第7章:第31話
朝焼けの黄金色から、徐々に澄んだ青へと空が移り変わっていく頃、事は動き始めた。
光を背にサバトは佇み、その両脇にある椅子にゼオンとディオンが座っている。静かなこの部屋を雑音で満たすには十分な騒ぎだった。
下から爆発音。近い。この棟だ。それと同時にディオンがしていた指輪が光った。下からの通信のようだ。
「今の爆発は? 来たのか!?」
『はい、サラ・ルピアがそちらに向かっています! 陛下は……』
「無事だ、安心しろ。」
どうやら遂に馬鹿女のお姉様のお出ましらしい。ディオンはサバトの方に視線を向ける。
最初サバトと出会った時、ゼオンはサバトに対して王というよりもっと華やかなイメージを持っていた。
綺麗な顔立ちに優しく紳士的な性格、この手の人に骨抜きにされる女は少なくないだろう。まさに童話に出てくる「王子様」のようだ。
だが今ここに居るサバトは違う。厳格な「王」としてのサバトがそこに居た。
「兵をこの棟に集めるよう伝えてください。ただし、全ての階のこの部屋の真下にある部屋には誰も入れないように。」
ディオンは頷き、そのように伝えて通信を切った。
ゼオンは少し不思議に思ったことがあった。
「この部屋の真下の部屋には人を入れるなというのは……なぜですか?」
サバトは微笑んで言った。その微笑みですら、「王子様」ではなく「王」だった。
「この部屋、床があまり丈夫ではないんです。」
何の冗談だろうか。見たところ床が抜ける心配があるような部屋とは思えないし、そもそもウィゼートで一番の建築物であるこの城にそんな部屋があるわけがない。
サバトがそんなことを言った意図をゼオンはまだ理解できずにいた。そうこうしているうちに騒ぎの声や音が少しずつ近づいてきているのを感じた。
部屋の中も、外も空気が張り詰めていく。緊張の糸を解くようにサバトは机の引き出しを開けていくつかの指輪を取り出した。謙虚で誠実なサバトの雰囲気には少し似合わない大粒の宝石のついた指輪が殆どで、サバトはそれを幾つも指にはめていく。
ゼオンはそれがただの指輪ではないことに気づいた。指輪についているのはただの宝石ではない。どの指輪の石にも強い魔力がこもっているのを感じた。鎧と武具を身につけるようにサバトは指輪をはめている。いざとなれば、国王自ら戦うという強い意志がそこにあった。
ならばゼオンも共に戦わなければならないだろう。ゼオンは杖を手に取り、剣へと形を変えて扉の方へと歩き出す。
「ゼオン、どこに行くんだ?」
「もし早めに大人しくなってもらえるなら、その方がいいだろ。」
そう言って部屋を出た。部屋を出たところには予想通り沢山の兵士が武器を手に来客が来るのを待ち構えていた。だが、きっとここの兵士が蹴散らされるのも時間の問題。スカーレスタで戦ったサラはやけに強かった。街を取り囲む外壁を打ち破るくらいに。
部屋から出ると戦いの音は更にはっきりしてきた。刃物と刃物がせめぎ合い、魔法と魔法がぶつかり合う。
ゼオンは足音をたてないようにして少しずつ螺旋階段を下り始めた。戦闘の音はこちらに近づいてくる。念のため、とゼオンは呪文を唱える。
「聖なる力を宿す古き言葉よ…我に知恵と力を与えたまえ…グリモワール!」
詠唱カットの魔法を唱えた後、剣に炎を纏わせて階段を更に下りていく。やがて階段を駆け上がる足音まではっきり聞こえるようになった。
ゼオンは立ち止まり、まだサラが来ていないことを確認して剣に纏わせた炎を膨れ上がらせて敵が来るのを待った。
弾かれた矢が転がっていく音まではっきりしてきた。そして遂に朝日の射し込む階段に一つのシルエットが現れた。
ゼオンはサラの前に立ちはだかると剣を振るう。剣の周りを漂う炎は十字の形を描き、それはやがて牢の鉄格子のように階段全体を覆ってサラに迫る。
だがサラの対応も早かった。サラは魔力を纏った槍を階段の螺旋の中央に向けて突き刺した。
槍から放たれた衝撃波が斜め上へと螺旋階段を横切るように貫通し、一階分上くらいの階段への道を作る。サラは穴から上の階へと飛び移って炎をかわした。
ゼオンは舌打ちして階段を駆け上がる。こんなやり方で切り抜けられるなんて。迎え撃つ形だったはずがサラを追う形となった。
「ゼオン! あたしがあいつの前に出る! ルルカと挟み撃ちにしよう!」
ティーナの声だ。ゼオンがティーナとルルカの姿を確認して頷くと、ティーナはサラが作った壁の穴から身を乗り出して、サラが飛び移った場所よりも更に一階分上へと魔法で壁に穴を作って飛び移った。
ゼオンはルルカと共にサラの後を追う。しばらくして前を駆け上がっていく足音がピタリと止まり、二人はすぐにそこへと向かった。
ティーナに結界を張るだなんて発想と技量があったのかとゼオンは少し感心した。
結界を張るといってもサラを閉じ込めるのではなく、螺旋階段の両脇にある壁をコーティングするように結界を張り、更にシャッターを下ろして道を塞ぐように、サラの前方ティーナの後方に結界を張っていた。
壁を覆うように結界を張ったのはいい手だろう。この壁は攻撃をかわすための利用価値が高い。実際先ほどもこの壁を利用された。
サラは舌打ちして槍でティーナを刺そうとし、ティーナは鎌でそれを受け止めた。
どうやらサラもキラ同様にやけに腕力が強いらしく、ティーナはすぐに力負けして後ろに弾き飛ばされた。すぐに体勢を立て直したがこのままでは危ない。
