第7章:第30話
城内が荒れ始めた。ちょうどルルカとティーナがあの地下通路への入り口がある書斎の近くまでたどり着いた時だった。
書斎の辺りがどうも騒がしく、兵士達が次から次へとルルカ達とは逆の方向に走っていく。
騒ぎの声が書斎の所から遠ざかっていくのが聞こえ、ルルカは書斎に向かう足を止めて、兵士の一人をとっつかまえて尋ねた。
「これはどういう騒ぎ?」
「侵入者だ!こっちも急いでるんだ、邪魔しないでくれ!」
そう言って兵士はすぐに騒ぎ声の方へ駆けていく。もう書斎に行く意味はない。
ルルカは騒ぎ声のする方向とは全く違う方へと走り始めた。ティーナが慌てて言う。
「ちょっとルルカ! そっちは騒ぎが起こってる方じゃないよ!」
「どうせ相手はサバトさんを狙っているんでしょう? 先回りするのよ。昔よくこの城には来てたの……中の構造はわかっているわ。」
廊下を駆け抜けていくルルカの後をティーナが追っていく。
「ねえ、これどういうこと? 反乱のはずでしょ? んで城内に侵入者なの?」
ティーナはどういうことだか理解できず戸惑っているようだった。ルルカもはっきりとはわからない。だがなんとなくの想像はついた。
「多分……最初からこっちが目的だったのよ。反乱なんて最初からどうでもよかったんだわ。」
「どういうこと?」
「よく考えてみれば当然よ……サラ・ルピアがしたいのは復讐だもの。王を殺せればいいんだわ。
大規模な反乱は首都の外に意識を集中させる囮よ。多分その為にリーダーなんかになって、反乱軍を利用したのよ。」
ティーナは言葉を失った。その気持ちはルルカにもわかった。馬鹿でお人好しなあのキラと同じ血の通った人の行動とは思えなかった。
だが目の前の事実は残酷で、騒ぎは酷くなる一方だった。
ルルカは一階の入り口付近へと向かった。この辺りは吹き抜けとなっていて、見上げると6階辺りまでの様子はよく見える。
こういう時、自分は羽を持っていてよかったと思う。ルルカは翼を広げて飛び立ち、5階の手すりに降り立った。ティーナもすぐに後に続いた。
奥の棟へと続く渡り廊下があるのはこの階だ。人をかき分け、奥に進むと先ほどとは違う雰囲気の場所へ出た。
主に王族が私的に使う部屋などが並ぶ棟。サバトが居るのはこの棟だ。
ここの兵にも侵入者の情報は伝わっているようで伝達係と思われる兵が時折配備された兵に何か伝えていくのが見える。
だがまだ敵はここには来ていないようで、兵達は落ち着いていた。
大丈夫、まだ間に合う。ルルカは最上階へと続く螺旋階段の方に向かった。
他の廊下とは違い、この螺旋階段は別れ道が無い。時折窓があるが基本的に両側は堅い壁で覆われていて逃げ場など無かった。
ルルカはある程度階段を上がった所で登るのをやめてくるりと反対側を向き、曲線でできているこの階段の中、下の様子ができる限りよく見えるように窓際の壁に張り付き動くのを止めた。
そして杖を弓矢に変え、階段の下を見下ろす。ティーナがやっと追いついてきて言った。
「上にはいかないの?」
「下手に上の階に近づけてどうするのよ。ここで止めるわ。貴女もいつでも魔法が使えるよう準備して。」
「りょーかいっ!」
その時、下から轟音と叫び声が聞こえた。近い。どうやらこの棟にたどり着いたようだ。
敵がここにたどり着くのも時間の問題だった。音は段々近くなる。シャンデリアが壊れ、人が倒れ、血が流れる音がして、少しずつ足音が近づく。
ルルカは矢を出し、ティーナも杖を鎌に変え、呪文を唱える。
「白銀を纏いし聖なる矢よ……」
「漆黒の風よ全てを抉り舞い上げろ……」
ルルカは弓矢を引く。駆け上がる音が近くなる。石に靴がぶつかる音が次第にはっきりし、こちらの心音と息の音が聞こえる位に空気が張り詰める。
そして姿を現した。
「前方一帯を白に染めよ! ブラマンジェ・ロウ!」
矢は白銀の光に覆われ、標的へと突き進む。光は渡り廊下一帯を支配し、敵に逃げ場は無いかと思われた。だが、矢が仕留めたものは壁だった。ルルカは舌打ちして次の矢を構える。
窓を割り、外の壁に張り付いてやり過ごしたらしいのだ。敵はそれなりに強いらしい。だが、その時に敵はもうルルカの目と鼻の先に居た。まずい、そう思った時。
「渦巻け不可視の刃よ! ラム・トロンプイユ!」
ルルカと敵の間に竜巻が起こり、敵は後方に飛ばされた。びしゃりと少し血が落ちる音がした。とっさに腕で庇ったのか敵の腕には傷ができていた。
間合いができ、相手の勢いが止まったところでルルカはようやく敵の顔を見ることができた。
その時、ルルカはその顔がどこかで見覚えのある顔だということに気が付いた。
黒い髪に金のピアスの青年――すぐには思い出せなかったが、昨日のことを思い返して気づいた。
