第7章:第23話
不必要なくらいに高い天井が懐かしく感じた。キラ達からしてみればこういった城は華やかで憧れるが、同時に居づらいとも感じる場所なのかもしれない。だがルルカはむしろこういった場所の方が気分が落ち着いた。
一人一部屋与えてもらえるのは嬉しい。誰の視線も感じない空間。だだっ広い客人用の寝室でルルカはぽつんとソファに座り天井を見上げていた。
キラとサバトはどんな話をしているのだろう。今でもルルカはサバトがキラの両親を殺す姿なんて想像がつかなかった。
昔からあの人は誠実で優しく、だが時に厳しく、そしてとても眩しい人だった。あの人が誰かの親の命を奪うとは思えない。
だが、同時に「本当に?」と疑う自分が居た。目に見えるものが全て嘘だという可能性はいくらでもあることをルルカはよく知っていた。嫌という程思い知らされた。
なんとなくルルカは席を立ち、廊下に出てどこかへ歩き始めた。足音がよく響く。自分のも他人のも。
時々隣を通り過ぎていく衛兵や使用人の話声もよく聞こえた。反乱について、給料を上げてほしい、あとは国王とクロード家の当主はどっちの方がイケメンかなど話題は様々。
その中でこんな話を聞いた。
「しかし、陛下はなんでもうすぐ獣人達が反乱しだすーって時に獣人を護衛兵にしたんだろうな。」
「あのイヴァンって奴だろ? 陛下に随分失礼な口利くし……。あいつ信用できるのか?」
「陛下の幼い頃の友人だったって噂だよ。」
「それで護衛か。ずりぃなあー俺も出世してえ。」
「ばか、陛下は実力ある奴しか買ってくれねえよ。そのイヴァンって奴も相応の実力があったんだろ。」
「わかってんよ。……けど、あいつ獣人だぞ? 本当に信用できるのか? 護衛兵になる位の奴がもしスパイだったら……」
その辺りで話はよく聞こえなくなった。確かにイヴァンがサバトの護衛兵であることはルルカも気になっていた。
別に獣人であることはどうでもいい。だがどうにもルルカにはイヴァンが護衛を任される程の人物とは思えなかった。
そしてルルカ達が通ってきた地下通路。あれはおそらく万が一の時の非常脱出用の通路だ。ルルカが王女だった頃住んでいた城にもそのような通路の存在があることは聞いていたのでわかる。
その存在を知っているのは王族と極一部の者だけ。そんな通路の存在を一兵士に過ぎないイヴァンが知ってていいのだろうか。
本当に信用するに足る人物なのだろうか。そこまで考えたあたりでルルカは足を止めた。
そしてたどり着いた場所に気づいてため息をついた。サバトの執務室の前だった。
ルルカが引き返そうと振り向いた時、そこにイヴァンがいた。
「やっほぅールル嬢! 元気っすかー?」
「キツネに会わなければ元気でいられたのにね。」
「うあっ、だから俺はキツネじゃねえっす犬っすアキタの優秀なワンちゃんっす!」
またごちゃごちゃとやかましい。だがちょうどいいのでルルカはイヴァンに訊いてみた。
「貴方ってサバト……さんの友人なの?」
「そうっすよ。友人といってもかなり昔に会って、そっからしばらく会わなくなって、また話せるようになったのはつい最近なんすけどね。
ところで、陛下に会いに来たんすよね? 早く入ればいいじゃないすか。陛下ー、ルル嬢が会いたいみたいっすよー。」
イヴァンは大声でそう言ってドアをノックする。慌ててルルカは止めるがイヴァンは聞いちゃいない。
「どうぞ。」と中からサバトの声がしてイヴァンは戸を開けた。部屋には執務用の机にサバトが居て、その机の前にディオンが居た。どうやら反乱に備えて何か話していたような雰囲気だ。
そんな時でもサバトは優しくルルカに笑いかけた。
「ルルカ、どうしました? どうぞおかけください。」
そう言ってサバトはソファを指す。だがこの状況、どう見てもルルカは邪魔者だ。
慌てて断ろうとするが言葉が出ない。するとイヴァンが背中を押した。
「さっさと座ればいいじゃないすか、ほら。」
仕方なくルルカはソファに座る。それからイヴァンが書類を一枚サバトに差し出した。
「言われた通り、城下町の住人には家から出ないように命令は出しておいたっすよ。あと兵達に怪しい奴が首都内に居ないか探させてるっす。
あと貴族達も殆どが命令に応じて反乱鎮圧の為に協力してくれそうっす。
時間はねぇけど、戦力はなんとか集まるかなってとこっすよ。」
「よかった、ご苦労様でした。」
「しっかし、サラ・ルピアもやってくれたっすよね。まさかスカーレスタが落とされるとはね。
内部の体勢に問題があったんだったら、後からクロード家にちょっと罰則がいくかなー?」
ディオンが少しムッとした様子でイヴァンを見る。イヴァンはにいっと笑うだけだ。
「二人とも、お静かに。」
その一言で二人はすぐにサバトの方に向き直った。するとディオンがサバトにこう尋ねた。
「失礼ですが陛下、一つ私からよろしいでしょうか。」
「どうぞ。」
「話によると、朝方なぜかサラ・ルピアはスカーレスタに入り込んで、精神操作の魔法で兵達を操って街を乗っ取ったそうです。
どうしてサラ・ルピアはそうも簡単にスカーレスタに入り込めたのでしょうか。」
「兵達の中の誰かがサラ・ルピアを手引きして中に入れた……ってとこでしょうね。」
「私もそう思います。ですが、だとしても静かすぎではありませんか? こうも相手方の思うように事が運んでしまったのには理由があるのではと思います。」
