第2章:第5話
ゼオンが足を止めて振り返った。
呆れてそっぽを向いていたルルカは再びキラの方を向いた。
何か意気込むような顔をしているキラを夕焼けの光が照らしている。
ゼオンとルルカはまだ呆れた様子だったがティーナだけが違った。
「あんたが問い詰めたとこで意味あるの?」
「え…昔から知り合いだからあんたたちより話聞いてもらえると思うけど。」
ティーナは少し大袈裟に首を傾げて考え込んだ。
そしてその後バタバタとキラの方に駆け寄ってきた。
そして、選挙活動をする人のようにガシッとキラの手を握ると目を輝かせながら言った。
「キミの意気込みに感動したぁ!
一緒にあのシルクハット男を問い詰めてやろうじゃないか!」
そう言うと同時に後ろで二つほどため息が出たことにはティーナはまるで気づいていないようだった。
ティーナの後ろに二人のしらけた人々が見える。
そんなことはお構いなしにティーナはキラの手をぶんぶん振り回して握手していた。
いきなりティーナがやってきたのでキラは少し驚いた。
「ねつい…?あんたも協力してくれるってこと?」
「するする!スクワットからブタ小屋掃除まで何でもする!」
後ろで「それは何か違うだろ。」という声が聞こえた気がしたがティーナは気づかなかったようだった。
突然のことにキラは少し驚いたが、協力してくれる人がいるならそれに越したことはない。
ティーナもキラも、オズが何を考えているのかわからなくて納得いっていないのは同じだった。
キラは少しの間ぽかんと口を開けていたが、少ししてから笑って元気よくこう返した。
「よーし、じゃあ一緒にオズに一泡吹かせに行こうー!
明日の放課後校門前に集合!
持ち物はブラシとワックス、おやつにバナナはOKでいいかなー!?」
「いいともー!」
キラもティーナも後ろの二人の視線には気づいていなかった。そしてこの間まで仲が悪かったことなんてすっかり忘れていた。
なぜか意気投合した二人は床をギシギシきしませながら両手を叩いて騒ぎ始めた。
しかも二人ともよく喋る性格のせいでいつまでたっても騒ぎが収まらない。
キラとティーナがハイテンションで騒いでいる後ろのほうで再び呆れ顔をしている二人組がいることには気づかなかった。
ゼオンとルルカは非常にしらけた顔をしながら、遠くから下手な漫才でも見ているかのように話していた。
「…どうしてこうなった。」
「大体なんで持ち物がブラシとワックスなのよ。」
「馬鹿二人が結託したな。
この前はあんなにいがみ合ってたくせに。」
「おやつにバナナは入れるものじゃないわ。
バナナは食後に食べるデザートよ。」
「というかあいつ絶対に俺が転入してきた理由詳しく聞くの忘れてるな。」
話が全くかみ合ってないことを指摘する人は誰もいなかった。キラは10分ほど騒ぎまくった後、キラはふと今の時間が気になって先ほどの割れた窓の方へ目をやった。
水晶を割ったように窓ガラスの切り口が鋭く光る。
その向こうから差し込む光はさっきは茜色だったが、いつのまにか紫色へと変わり始めていた。どうやらかなり長い間話し込んでいたらしい。
そろそろ帰らなければまたリラが怒るだろう。もうあの罵声を浴びるのはたくさんだ。
そう思ったキラはくるっと三人の方を向いた。
「あたしそろそろ帰らなきゃ。またばーちゃんに起こられちゃう。」
「そう?じゃあまた明日ね。」
「うん、じゃあまた明日ね!」
上機嫌でそう言うと、キラは手を振ってから割れた窓ガラスのかけらをピシピシ踏み割りながら廊下をあっという間に駆け抜けて帰っていった。
校舎案内がまだ途中だなんてことはすっかり忘れていた。
◇ ◇ ◇
茜色の時間はもうそろそろ終わろうとしていた。
赤から紫へ、紫から深い青へと空は色を変えていく。
もうそろそろ月が登り始める時間だっただろうか。
そんなことを考えながらショコラ・ブラックは夕焼け色に染まった廊下を踏みしめながら寮の方へと向かっていた。
