第7章:第8話
昼間なのに行く先は暗く、一瞬でも気を抜けば右も左もわからなくなりそうだった。
足元はぬかるみ、魔物の気配も絶えることはなく、鬱蒼と生い茂る木々の葉がゼオン達の行く手を塞ぐ。
深く暗いこの森があの閉鎖的な村を守り続けてきたのだと改めて思った。そして、守りの盾であると同時に檻でもあるのだろう。
そんなことを考えながら、ゼオンはディオンとティーナの二人と森の中を進んでいった。
昨日はあの後解散し、今朝ゼオン達はスカーレスタに向けて出発したのだ。
イヴァンやルルカやセイラとは行き先が違うため別行動となった。三人は隣町に出た後、汽車でアズュールに向かうと言っていた。
ゼオン達はどうやって行くかというと、本当はこんな森にわざわざ入らなくても、瞬間移動の魔法で一瞬でスカーレスタに行けるはずだった。
だがルイーネが「村内から瞬間移動の魔法で村外に出ることはできない」なんて言うものだから、こうして村から離れた場所に出てきたのだ。
「全く、あの村めんどくさい仕組みしてるよねぇ……。」
ティーナの言うことに今なら心から同意できた。
そうしてしばらく歩いていると、木が割と少なく、太陽の光が射し込む広い場所に出た。そこにたどり着くと、ディオンは足を止めた。もう村からは大分離れただろう。
「兄貴、そろそろか?」
「そうだな。じゃあ始めるか。」
そう言うとディオンは腰に差している剣を抜いて地面に突き立てた。
そして地面に魔法陣が浮かび上がる。どうやら当主の仕事だけではなく、魔法の勉強もしっかりやっていたようだ。
「魔法陣から離れるなよ。離れたら千切れるからな。」
「おー、怖いこと言うね。」
そう言ってティーナは魔法陣の上に乗り、続けてゼオンも乗った。
ディオンはそれから詠唱を始める。
「時と時空を操りし女神よ……我に力を与えたまえ……」
その声と共に魔法陣がさらに大きく展開する。そして眩い光と共に空気が渦を巻くような音が聞こえはじめた。
何かが捻れていくような、そんな感じがした。そして光が強くなればなるほど「捻れ」の感覚も強くなってゆく。
離れた場所に一瞬で行くには大きな負荷がかかる。そして、光がゼオン達を覆っていった。
「……天を越えよ壮麗なる光! リュモア・モーメント!」
その声と共に宙に浮いたような不安定な感覚がやってきたかと思うと、周りの景色が一瞬で捻れてかき消された。
やがて捻れた感覚も消え、周りの光も弱まり、視界が晴れ、現れた景色は森の中ではなくだだっ広い草原だった。
本当にあの森からスカーレスタのある地方までやってきたのだ。行く手を遮る木々もなく、青い空がとてもよく見えた。
草原には馬車が通れるくらいの道が一本だけあった。そしてその道を目で辿っていくと、その先には石造りの建物が立ち並ぶ大きな街が見えた。街の真ん中には豪華というよりはやたら丈夫そうな城が見える。
ディオンの言う基地とはあれだろう。ゼオンはディオンに尋ねた。
「あれが、スカーレスタの街か?」
「ああ、そうだ。」
あれが、反乱軍が次に狙う街。確かにあの堅牢そうな城を落とせば、いい拠点となるのだろう。武器などもきっとたくさんあるだろう。ティーナが言った。
「あれが反乱軍の狙いかあ。」
「そうだ。手は早く打っておいた方がいい。……急ぐぞ。」
そう言って歩き出すディオンの後ろにゼオンとティーナも続き、三人はスカーレスタの街に足を踏み入れていった。
◇ ◇ ◇
国の兵士というものは一目でわかる。戦いというものからかけ離れた生活を送る一般人とは空気が違うのだ。
長い逃亡生活を送ってきたせいか、ゼオンは兵士と一般人を一目で見分けられるようになっていた。
普通街中で兵士などそうは見かけない。だがこのスカーレスタという街は違った。軍人だと思われる人が道行く人の軽く三四割は占めていた。