ディオンが言いたいことはルルカにもなんとなくわかった。戦闘が全く無く街一つ乗っ取られること自体が異常である。
国の要ともいえる場所をそうも易々と落とされるほどウィゼートという国は弱くはないはずなのだ。
スパイの存在に気づかないような兵しか集めていない場所であるはずがない。
「反乱軍側にかなりの強敵がいる可能性があるかもしれません。……スパイの存在に気づいた者が居ても黙らせられるような。」
「ええ、その可能性は高そうですね。スカーレスタが落ちてもおそらく戦力的にはこちらが上ですが、気を抜かないよう兵達に伝えてください。
……サラ・ルピアはまだ何か策を隠していそうですしね。それに……」
何かを言いかけてサバトは口を閉ざした。ディオンとイヴァンは真面目な顔してサバトの言葉を待つ。
今まで見たことがない「王」としてのサバトをルルカは初めて見た。今まで知らなかった隠れた一面までもが眩しい人だった。何度見ても思う、この人には適わないなと。
「イヴァン、私の護衛担当の兵は全員城内部に配置、城入り口付近と内堀の兵を増やします。」
そう言ってサバトは書類に何か書き込み、イヴァンに渡す。ルルカにはその指示を出した理由がよくわからなかった。戦力で勝っているのだから城の守りより鎮圧の方に兵を回すべきではないのだろうか。ルルカには守りに人員を割き、戦力を分散させる理由は思いつかなかった。
だがディオンもイヴァンも口を出すことはなかった。サバトを信用しているからなのだろう。唇を噛み、少しだけ俯いた。
「では、二人ともお願いしますよ。」
「了解、陛下。」
「頼りにしてます。」
二人は深く礼をし、部屋を去っていく。眩しいと思った。俯いて顔を上げられなかった。
そして不思議に思った。どうして信用できるのだろう。スカーレスタが落ち、兵の中にスパイがいるかもしれないとわかったこの状況でなぜお互いを信用していられるのかが不思議だった。
「ルルカ。」
すぐ近くで声がした。前を見たらすぐ目の前にサバトの顔があり、驚いて思わずのけぞってしまった。
サバトは座っているルルカに目線を合わせてしゃがみこんでこちらを見つめていた。ルルカの知っているサバトの姿だった。
笑ってサバトは向かい側のソファに腰掛ける。
「待たせてしまってすみませんでした。ようやく話ができますね。」
「あ……はい。」
うまく話せない。目も合わせられない。ろくな返事ができなくてもどかしかった。
「五年ぶりですよね。長い逃亡生活……大変だったでしょう。」
「大丈夫です。慣れてきましたし……」
「髪を切ったんですね。昔の長い髪の毛も綺麗でしたが、ショートカットも似合ってますよ。」
「あ……ありがとうございます。」
落ち着いているサバトと対照的にガチガチに緊張している自分が嫌だった。
そして昔のルルカを知っているこの人の目の前に居ることが怖かった。
「クーデターのことは……気の毒でしたね。あなただけでも生き残ってくれて本当によかった。」
「お姫様」から今のルルカに変わった誰から見ても明らかなきっかけ、五年前のエンディルス国のクーデターについて。
いつか触れられるだろうと思っていたが、結局サバトはそれに関しては他には何も言わなかった。
今度はルルカがサバトに言った。
「国王に……なったんですね。」
「はい。二年前に父が病で亡くなり、僕が即位しました。私の即位に関しても大変もめて、国内も城内も滅茶苦茶で、最初はどうすればよいかわからないことだらけでしたが、やっと少し軌道に乗ってくれてきたところですよ。
苦労も多かったですが、支えてくれる方々も多く……本当に感謝しております。」
ディオンとイヴァンのことを思い出した。
「あの二人もですか?」
「そうですね、ディオンとイヴァンは頼れる部下であり、友人です。ディオンとは幼なじみなんですよ。」
「……イヴァンとは?」
「イヴァンとは私が幼い頃に城下町で会ったんです。イヴァンは親を早くに亡くしていまして、お腹を空かせてさ迷っていたのを見つけたのでついあの地下通路を使ってお城に連れてきてしまってね。それでちょっとお城の食べ物をこっそり分けてあげたことがあったんです。
それ以来しばらく会っていなかったんですが、気がついたら兵士になっていました。その時は下っ端でしたが。
そこからどんどん実力をつけて位を上げてきていたので、私が護衛の兵に指名したんです。あの人は見かけによらず努力家ですよ。」
「獣人を護衛にすることに抵抗はなかったんですか。その……種族的な嫌悪という意味ではなく、裏切りを警戒したりはしなかったんですか?」
「裏切り? とんでもない、私はイヴァンを信頼していますよ。」
思わずきつい言葉が出た。
「……甘すぎますよそれじゃ。」
信頼という言葉が怖かった。心の底から信じていた人物でも掌返して一瞬で敵になることを知っている。
逃亡中、「匿ってあげる」と言った人が国の兵士を引き連れてきた回数は数え切れない。
どんな人でもきっかけさえあれば一瞬で敵になるのだ。常に周りを疑っていかなければならない。
「スカーレスタにだってスパイが居たんですよ? イヴァンに限らず、この城にスパイが居る可能性は十分にあります! そんな簡単に……」
そこまで言いかけて口を閉ざし、それから「すみません。」と謝った。八つ当たりであるとルルカ自身もわかっていた。
「確かに、可能性としては十分にあります。ですが……」
サバトは優しく微笑みながらも、こう言った。
「民を信用しない王に誰がついていくでしょうか?」