第7章:第26話
いつもは寝坊ばかりしているキラたが、その日は早くに目が冷めた。
ゼオンに言われて荷物を別の部屋に移動した後、明日に備えて早めに寝ることにしたのだが、眠りが浅かったのかまだ陽が登らないうちに起きてしまった。
キラは起き上がって、着替えてからカーテンを開ける。まだ外は闇一色で星がちらちら光っている。
城門辺りでアリのように小さな兵士達が集まったり動いたりしているのが見えた。まだ城門の外に動きはない。
だが、空がようやく明るくなり始めた頃、事態は変わった。ドタバタと兵士が一人廊下を走っていく音がした。それと同時に城門が開き、兵士達がぞろぞろ出て行くのが見えた。魔法で空を飛んでいく者もいる。
皆武器を構え、隊列を整えながら進んでいく。出撃だ。
キラは廊下へと飛び出た。辺りを見回し、近くを通った兵の一人に声をかけた。
「あのっ……」
「後にしてくれ! 反乱軍が動き出した! こっちも出撃だ!」
兵士はあっという間にどこかに行ってしまった。キラも落ち着いていられなかった。
廊下を行ったり来たりするができることが思いつかない。とりあえずゼオン達のうち誰かの所に行こう。そう思ったが、もうその必要は無かったようだった。
「始まったみたいね。」
ルルカの声がして振り返る。ティーナも一緒だ。反対側からゼオンとセイラが来る。
さすが、みんなこういう時の反応は早かった。ゼオン達三人は杖を既に手に持っていた。
「おはよ。遂にあっちは動き出したかーっ。さぁて、どうしようか。」
ティーナがゼオンの方をちらりと見る。ルルカもゼオンを見る。ゼオンって頼りにされているんだなとキラは改めて感じた。
「今は下手に動かない方がいい。軍に迷惑をかける羽目になったらただの邪魔者だ。サラ・ルピア本人が動き出すまでは大人しくすべきだ。」
「戦力はこちらが上なんでしょう? 私達が動くまでもなく国の軍が抑えてしまったりしそうじゃない?」
ルルカの言葉をゼオンは肯定しなかった。
「いや……そううまくはいかないと、国王はそう見ている気がする。」
何を根拠にゼオンがそう言うのかキラにはわからなかった。ティーナがゼオンに言う。
「じゃあ、こっちはしばらく待機ってことでおっけーぃ?」
「いいんじゃないか? 万が一この首都で何か起ったりしたら動けばいい。」
「りょーかいっ! んじゃあとりあえず解散ーっ!」
ティーナは元気良くそう言うと自分の部屋とは反対方向に歩いていく。ルルカもティーナについて行くようだった。
「どこ行くの?」
「探検っ!」
呑気だなあと思った。今のキラにはそう呑気なことを考えている余裕なんて無かった。スカーレスタでサラに会った時の、あの冷たい瞳が頭に浮かんだ。
ティーナ達が行ってしまった後、ゼオンもどこかに歩いていく。
「あんたは、どこ行くの?」
「……探検。」
たった一言でその場の空気が冷えこんだ。ティーナが「探検」と言っても違和感は無いのに、ゼオンが言い出すと違和感しか感じない。セイラがボソッと呟いた。
「ゼオンさんが……『お城だー探検しに行くぞーわーい』……違和感さんのお仕事がすばらしすぎて吐き気がします。」
「一人で言い出して一人でつっこんでおいてその冷ややかな目をこっちに向けるな……。」
「痛々しいのは事実ですよ。」
「……悪かったな痛々しくて。」
ゼオンの一言が虚しかった。
「全く……下手な嘘ですね。」
またセイラがボソッと言った。ゼオンは歩き出そうとしたがなぜか立ち止まって急にキラの顔をじっと見つめた。
どうしたのだろうと思っているとゼオンは急に杖に手をかざして短い呪文を唱える。
杖の先から光がでてきた。ゼオンが光の中に手を突っ込む。すると光の中から紺の生地で黄色いリボンが巻かれた帽子が出てきた。
「あっ、あたしの帽子! そっか、攫われた時に落としたんだ。」
「拾って、返すの忘れてた。」
ゼオンはキラの頭にずぼっと帽子をかぶせた。
「あ、ありがと!」
キラがお礼を言った時にはもうゼオンは背を向けて行ってしまっていた。
最近ゼオンが前より優しいかもしれない。喜んでいい時ではないかもしれないが、キラの顔が少しだけ綻んだ。
気分が良くなるとついはりきりたくなってしまう。帽子のつばをぐっとつかんでキラは廊下を走り始めた。
しばらくして階段を見つけたのでそこから下の階へと駆け降りていく。セイラは途中までキラの後をついてきていたが、階段に着いたところで立ち止まって言った。
「キラさんは、どちらに行くつもりです?」
「あたしも、探検っ!」
自分にできることを探そう。サラを止めるため、何かできることはないかとキラは動き始めた。
◇ ◇ ◇
城の頂上はやはり遠い。体力はいくらかあるので階段の上り下りで疲れることはないが、なかなか目的地にたどり着かないじれったさというものは感じる。
遠くに見える窓から見える景色が上に登っていくにつれて街並みから空へと変わっていった。
ミルクを溶かしたように白んだ空の彼方にうっすらと山脈の影が見える。下を向けばミニチュアの家を敷き詰めたような街が広がっている。
王というのはこんなに高い所にいるのか。
探検というのは勿論嘘だった。目的地はあった。キラ達と別れた後、ゼオンは城の最上階の部屋を目指していた。サバトが居るのはその部屋らしい。多分そこにディオンも居るだろうとゼオンは考えた。
