第7章:第32話
槍先をディオンに向けた時のサラの哀しげな微笑みが印象に残った。
打ち倒すべき王にたどり着くまでにまだいくつかの障壁があることに気づくと、サラは一度改めて部屋を見回して敵の数を確認していた。
サラの正面にはディオン、背後にゼオンとルルカが居た。面倒臭そうにサラはため息をつくと、ゼオン達よりも先に動いた。
単純なところは妹と似ているかもしれない。サラはディオンの居る方に突き進んだ。
サラの槍をディオンは真正面から剣で受け止める形となった。体格はディオンの方がいいのに、押しているのはサラの方だった。
キラやサラをはじめとするこの一家は、華奢な女の子の皮を被った猛獣の家族なのではないかとゼオンはいつも疑いたくなる。
ゼオンはルルカに国王の傍に行くように指示し、それから背後からサラに斬りかかる。
サラは振り返りもせずに簡単にそれをかわすとその槍をゼオンの肩に突き刺した。
振り返りもせずに攻撃がこちらに向くとは予想してなかった上に至近距離で避けようがなかった。利き腕の側ではない左肩だったのが幸いだが、金色に輝く槍先は肩に沈みこんでいき、痛みが体中を走る。
サラは突き刺さった槍をぐりぐりと捻る。
ディオンの表情が歪んだ。ディオンは背後から左から右へ、凪払うように剣を振る。サラはしゃがんで避け、ディオンの剣がサラの頭があった位置を通過した。
サラはゼオンの肩から槍を抜くと次はディオンの足に狙いを定めたようだった。
だが、サラはすぐに狙いを変えた。ディオンのさらに後ろ、サバトの居る方を見てサラは槍の向きを変えた。
盾となるようにサバトの前にルルカが立ち、弓矢を構えていた。呪文を唱えながらサラを見据え、もういつでも獲物を捕らえられるといった様子だ。
ゼオンは肩の痛みを無視して再び剣をサラに向けた。
ゼオンとディオンが動きを封じ、ルルカがサバトを守る。こうなってはさすがのサラもそう簡単に優位には立てなかった。
するとサバトが三人に命じた。
「三人とも、少し時間を稼いでください。」
サバトの指輪の宝石が窓から射し込む朝日の光で煌めくのが見えた。サラは低く唸るような声で言う。
「何のつもり?」
「……お客様をお迎えする準備ですよ。」
サバトは手をサラに向け、穏やかに言う。
「椅子とお茶を用意いたしましょう。お話は和やかにしませんか?」
「生憎と、私は和やかなお話に興味ないんだよね。あんたの首が落ちる音が聴きたいの。」
「おや、それは困りました。すみませんが城内でその音を鳴らすわけにはいきません。お引き取りください。」
サバトは呪文を唱え始めた。「嫌だね」と言うようにサラが動き出し、ゼオン達がサバトを守るように立ち向かう。
「エスペラントに伝わりし星の力よ……全てを惹き全てを潰す力よ我が意に従い流れを導け……」
サラがサバトの方へと真正面から突っ込んでいく。ディオンが立ちはだかって剣を振るとサラは後ろへ退き、的をディオンへと変更する。
だがゼオンはディオンの後ろの様子を見てすぐに言った。
「兄貴、退け。邪魔になる。」
その声をすぐに聞き取りディオンはサラの前から退いた。ディオンの後ろで、ルルカが眩い光を放つ矢じりをサラに向けていた。
「……うち放て女神の矢よ! サン・ディウ・ラフレッシュ!」
神々しい光の羽を纏った矢がサラを狙って突き進む。青白い翼を広げた鳥のようだった。
サラは避けるか、防ぐか、どちらだろう。答えは後者だった。だが、サラの「盾」を見たゼオンは舌打ちしてすぐに駆け出すことになる。
「またお会いできて光栄です、ディオン様。」
サラはそう言って脇に避けたはずのディオンに駆け寄り腹を殴ると、そのまま片腕でディオンをルルカの矢の前へと押し出した。
ゼオンがすぐにディオンを矢の軌道上から逸れるように突き飛ばし、ルルカもすぐにその魔法を消してただの矢に戻したため、味方同士つぶし合う結果にはならずに済んだが、ゼオンはサラがディオンを盾に使ったことに少し驚いた。
ディオンがゼオンに言う。
「おい、あいつの腕力どうなってるんだ……。」
「……あの一家の腕っ節は化け物だから気にするな。それより、来るぞ。」
ゼオンとディオンの間にサラが飛び込んでくる。ゼオンとディオンの距離が離れる。サラが狙ったのはゼオンだった。
頭、首、心臓部など、急所を狙って突き出される槍をゼオンは剣で受け流していく。
「弟君、剣術上手いねぇ。」
「クソ貴族の伝統とやらのおかげでな。」
「ふぅん、クロード家の伝統かぁー。うん、じゃあ、うちの伝統も見せてあげよっかー?」
流石、接近戦は特に強い。そんな会話をしだす余裕がサラにはあった。
剣で槍を受け流した時の一瞬の体勢の崩れを狙い、サラはゼオンの胸ぐらを掴んで腹に膝蹴りを一発、そこから斜め上にゼオンを投げ飛ばす。
宙に飛ばされた瞬間、サラが嘲笑う顔が見えた。この時、サラの目はまだ蒼かった。
「くらえっ、さらさらサラマンダーキーック!」
