第7章:第15話
ようやく両足が地に着いた。あの穴に飛び込んでからもつ随分時間が経ったような気がする。
穴自体はまだ地下深くまで続いているが、イオによると出口自体はこの階にあるらしい。水晶と機械でできた大樹ももっと深い場所から生えているようだった。
たどり着いた場所は、先ほどの幻想的な雰囲気の場所とはうって変わってどこか禍々しく不気味な雰囲気の場所だ。
上の階では、所々床から紅と蒼の水晶が生えていたが、この階にある水晶は全て紅色だった。暗闇に紅の光が舞い、どこからか目が痛くなるような蒼い鎖がいくつもいくつもぶら下がっている……なぜか寒気と恐怖を感じるような場所だった。
よく見ると蒼い鎖は全て途中で千切れていた。そして部屋の中央を見ると、そこには水晶でできた巨大な十字架があった。蒼い鎖はその十字架に巻きついているが全て千切れているので意味を成していない。
そして、その十字架の向こうに壁も無いのになぜか扉だけが立っていた。
「この部屋にも……さっきの記録とか予言とかみたいになにか言い伝えみたいなのがあるの?」
キラは逃げ出す前にそのことを聞いてみたくなった。全身に電波が走るような恐怖感を覚える部屋――何の意味もない部屋とは思えない。
イオは立ち止まり、十字架を見上げて言う。
「さっき水晶の樹の中に『罪人の記録書』があったのを見たでしょ? ここはあの罪人を閉じ込めておいた牢獄だったんだよ。」
「だった……?」
「今は牢獄でも何でもない部屋ってこと。」
「じゃあ、その罪人はどうしたの? 死んじゃったの?」
イオは不愉快そうに言った。
「逃げちゃったんだよ。」
そう言ってまた話を切った。そこまで聞かされると逃げた罪人はどうしたのか、また聞きたいことができてしまう。
だがイオはその話の続きはせず、十字架に背を向けて唐突にそこにあった扉を開いた。
それ以上は今聞くべきじゃないと、そう言うかのようだった。
「外に出たら横に階段があるから、登っていったら地上に出るよ。見張りに気づかれないように気をつけてね。」
扉の向こうには石造りの部屋があった。この部屋とは違って、よくある「地下室」のようだった。
イオは扉の横でにっこりと笑った。「罪人」の話はしてくれなかった。
罪人の話は気になったが、話してくれないのなら別にいい。今キラが気にするべきことは、罪人ではなくて反乱軍だ。
見張りの兵士は殴り倒していけばいい。腕や脚を伸ばして準備運動しながらキラはイオに言った。
「色々ありがとね。おかげで助かったよ。」
「どういたしまして。」
キラは開いた扉の前に立つ。準備はできた。あとは突破するだけ。部屋を出る前にイオが言った。
「一ついい? 本当に逃げ出すの?」
「勿論。なんか問題?」
「ううん。ただ、助けを待ったりしないのかなーって。」
キラは扉を抜けて石造りの部屋に出た。部屋の天井ははるか高く。螺旋状に上へと向かう階段があった。これを登れば地上へ出れるようだった。階段の上の方に見張りらしき人の姿がちらちら見えた。
キラはイオに笑いかけて言った。
「イオ君。あたし昔っからね、捕らわれのお姫様よりも、お姫様を助ける王子様に憧れてた子なんだ。」
そしてイオに手を振り、じゃあねと言ってキラは部屋を後にした。螺旋階段を登って見えない頂上を目指した。
お姫様よりも王子様になりたかった。だってかっこいいから。本当は助けられるよりも助けたかった。
キラが螺旋階段を登り始めたのと同時に上の見張りがキラに気づいたらしく、一斉に向かってくる。
頭に一発入れて一人、後頭部に一発でもう一人、バックドロップで更に一人。片っ端からねじ伏せながら、キラは一気に階段を駆け上がる。
元から運動神経はある、上まで上がりきるのに数分も必要ない。部屋の底はすぐに遠くなり、キラは階段を登り切って頂上の扉をくぐった。
扉を開くとそこは聖堂の中のようだった。何も考えずに飛び出したことを少し後悔した。
急いで近くの柱の影に隠れる。反乱軍の兵と思われる魔術師や獣人があちこちをうろうろしている。飛び出せばあっという間に捕まってしまう。
灯りもなくて暗く、色とりどりのステンドグラスが暗闇にぽっかり浮かび、そこから光が射し込んでくる。
