第7章:第34話
戦いは思った以上に長引いた。黒い闇は膨張し続け、キラ達を取り囲むように追い回し続けたが、キラは黒い闇のわずかな隙間を拾い、時折ゼオンの手を借りながら逃げ続けた。
だがこちらも黒い闇を完全に消し去ることはなかなかできず、小規模の魔術でちまちま消してはいるが、全てを消し去る程の大技を使う余裕を作ることはできなかった。
その上、黒い闇は一度消してもすぐに復活する。この為、キラ達はサラに近づくことはできない。一方のサラもまだキラ達を捕らえることはできずにいた。
このままではいけない。長引けばこちらに不利だということがキラにもわかってきた。
キラやゼオンには体力の限界があるがあの黒い闇には無い。キラはまだまだ余裕があったが、心配なのはゼオンの方だった。
思えばゼオンはブランにキラを助けに行った時から戦い続け、魔法を使い続けていたのだ。無理もない。魔法はただで使えるものではない。高い集中力と精神力がいる。そしてその二つを維持し続ける為の体力も必要だった。
それでもキラに的確に指示を出し、迫ってくる敵を全て消し去りることができているのだから流石だなと思った。だが時折振り返る度少しずつ疲れの色が現れてくるのが、キラは少し心配になるのだった。
その時、サラが今までと違う行動に出た。突然サラが箒から飛び降りたのだ。
このままでは下まで真っ逆様だ。そう思った時、黒い闇が雲のように形を成し、クッションに乗るようにふわりとサラはその上に着地した。
サラが乗っていた箒は杖に戻り、周りの闇も雲の形になって足場を作る。雲が導く先にあるのはキラ達の姿だ。
サラは杖を再び槍に変えた。まさか。キラが思った、そのまさかだ。
サラは黒い雲の上を駆け抜け、空を飛ぶキラ達に接近戦を仕掛けてきたのだ。サラは槍をキラ達の頭めがけて突き出してくる。
サラはあの黒い闇より速い。黒い闇を避けつつ、サラの槍も避けるのは簡単ではなかった。
キラは思わず叫んだ。
「なにあれ、ずるい! あの雲乗れるの!? だったらあたしも……」
「アホか、さっきあの黒いのに呑まれかけた時、あれ実体無かっただろ。足場として使えるのはあいつだけだ。お前が乗った瞬間に捕まるよ。」
「ううぅ……。」
キラは悔しくて声をあげた。空を飛ぶのは得意な方だが、地上で走る方がもっと得意なのだが残念だ。
あと、
相手の攻撃は更に変化していく。サラが接近戦を仕掛けてきたことに加えて、闇は今度は無数のナイフに形を変え、四方八方からキラ達を襲う。
数が多すぎて避けようがなかったのでゼオンに魔法で全て弾き飛ばしてもらったが、それはあまり好ましい方法ではなかった。
ゼオンが黒い闇を一度に消しきるだけの魔法を発動させたいのだから、本当ならゼオンには防御ではなく攻撃に専念してもらいたいのだ。
駄目だなあと、飛びながらキラは少しだけ自分を責めた。そして箒を動かすことだけに必死になってしまい、どこかで紫の光がちらちらと揺らめいたことに気がつかなかった。
異変が起きたのはその後だった。突如、自分達をしつこく追ってきた黒い闇の姿が見えなくなったのだ。
そしてサラの姿も突然消えてしまった。上を見ても下を見ても周りをぐるっと一周見回してもサラの姿はどこにも無く、キラ達は誰も居ない空中をくるくる飛び回っていた。
すると、突然ゼオンが険しい顔をしてキラに止まるように言った。キラはゼオンに尋ねた。
「ねえ、お姉ちゃんはどこに行っちゃったの?」
「まずいな。これ、幻覚の魔法だ。今見てるこの景色自体が幻だ。」
目の前の闇から逃げることに必死になっている隙に、キラ達は別の魔法にからめ取られていたらしい。
ゼオンは目に見える空間を隅々まで確認し、そしてある一点をじっと見つめた。
そしてその場所に杖を向ける。
「そこだな。」
よく見ると、その一点だけ景色が時折ゆらゆら揺らめいていて、不自然だった。
ゼオンはそこに向けて緋色の炎をまとった鳥の形の魔術を放つ。それがその一点に当たった途端、宙に大きなヒビが入り、幻が音をたてて崩れていった。
やった。そう思った矢先のこと。幻が崩れた後に見えてきたのは光の射さない暗闇の空間だった。
幻覚に惑わされている間にあの黒い闇に取り囲まれてしまったらしい。
上をきょろきょろ見ていた時、急にゼオンが言う。
「おい、前!」
キラが前を向くより先にゼオンがキラの頭を抑えて身を屈ませた。
キラの頭上を前から伸びてきた黒い影が通り過ぎる。だが黒い影の狙う先がキラから変わった。
「ゼオン!」
キラは思わず叫んだ。黒い影がゼオンの首に取り付く。そして抵抗する間も与えずに更に多くの影がゼオンに襲いかかる。
箒一本分も無い、自分のすぐ後ろに居たはずのゼオンの姿が黒に遮られて見えなくなり、手を伸ばしたけれどその手は届かない。
黒い影が消え去って、そこにゼオンの姿が無いのを見た時、キラは心臓が砕かれるような心地がした。
ゼオンと離れ離れになった途端、強い不安感がキラを襲った。
周りは暗くて何も見えず、サラもゼオンもどこに居るのかわからない。宙に浮いた箒に乗ったまま、進むこともできずに途方にくれていた時、キラは突然横から強い力に押されて箒から突き落とされた。
落ちる最中、あの声……キラが杖の力で意識を乗っ取られた時に聞いた、あの嘲笑うような艶っぽい声が聞こえた気がした。