そんなふざけた名前のキックで倒されてたまるかと、ゼオンはとっさに風の魔法を唱えて自分の体をさらに遠くに飛ばしてその蹴りをなんとかよけた。
元々魔力か何かを足に込めていたのだろうか。外れたキックから出た衝撃波が部屋の隅にぶつかり、壁を深々と抉った。着地したゼオンは少し呆れた様子で言った。
「……それ、お前のもあったんだな。」
まともに喰らっていたら立ち上がれなかっただろう。その時、遠くに居たルルカがこちらに合図を送るのが見えた。「下がれ」の合図だ。
すぐに部屋の端まで後退し、サラと距離をとる。ディオンは既にサラから大分離れたところに居た。
サラが異変に気づいた瞬間、ルルカの魔法が発動した。
「闇を捕らえよ天の鎖! リュミエール・アンシェネ!」
サラを中心に金色の魔法陣が広がっていく。魔法陣の光に触れた途端、サラは膝をついて立ち上がれなくなり、全身の力を抜かれたようにうなだれた。
サラの動きを封じたのを確認すると、ルルカはサバトと目を合わせ、頷いた。
それを見たサラは震える腕で槍を上に向け、防御魔法を唱えた。
「己を映し出す鏡よ……」
だがサバトの詠唱が終わるのが先だった。サバトは鋭い目つきで侵入者を見つめ、裁きの一手を打った。
「……星の裁きをかの者に!! フィニョール・ラドゥ・エトワール!」
その一歩後にサラの魔法。
「……在るがままの裁きを与えよ!ジャッジ・ミロワ!」
水銀のようにぬるぬる蠢く半球状の盾がシェルターのようにサラを覆う。隙間といえる隙間もなく、打ち破るのは容易ではないように見えた。
だが、国王サバトの魔法はゼオン達の想像を遥かに越えていた。
突然城が揺れはじめ、地鳴りがしはじめた。地震か、そう思った時、朝日の光がサバトを強く照らした。サラを上から見下ろし、サバトはあくまで穏やかに言う。
「どうぞ、お帰りください、一階まで。」
世界が止まったような気がした。その一瞬の後、地から湧き上がるような音と共にサラが居たこの部屋の中心部が暗黒へと変貌を遂げる。
よく見ると暗黒の円の淵に大理石を引き裂いたかのような跡ができていた。ゼオンはその暗黒の近くギリギリまで寄って中をのぞき込む。
漆黒の闇のように見えたそれはこの城を最上階から一階まで貫くほどの強大な重力によってできた穴だった。
ミルフィーユにナイフを入れた時にできる断面のようにそれぞれの階層の様子がここからよくわかる。穴の底は暗く、遠すぎてよく見えない。
重力は濁流のように流域のあらゆるものを飲み込み、文字通り「一階まで」送り返していた。
やがて重力の流れが消え、ディオンとルルカも穴の淵に来て底をのぞき込んだ。
サラがどうなったかはまだわからない。圧倒的な力を目の当たりにしてディオンが呟いた。
「……容赦なさすぎだろう、陛下……。」
その通りだ。これは普通死ぬ。
いくら防御の魔法を使っていたとはいえ、先ほどの強大な魔法に押しつぶされたのなら、もう動けないのではないだろうか。
だがサバトは険しい表情を崩していなかった。穴の淵に立ち、底を見下ろす。まだ底で何かが動く様子は無い。サバトは各階層を見渡し、指を鳴らして合図をした。
すると一階から最上階まで、ここから見える全ての階に銃を手にした兵士が穴を囲むようにして現れた。
全ての階を合わせると数百人は居るのではないだろうか。数百もの銃が穴の底に向く。
サバトは通信用の指輪で下の階の兵士に尋ねた。
「サラ・ルピアの様子は?」
「瓦礫に押しつぶされたようで姿は見えませんが……」
その時、縦穴の底で一瞬何かが揺らめいた。ゼオンは思わず身を乗り出す。
背筋が凍りつくような不気味な気配を感じたのだ。この感じ、ゼオンは前にも一度感じたことがあった。
突然下から何かが崩れる音がした。小さな黒い影が這い出てくるのが見えた。
「今、サラ・ルピアが出てきました!」
先ほどとは明らかに何かが違う。これほどの距離があってもそれがはっきりわかった。
槍はいつのまにか杖の姿に戻っていたようだった。禍々しく妖しい魔力の塊がサラの周りをうようよ泳いでいる。
ゼオンは再び剣を手に立ち上がる。紅に染まった瞳がこちらを見つめているのがわかった。
その時、一階付近の兵が合図と共にサラに発砲した。だがサラは杖を一度振っただけで盾を張り、それを防ぐ。
そして杖を兵に向けると、黒い闇の塊が獣のように形を成して兵達を薙ぎ払っていく。
もはやあれは一人の魔女ではない。怪物と呼んでも違和感はない。上の階の兵士もサラに銃を向け、攻撃の指示が出されるところだった。
その時、サバトが急に指輪を通して兵達に呼びかけた。
「待った、発砲しないでください!」
サバトの視線の先をゼオンも見てみると、そこを一瞬何かが掠めた。
速すぎてそれが何だか捉えることは出来なかった。だがその後、自分の正体を告げるように、怒鳴り声がこの最上階にまで響きわたった。
「くらえっ、きらきらいなずまキーック!」
馬鹿丸出し、その一言がぴったりの愉快な声にゼオンは少しだけ笑いそうになった。
一本の箒を手にして、サラに跳び蹴りをしかけるキラの姿が見えた。