昨日乗った汽車で、ルルカ達の居た席の後ろに黒い毛に青い瞳の犬を連れた青年が居た。そしてその青年は、たしか金のピアスをしていた。
「貴方、たしか……」
「あんた! 一昨日スカーレスタの基地で会ったエリオットとかいう司令官じゃん!!」
ルルカが言うより先にティーナが叫んだ。ルルカはそちらの方に驚いた。
「えっ……え? 私は一昨日列車に乗ってた人かと……」
「え? いやいや、この人絶対スカーレスタの奴だって!」
「でも……私が昨日見たのも確かにこの人よ。汽車の中で見たわ。」
「えー、絶対こいつ昨日はスカーレスタに居たって!」
「……一体どういうこと?」
こちらが戸惑っていると、エリオットはふっと少し笑った。
「どちらも正解だよ。」
だがルルカは納得がいかなかった。弓を構えたまま尋ねる。
「どっちも……? ほぼ同じ時間に一人の人物が二つの場所に居るだなんて、そんな芸当どうやってするというのよ。」
エリオットは剣を構えた。
「それを説明する時間は惜しいな!」
速い。矢を放つより先に相手は目の前に居た。なんとかティーナが間に入って剣を受け止めるが、次の手も速かった。
防戦一方だ。ギリギリのところで止め切れてはいるがいつ押し切られるかわからなかった。
援護を、とルルカはエリオットの額に狙いを定める。だがエリオットが気づいて避ける方が早かった。再びエリオットはルルカの方に狙いを定めた。
正直接近戦は分が悪い。その時、ぶぉぉんと不思議な音と共に螺旋階段を下から駆け上がるように何かがエリオットの背中に向けて飛んできた。
結局それも剣ではじかれてしまったが、弾き飛ばされたそれを掴み取った人物を見てエリオットは苦い顔をした。
「またお前か、キツネ男。」
「キツネじゃなくて、俺は忠犬なんすよ。」
戦輪を手にしたイヴァンが居た。エリオットの正面にはルルカとティーナ、後ろにはイヴァン。逃げ場は無い。
ルルカは狙いをしっかりと定める。手を放せばいつでも討てる。鎌を手にじりじりとティーナが近づく。
相手は絶対絶命だ。剣を振れば矢と戦輪が同時にエリオットを貫くだろう。
だが有利な状況というのは壊れやすかった。突然耳をつん裂くような爆発音が響き、階段の壁が破壊された。
地震に似た揺れが起きて体勢も崩れる。エリオットはその揺れの中でぶれることなく立ち続け、壁が崩れる音を聞いて呟いた。
「早かったな、サラ。」
すぐにルルカは崩れた壁の方に弓矢を向ける。ぽっかりと空いた大きな穴から、細いすらっとしたシルエットが階段に降り立った。
手には槍へと形を変えたあの杖が握られていた。サラ・ルピア。ルルカが姿を見るのはこれで二度目になる。
あの村で見た時とは全く違う冷たく光のない蒼い目でこちらを見つめていた。
沈みきった感情の無い顔で槍を構えもせずに立ち尽くす姿がどこか不気味に感じた。
ルルカが狙いを定め、矢を放とうとした時、後ろで人が動く気配がした。
「ルルカ危ない!」
キンと高い音がしてティーナの鎌とエリオットの剣がぶつかり合う。その隙にサラが上へと駆け出した。
すかさずルルカは後を追おうとするが、エリオットがティーナの鎌を受け流してルルカの方に向かってきた。
舌打ちして立ち止まろうとした時、どこからか戦輪が飛んできてルルカを庇うようにエリオットの行く手を阻んだ。
「獣人は獣人同士戦わないっすか?」
その言葉にエリオットは振り向く。イヴァンはいつのまにかエリオットのすぐ目の前についていた。
イヴァンはエリオットの耳の金のピアスを指差した。
「多分そのピアスっすね。獣の耳を隠す魔法でもかかってるんでしょ。」
「……よく気づいたな。」
「その身のこなしの軽さは、獣人のもんっす。同族ならわかるんすよ。」
エリオットは少しだけ笑ってピアスを外す。金のピアスが外れた途端、光と共に白い狼の耳と尻尾が姿を現した。
イヴァンの挑戦をエリオットは受けることに決めたようだった。ティーナとルルカに背を向け、イヴァン一人に剣を向けた。
イヴァンもエリオットと一体一で戦うつもりのようだった。
「何してるんすか。二人とも早く追ってくだせえ。」
イヴァンはもうルルカもティーナも見ていなかった。
「任せていいわけね?」
「信用してくれるんすか?」
「まさか。その人を止めるための捨て駒になってくれるなら好都合ってだけよ。」
「へへ、そりゃどうも。」
それから、イヴァンはにっこり笑った。
「陛下を頼むっす。」
ルルカは頷き、ティーナに目配せし、二人は階段を駆け上がっていく。
後ろから武器がぶつかり合う音がしだして、やがて遠ざかっていった。
遠ざかっていく音の代わりに今度は乱暴に壁が崩されていく音と人の悲鳴が近づいてきた。
おそらく、上を守る兵士達の悲鳴だろう。二人は先を急いだ。