聖堂という名前に相応しい場所だった。白い壁に高い天井。何かと左右対称な建物の造りに宗教的な神秘性と不気味さを感じた
キラはその下に閉ざされた大きな扉を見つけた。出口だと思った、その瞬間。
「そこだ、逃がすな!」
瞬時にキラは逃げ出した。見つかった。追っ手をうまくかわすがこのままではいけない。
キラは扉へと走った。だがキラがたどり着く前に前方を反乱軍が埋め尽くす。
駄目だ、キラは回れ右して聖堂内へと走る。こちらにも兵士は居たがまだ数が少ない。
片っ端から片付けていくが数が多すぎる。別の出口はないか逃げ回りながら探し回ったが見つからない。
その時また前方を兵士達に塞がれた。後方からも対処しきれない数が来る。
右に二階への階段があった。キラは迷わず二階へ駆け上がる。窓か何かを探せば……と思ったが二階の廊下も兵士だらけだ。そのまま三階へと階段を駆け上がる。
後ろの追っ手の数はどんどん増えている。逃げ道も次々と塞がれる。じわじわと追い詰められているのがようやくわかってきた。
三階の廊下を駆け抜ける。足の速さならキラはきっと誰にも負けないだろう。だが足が速くても出口が無ければ意味が無い。
廊下の突き当たりの部屋へとキラは飛び込んだ。聖堂内のはずなのにそこは小さな寝室のようになっているようだった。
子供用のような二段ベッドがあり、おもちゃが散乱している。そしてその向こうに窓があった。
キラはすぐさまカーテンを開き窓を開ける。飛び降りて逃げるしかない。普通の人にはできないが、キラになら。だが、その希望はあっさり砕かれた。
窓から下を見て、言葉を失った。何人居るのだろう。何十人もの武装した兵士が窓の下を埋め尽くしていた。嘲笑うかのように今か今かとキラが来るのを待ち構えていた。
後ろからもカチャカチャと武器の音がした。希望が砕けるような音だった。どう足掻いても倒しきれない人数の大人達が武器を持って部屋に入ってくる。
次々と人が来る。部屋を人が埋めていく。窓の壁にぺたりと張り付き、自分よりもずっと高い大人達が視界を埋めていくのをなすすべなく見ているしかなくて。
力が抜けていくような気がした。怖くて、でもどうしようもない。ああ、弱いな――そう思った。
そしてたくさんの黒い手がキラに近づいてきた。その時。
全ての黒い手に火の玉がぶつかった。後ろの窓からだ。弾幕のように無数の炎が窓の外から撃ち込まれ、キラに近寄る兵士達を全て打ち倒していく。
キラは窓によじ登り身を乗り出す。朝焼けの空に浮かぶシルエットが物凄い勢いで近づいて。
「掴まれ、キラ!!」
声の方へ夢中で手を伸ばした。その手はしっかりと掴まれ、キラの小さな体は聖堂から引きずり出されて宙に浮く。
ぐっと腕に体重がかかり、空を勢い良く飛んでいるため風が顔にぶち当たった。
宙ぶらりんの状態だが落ちる心配はもう無い。手を掴まれた状態のまま、その人の顔を見上げた。
緊張の糸が切れ、思わず泣き出しそうになった。強がって何でもないふりをして言った。
「そうやって箒に乗って空飛ぶの最っ高に似合わないよ、ゼオン。」
強く腕を引かれ、空を飛んでる最中の箒に立ち、ゼオンとティーナの間に座る。
「来ない方がよかったかもな。」
ゼオンは少しつまらなさそうにフンとそっぽを向く。相変わらずだ。
キラは少し笑って、少しだけ俯き、そして言う。
「ううん、来てくれてありがとう。」
悔しいが、最高にかっこよかった。
◇ ◇ ◇
暗く深い地下室の底、石造りの螺旋階段の一番下から、イオは遠い天井を見つめていた。そよ風のように上から騒ぎ声がかすかに聞こえてきた。
イオは見えない「誰か」に言った。キラと会った時とは別人のような、幼い少年とは思えない振る舞いで。
「キラはしっかり逃げたわけだし、とりあえずこれでいいんだよね?」
すると「誰か」は答える。澄んだ女の声だった。
『ええ。ご苦労様、イオ。オズ来なかったのは残念だけど、まあいいわ。』
「だね。キラを攫えばホイホイ来てくれると思ったんだけどね。まあ、そう簡単にチェックメイトはさせてくれないってことかな?」
『そのようね。まあ構わないわ、最後には絶対に追い詰めてみせるもの。』
イオはニッと無邪気に笑った。
『後はサラ・ルピアの好きにさせておいてちょうだい。』
「了解、メディ。」
幼い声がこの聖堂の静けさの中に響く。