『あはは、惨めね。さあ、あの子はどこかしら。アハハハ……!』
手のひらで弄ぶようにその声は笑う。その時、もふっとした柔らかい感触と共にキラは何かの上に落ちた。それはあの黒い闇でできた雲だった。
後からキラのすぐ近くに箒も落ちた。幸いキラの手の届く範囲に落ちてきたのですぐにキラは箒を掴む。
起き上がり、周囲を見渡す。どこを向いても暗闇しか見えなかったが、しばらくして遠くから何かが近づいてくるのが見えた。
蛍のような、紫色の淡い光がキラに近づきふわふわと漂う。その光のおかげで少しずつ周りが見えてきた。
黒い雲の陸地はかなり遠くまで広がっているようだ。もしかしたらゼオンもこの雲の上のどこかに落ちているかもしれない。
そして見つけた。少し離れた所にゼオンが居た。だが、無事とは言い難い。
体中に黒いナイフが刺さっていて赤い血が滲んでいる。ゼオンを襲った黒い影は未だゼオンにまとわりついたまま動きを封じていて、ゼオンは立ち上がることができないようだった。
それでもゼオンは自分の杖を手放してはいなかった。それが唯一の救いかもしれない。
「ゼオン! おーい、聞こえる?」
キラが大声で呼びかけるとゼオンはこちらに気づいて頷いた。意識はあるようだ。立ち上がってゼオンの方に向かおうとした時、キラは立ち上がれないことに気づいた。
手と足が黒い雲に沈み込んで抜けない。底なし沼のように雲はキラとじわじわと引きずり込んでいた。
どうしよう、そう思った時、ふわっと雲が揺れて、キラとゼオンの間に人が降り立つ。
紅の目のサラがキラを見下ろしていた。
「鬼ごっこはあたしの勝ちみたい。残念だったねえ。」
キラはサラを強く睨む。一度同じ目にあったからわかる。
「お姉ちゃんじゃないくせに、そんなしゃべり方するな!」
今のサラはサラではない。喋っているのは別の誰かだ。サラは鼻で笑ってキラを睨み返した。
槍が紫の光を反射して煌めく。サラはキラの方を向き、ゼオンに向けて言う。
「悪いね、弟君。」
意味を理解したゼオンが魔法で止めようとしたが、魔法が発動する前にどこからか黒いナイフが飛んできてゼオンの腕に突き刺さる。
サラはキラを見下ろし、足でキラを抑えつけて槍の先をキラの頭に向けた。
どうもがいても体は動いてくれず、目と鼻の先で槍の先がギラギラ光るのだけが見える。
脳裏で、セイラの頭が抉られた時の光景が蘇った。キラは思わず目をつぶった。諦めかけていた。
だが、槍は動かなかった。サラは視線をキラから自分の手に移す。
槍を持つサラの手が震えていた。
言うことを聞いてくれない自分の手を見て舌打ちすると、サラはキラに背を向けてゼオンの方に向かった。
キラは無我夢中でもがき、「止めて!」と叫ぶ。唇が震えて、心音が速くなる。
ゼオンが危ない。サラは槍の先を先ほどキラにしたのと同じようにゼオンの頭に向ける。
ゼオンは逃げようと抵抗しているが、足も杖を持った手も黒い影に縛り付けられて身動きが取れないようだった。
『ふふふ、あの子もう抜け出す体力残ってないんじゃない?』
また声が囁いた。キラの不安を煽るように笑い声が響く。この声の主は人の心を傷つける術を本当によくわかっていた。
もう一度、セイラの頭が抉られた時の景色が頭の中で再生される。
あれをゼオンに、目の前でやられたら、きっとキラは耐えられない。
サラの槍の煌めきとゼオンの苦しそうな表情から目をそらすことなどできない。肩の震えが止まらなかった。
だが、光は突然射した。この場に居た誰も予想していなかった。
ブォンと風を裂く音と共に一本の光の矢が黒い雲に突き刺さる。その矢からレースを散りばめたような美しい魔法陣が広がり、黒い闇を追い払い滅ぼしていく。
ゼオンを縛り付けていた影も刺さったナイフも消え、更にキラ達が乗っていた雲もボロボロと崩れていく。
暗闇が裂けて再び城内の様子が見えてきた。だが同時にキラとゼオンを支えていた雲も消えてなくなり、二人は重力に引かれて下へと落ち始める。
箒を手放していなかったのは運が良かった。キラはすぐに箒を宙に浮かせてその上に乗り、すぐにゼオンのところまで行って落ちていくゼオンの腕を掴んだ。
ゼオンが無事箒の上に乗ると再び上に昇りサラを追う。キラはちらっとゼオンを見た。
体中から血が滴り落ち、見てるこちらが痛いと叫びたくなりそうな位に傷だらけだった。
「ごめん、こんなに傷つけることになって……」
「黙れ、後にしろ。」
その言葉には有無を言わせない迫力があった。キラは頷き、サラの姿だけを追う。
それにしても先ほど二人を助けたのは誰だったのだろう。二人は最上階の方を見て、それが誰かを知った。
弓矢を構え、最上階からサラを狙うルルカの姿があった。
「そうだ……、ルルカだ。あいつが居るんだ。」
ゼオンはそう言って左手を出した。その手の中指に大きな宝石のついた指輪がはまっていた。ゼオンは指輪に向けて言う。
「すみません、陛下。ルルカを出してもらえますか。」
「はい、わかりました。少し待ってください。」
ルルカが出るまでの間にキラはゼオンに言った。
「何するの?」
「ルルカにちょっと援護を頼む。あいつの魔法は俺より支援向きだからな。」
キラの背中から、いつものように淡々と声がした。
「考えがある。あいつを止める気があるなら黙って手を貸せ、馬鹿女。」