつい先ほどらしい。
キラは苦笑いして言う。
「あたし一人で帰れるのに……。」
「一人で帰られたら左も殴られそうやから、大人しくお迎えされてくれへん?」
「それは構わないけど。」
オズが右頬を抑えながら歩き始め、キラはオズについていく。
だが帰る前にキラは足を止めて四人の方を向いた。
「じゃあ、みんな色々ありがとう。本当に助かったよ。また明日ね!」
キラが万歳するように手を大きく振ると、ティーナだけ飛び上がって手を振り返してゼオンとルルカは曖昧に頷き、セイラはキラを無視していた。
そんな一見冷たい反応にもキラはもう慣れた。安心して背を向けリラの待つ家へとキラはオズと向かった。