上に行くにつれ、見張りの兵が多くなっていく。ゼオンが前を通る度に兵がギリッと目を光らせてこちらを見てきた。
国王の護衛兵が配置されるのはこの辺りだろうか。だとしたらあのイヴァンという獣人もこの辺りに居るのかと思ったが、結局イヴァンに会うことはなかった。
最上階に着いた途端、体格のいい兵士二人がゼオンの行く手をふさいだ。
「ここから先は通れないよ若僧。陛下と公爵様にそう簡単に会えると思ってるのかい?」
そうか、自分は若僧だったのかと少し新鮮に感じた。言われてみれば16歳は確かに若僧だ。
ゼオンは腹を立てることはなく冷静に言う。
「そこをなんとか、お願いできませんか。陛下と兄にお話したいことがあるんです。」
ゼオンはクロード家の紋章を取り出した。途端に兵士の顔が青ざめていった。権力ってすごい。
兵士の一人が奥の方へと向かう。しばらくしてまた戻ってきてゼオンに言った。
「公爵様が、部屋に入っていいとさ。」
権力ってすごい。ある意味関心しながらゼオンは兵達の間を悠々と歩いて行き、最上階の部屋に入った。
思った通り、そこにはディオンとサバトが居た。一面大理石で覆われた床に二人の影がくっきりと映っている。
そこは民家一つ入りそうなくらいの広い部屋で、身の丈を遥かに越える大きな窓の向こうに雄大な景色が広がっている。
もしかしたら部屋にあった家具が国王の机と椅子くらいしか無かったので余計に広く感じたのかもしれない。
「ゼオンさんですね。ディオンに用ですか? それとも僕にでしょうか。」
サバトがこちらを見て微笑んだ。ディオンがゼオンの所までやって来た。
「話があると聞いたが……どうかしたのか?」
「いや、大した話はない。ちょっと国王様の意向が気になったんだ。」
「それを聞きにこんなとこまで来たのか。」
するとサバトがディオンに言った。
「話はわかりました。ゼオンさん、僕の意向……とはどういうことでしょうか?」
「失礼ですが陛下……、陛下はこの首都……あるいはこの城で戦闘が起きる可能性があると考えているのですか?」
いくら反乱軍がスカーレスタ兵を従えたとはいえ、兵の数はまだこちらが上。
兵の質も、あちらは武装しただけの獣人達と操られてる兵士。こちらは王を守る訓練された首都の兵だ。
未だにこちらに有利な状況だ。なのにやたら守りに割く力が大きいような気がした。
この有利さには落とし穴がある……そんな不安感はゼオンにもあった。だがその落とし穴のはっきりした正体はまだわからない。
サバトは優しい笑みを消した。背筋を伸ばし、鷹のように鋭くこちらを見つめて話し始めた。
「確かにスカーレスタが落ちたとはいえまだこちらが優勢です。
ですが、まだこちらが有利という状況で直接対決に持ち込んでくる……そのやり方がサラ・ルピアらしくないんですよ。」
「……らしくない。」
「作戦を考えているのは彼女ではない可能性もありますが、だとしても反乱軍らしくありません。」
サバトはディオンに尋ねた。
「ディオン。たしかサラ・ルピアが君を利用しようとしたからロアル村でゼオンさんと会うことになったんでしたね?」
「はい、そうです。」
少し機嫌悪そうにディオンは答えた。
「そういうやり方をした相手が、負けて当然の戦を仕掛けてくるとは思えません。
力推しで打ち勝とうとするタイプではないでしょう。何か策があるのかもしれませんから警戒しているのですよ。」
「そう、ですか。お話してくださってありがとうございます。」
そう言ってゼオンは殆ど空っぽの部屋を見回した。走り回ることだってできそうなくらい広い部屋だった。
すると今度はサバトの方からゼオンに質問してきた。
「……というわけでゼオンさん。あなたはサラ・ルピアとスカーレスタで戦ったんでしたね?
どんな様子だったか、少しでもいいので教えていただけますか? 勝つ為に参考にしたいので。」
スカーレスタでのサラのこと、その後村で会った時のサラのことを思い出した。
「スカーレスタで会った時のサラ・ルピアは……少し……おかしかった気がする。」
「おかしい?」
「サラ・ルピアは復讐の為に馬鹿女……キラを巻き込むことはしないと思ってた。サラ・ルピアは、あの馬鹿のことは大事にしているんだと思ってた。
けどスカーレスタではキラのすぐ横に居た俺に不意打ち仕掛けてきて、兵士達に俺達だけじゃなくあいつも捕らえるように指示してた。
あの村で会った時とは少し様子が違ったような気が……します。」
ゼオンはサラと戦った時に妙な胸騒ぎがした。何の予感だかはわからないが、この反乱はそう簡単に収まってはくれないように感じたのだ。
「わかりました。ありがとうございます。」
「あいつ、かなり強いですよ。注意してください。特に今はあの杖があいつの手にありますので、魔法の威力が強くなっています。」
サバトは頷き、椅子の背もたれに寄りかかった。サバトの背後の窓から朝焼けの光が入ってくる。
まだ登りきっていない太陽の光が大理石の床に長い影を作っていた。
サバトは呟いた。
「わかっています。この反乱、必ず止めます。僕も生半可な覚悟で王になったわけではありませんので。」