「あー待って待って!」
後ろから自分を呼ぶ声が聞こえたので立ち止まった。
後ろからホワイトがノートを何冊か抱えながら焦ったように走ってくる。
ブラックのところまでたどり着くとホワイトは立ち止まって息を切らした。
ホワイトが追いついたのを確認すると二人は静かに歩き出した。
「よかったわぁ、購買まだ開いてて。」
ホワイトは柔らかい口調でそう言った。
誰とも親しく話せそうな優しい口調だった。
それに対してブラックはそっけなくこう返した。
「そう、よかったね。」
それを聞いたホワイトはなぜか突然楽しそうに笑い始めた。
何がそんなに面白いのかはわからない。
何かおかしなことを言っただろうか。
少し慌てながら聞いた。
「な、何がおかしいのさ!?」
「あ、ごめんね。
なんかあの転入生の子と話し方似てるなあって。」
そう言われたブラックは何も言わずに黙り込んだ。
ホワイトはニコニコ笑いながら続けた。
「そういえばショコラ、転入生が来るってこと知ってたんだね。
あ、仲良くなりたいとか思ってるなら協力するよ?」
「噂で知っただけだよ。
別に他人と話すのなんて面倒くさいし一人でいる方が楽。
だからそんな協力いらない。」
ブラックはぷいと顔を背けて言った。
冷たく近寄りがたい。そんな印象を受けるような話し方だということはわかっていた。
別に本当はそんな言い方をするつもりはないのだけど。
ブラックの言葉を聞いてホワイトは面白そうに笑った。
不思議そうな顔をしてるブラックにホワイトはからかうように言う。
「またまたそんなこと言ってぇ。
本当は人見知り激しくてうまく話せないだけのくせにぃ。」
「ち、ちがっ…!」
「本当は他の人とも仲良く話したいなーとか思ってるくせにぃ。」
「だ、だから違うってば!」
図星だった。つい慌てて否定してしまう。
ブラックは焦りながら窓の方を向いて、外の風景でも見ているふりをした。
外を見ながらブラックはもう少し素直になれたらいいのだけれどと思った。
ホワイトはニコニコしながら優しく言った。
「もう、素直じゃないわねー。
もう少し笑って、明るく話さなきゃ。
あの転入生の子にも…」
転入生という言葉が出てきた途端にブラックは顔を上げた。
それと同時に先ほどまでの慌てっぷりはどこかへ消えてしまった。
口を真一文字に結んでホワイトの方を向いた。
そして真剣な、どこか哀しそうに言った。
「…やだね。」
「…どうして?」
ホワイトはそれがブラックの素直な言葉だと気づいたらしかった。
ブラックはしばらく黙り込んだ。
理由は言わなかった。言う気もなかった。
代わりにこう言った。
「あの転入生とは関わりたくない。」
しばらくの間沈黙が続いた。
ホワイトはきょとんとして「なぜ?」と問いかけるようにブラックの方を見ている。
ブラックはぷいとまたそっぽを向く。
先に動いたのはホワイトだった。
ホワイトは一瞬妙に真剣な顔をした後、またいつもの優しいニコニコ顔をして言った。
「そっか、じゃあしょうがないね。」
そう言うと、ホワイトは突然廊下を走り始め、急いで寮の方に向かい始めた。
突然走り始めたホワイトに驚いて、ブラックも急いで後を追う。
この後は特別急ぐことなんてないはずだ。強いて言うなら早く行かないと食堂の席が取れなくなることくらい。
ホワイトは何を急いでいるのだろう。
模範優等生のホワイトが廊下を走るなんて。そう思い、ブラックは大声で言った。
「ちょっと!どうしたのさ、そんなに急いで。」
そう言われると、ホワイトは立ち止まってくるりとブラックの方を向いて言った。
「あ、ごめん、急に走って。
さっき先生と会った時にね、ゼオン君に寮の案内するって引き受けちゃったから。
早く行かなきゃなって思ったのよ。」
「ゼオンって誰?」
「あの転入生。噂で名前聞いたの。」
ブラックの頭の中に疑問符が一つ浮かんだ。ホワイトは元々お人好しではあるけれど、他学年の転入生の案内まで引き受けるのは珍しい。