ゼオンはサラの背後から斬りかかる。サラの標的はティーナからゼオンに変わり、剣と槍がぶつかり合う。
お互いの武器が纏う魔力がせめぎ合って火花を生み、強い勢いで二人を引き剥がして後方に飛ばした。
螺旋階段の壁を背にゼオンとサラは睨み合う。
「あーあぁ、あんまりここで時間無駄にしたくないんだけどなあ。」
サラは少し苛々した様子で言った。そしてサラはこの局面を切り抜ける為の行動に出た。サラは魔力を纏った槍を床に突き刺した。
盲点だった。床に結界は張っていない。一気にヒビ割れが階段じゅうを駆け巡り、床が次々と崩れていく。
足場がぐらつき集中力がサラから足元に向いた。羽を持っているティーナとルルカはすぐに空を飛び始めたがゼオンには羽は無い。
下へと落ちそうになった時、ゼオンは腕を掴まれ、落ちずにすんだ。
「手間かけさせないでくれない?」
ルルカが細い腕でゼオンをなんとか支えていた。
「悪い、助かった。」
その時武器がぶつかり合う音がした。ゼオンが落ちそうになっているうちにサラは迅速に対応し上へと向かおうとしたらしかった。
サラを止めようとティーナが鎌で迎え撃つ。まずいなとゼオンは思った。ティーナは魔法で迎撃しようとしなかった。できないからだ。
ゼオンは二つ以上の魔法を同時発動させることに成功したが、ティーナはまだそれはできない。
壁を覆う結界を維持したまま攻撃魔法を使用することはできないのでティーナは鎌だけでサラに挑むしかなかった。
だが相手は俊足怪力のキラの姉。ティーナは槍の攻撃を受け止めるので精いっぱいの様子だ。
ルルカはすぐにゼオンを足場のしっかりした所まで運ぶ。だが一歩遅かった。
ゼオンの足が地につくのとほぼ同時。血飛沫が舞った。サラの槍がティーナの太ももを深く抉り、ティーナは膝から崩れ落ちる。
サラは次に背中を押してティーナを突き飛ばし、ティーナはゼオンの横を転がって床にぽっかり空いた穴に落ちた。そして悲鳴一つあげずに一つ下の階の階段に背中を打ちつけた。
ゼオンも、きっとルルカもそうだ。普段冷たいことを言ってはいるが、ティーナのことを決してどうでもよくなんて思ってはいない。
二人共思わず振り返りかけた。だがすぐに罵声が飛んできた。
「馬鹿! さっさと行って!」
どうやら意識が飛んではいないらしく、ティーナはこちらを睨んで言う。
サラは後ろなど見向きもせずに階段を駆け上がっていった。
ゼオンとルルカはティーナを置いて上へと進んだ。
だがサラの足は速く、追いつくのは容易ではなかった。少しずつ距離が放されてサラの姿が見えなくなる。このままだとまずい。
頂上が近づいてきた時、再び何かが強く打ちつけられる音がした。血の匂いがする。
間違い無く入り口付近の兵士達と戦闘があったのだろう。ゼオンとルルカが階段を登りきろうとした時、十数人の兵が階段を降りてきた。
「どこに行くんですか?」
「……下に行けと。陛下の命令だ。」
結局兵達はすぐにに去っていったが表情は険しく、本当はここを立ち去りたくないという気持ちが見えた。侵入者を前にして護衛を退かせるとはどういうつもりだろう。ゼオンとルルカはサバトの部屋の入り口に向かう。
廊下には血を流して呻く兵が転がっていた。配備されていた人数の半分くらいか。残りはおそらく下の階に行ったのだろう。
そして、サバトの部屋の前にサラが居た。入り口の扉が開いているにもかかわらず、サラはその場で立ち尽くしたまま動かなかった。
「どうぞ、お入りください。」
サバトの声だ。その声に導かれるようにサラは中に入る。
ゼオンとルルカもそれぞれの武器を握る手に力を入れ、後を追って中に入る。
この部屋は椅子と机以外ほぼ何も無い部屋だ。扇の形をした部屋で、扉がある方とは反対側の壁は全てガラス張りとなっていた。
ガラスの向こう側にはこの大国、ウィゼートの姿が見える。城の一番高い場所であるこの部屋からだと、都市も山も海も森も、この国を成す一つの点にしか見えない。
その点の集合で成り立っている広大な国を背負うかのように、国王サバトはガラスの壁の前に居た。
入り口から数歩のところ、国王までの距離はまだ少々あると言うべき場所にサラは立っていた。
その背後に武器を構えたまま、だが手は出さずにゼオンとルルカはサラを睨む。
サバトはサラに言った。
「こんにちは、サラさん。お久しぶりですね。」
朗らかに言うサバトに対して、サラは冷たい表情を崩さなかった。
それからサバトが、
「あなた方の両親を殺した方……どなただと思っていますか?」
と言うと、サラは長い槍をサバトの目に向けて掲げ、
「それはお前。サバト・フェン・エスペレン。」
と言う。サバトは寂しそうだった。
きっと、無駄かもしれないと感じてはいるのだろう。それでもサバトははっきり言った。
「それは違います。私は殺していません。お止めなさい、この戦いは意味がありません。」
サラは鼻で笑う。口元がニイッと上がり、同時に歯がギリギリ音をたてていた。
サラは武器を下ろすことは無く、真正面からサバトの喉元目掛けて槍を手に突っ込んでいく。
だが、サバトにたどり着く前に剣がそれを防いだ。盾となるように、サラとサバトの間に入り剣を構えるディオンが居た。
「ならば交渉決裂だ。かかってこい、サラ・ルピア。」