多分先生の方もそういうことは普通は転入生と同じ学年の生徒にやらせるはずだから、ホワイトが自分から引き受けたのだろう。
妙だな。ブラックはそう思った。同学年ならともかく他学年の転入生と積極的に関わろうとするなんて。
ブラックは少し下を向いてから静かに聞いた。
「あの転入生になんかあるのかい?」
「別にそういうわけじゃないんだけどね。
というか、どっちかってとそれはこっちの台詞よ?」
ホワイトはいつもどおりの優しい口調でそう返した。ブラックはそれを聞くと、一瞬目をそらした。
その後、ホワイトのところまで急いで走ると、そこから二人で寮の方へと歩き始めた。夕暮れが終わり、夜の闇が後から後から追ってくるのを確かに感じた。
◇ ◇ ◇
「すごく愉快な子ね。」
キラの走り去る足音が完全に消えたのを確認してからルルカが言った。
ゼオンは何も答えなかった。
キラが居なくなってから急にまた廊下は静かになって、風のそよぐ音やら何かを急かすようなカラスの声やらがかすかに聞こえる。
ティーナがゼオンに聞いた。
「ところでさ、ゼオン、寮使うことにしたんだね?」
「ああ、とりあえずな。
別にお前らが泊まってる宿屋に泊まってもよかったけど、寮があるなら使った方が色々と得だしな。」
ゼオンは近くの壁に寄りかかりながらそう答えた。
ティーナは少し不満そうに口をとがらせたが文句は言わなかった。
すると、今度はルルカがゼオンに言った。
やけに口調が真剣だった。
「…それで、貴方これからどうするつもり?」
ルルカは腕組みをしながら横目でゼオンを見てそう言った。
ティーナもゼオンの方を見て返事を待つ。
ゼオンは少し下を見てしばらく考えてからこう答えた。
「…このままこの村に留まる。」
二人ともすぐには何も言わなかった。
ティーナの方は、表情一つ変えずに真っ直ぐゼオンを見ていて、異論はないようだった。けれど、ルルカの方はそれを聞くとゼオンの方へと向きを変えた。
そして、手に持ったあの杖を指差しながら少し睨むようにしてゼオンに言った。
「まさか、あの時言ったとおり、本気でこの杖のこと調べるんじゃないでしょうね?」
「ああ、そうだ。別に嫌だったら勝手にしてくれて構わない。」
ゼオンは即答した。
ルルカは下を向いてため息をついた。
そして睨むのをやめてこう言った。
「どうせ私一人であいつをどうにかできるわけがないからいいわよ。
…前から薄々感じてはいたけど貴方妙にこの杖にこだわるわね。
あの時シルクハット男に出した条件も『この杖について知っていることを教えること』だったしね。
どうしてか教えてくれないかしら?」
ゼオンは黙り込んで何も言わなかった。
突然ゼオンの脳裏をある赤い風景がかすめた。
誰かの悲鳴と炎の燃え上がる音が聞こえてくるような気がした。
脳裏に浮かぶその風景を振り払うと、表情は変えずにルルカの顔を見た。けれど、何も言わなかった。
「…言えないってわけね。まあいいわ。私も言いたくないことくらいあるし。」
コツコツとゼオンの横を歩きながらルルカはそう言った。
そして、もうこれと言って特別なことは言わずに、ティーナの方を向いて手招きした。
「帰りましょ。聞くことは聞いたしね。」
「あ、うん。」
ティーナはそう言ってルルカの方へと走り出した。
もう夕日は完全に沈み、辺りは暗くなって、東から白い月が登り始めていた。
「ああ、ちゃんと窓直していけよ。」
ゼオンがそう言うと、ルルカとティーナは歩きながら「はいはい」などと曖昧な返事をした。
本当にちゃんと窓を直す気があるのかいささか不安だったけれども、どうせ直さずに見つかったところでどうせ自分の責任ではないからいいかとゼオンは思った。
ゼオンはルルカ達が歩いていった方とは反対側、寮の方へと歩いていった。
窓がどうとか、そういうことよりも、この杖のこと、それが何より気になった。