おそらく街の中心の「基地」と思われる城に勤めている人々なのだろう。
「まっすぐあの城に行くのか?」
「いや、一度寄るところがある。この街はクロード家の別荘があってな。荷物とかは置いてきた方がいいだろ。」
針でも飲んだような気分だった。ディオンに言いたくなった。別荘とはいえクロード家の屋敷にゼオンが出入りしていいのかと。
だがそう言いかけて飲み込んだ。いつまでも、クロード家に「怯えて」てはいけないと。ディオンの目がこちらを見た。
「問題か?」
答えは一つだ。
「いいや、全然。」
力強くそう言い、ディオンの後をついていく。
「よかったね。」
ティーナの声が後ろ少し離れたところからしていた。
ゼオン達は賑やかな街中を抜け、家々が立ち並ぶ通りに出た。さすがにクロード家の別荘がある通りは立派な屋敷ばかりが立ち並んでいた。
中央の城からも離れた静かな場所にそれはあった。硬い顔した警備員が居て、その向こうには見飽きた紋章が刻まれた屋敷。
またこの紋章の屋敷に入ることになるとはと、ゼオンは紋章をじっと見つめていた。警備員達はディオンの顔を見ると一層硬い表情になった。
「おかえりなさいませ、ディオン様! 知らせは受けております。」
「ご苦労。留守中何か問題とかは無かったか?」
「それが、つい昨日……。」
警備員はディオンのところまで来て小声で何か話し始めた。
何を言っているかは聞こえなかったが、話を聞き終えたディオンは急に真っ青になって言う。
「嘘だろ!?」
「本当でございます、昨日連絡も無しに突然いらっしゃいまして……。」
「俺は許可は出してないぞ!?」
何があったんだ、そう思った時突然屋敷の門が開いた。
大勢の使用人達が両脇でお辞儀をする中を堂々と歩いてくる人物がいた。
それはつい先日会ったばかりの人物だ。後ろに猫耳の使用人もいる。ディオンが言った。
「なんで居るんだ、姉さん!」
その途端、華麗な跳び蹴りがディオンの顔を直撃した。事態を呑み込めないゼオンは呆れて眺めているしかない。
どこの世界にお姫様ドレスにハイヒールで跳び蹴りする令嬢が居るのだろうか。後ずさりしたディオンの顔にはくっきりとヒールの跡がついていた。
目の前にはクローディアとノアが居た。そしてクローディアは早速ディオンになんとも優しげな笑顔で言う。
「お姉様に向かってなんで居るんだとはどういうことかしら、ディオン?」
「姉さん、まだ上との交渉は成立していないんだ。ウィゼートへの入国許可は出な……」
「待ってらんないから来たんでしょうが。」
「そこで来ちゃ駄目だろ……。」
「あら何よ、ここ元は私の別荘よ。私の別荘に私が来て何が悪いの?」
「だから入国許可が……」
「ねえゼオン聞いてー、ディオンがいじめるのよー。」
甘ったるい声でそう言うと、クローディアはゼオンに駆け寄り嘘泣きをした。
ディオンが恐い顔してこちらを見ているがそんな顔をされても困る。ゼオンは姉と兄のにらみ合いの真ん中に立たされた。
「おいゼオン、お前どっちの味方だ。」
「俺にどうしろと。」
「あらぁ、ゼオンは私の味方よねえ。」
二人とも迫力たっぷりにこっち見ている。「こっち見んな」と思ったがこっち見ている。
正直なところ、ゼオンがどうこう言える問題ではないと思うのだが、何か反応しなければ二人とも納得してくれない様子だった。ティーナにぼそりと言った。
「こういう時、どうするものなんだ?」
「やー、昨日ゼオンがあたしに言ったセリフは名言だったねえー!」
昨日言った台詞――「お前の行動はお前が決めろ。」。つまり自分で決めろということ。
この状況では皮肉にしか聞こえない。皮肉も容赦なく言うところもティーナらしい部分なのだろうが、今のゼオンの助けにはなってくれなかった。
ゼオンはディオンとクローディアの顔を交互に見る。まだ交渉が成立していなかったのに勝手にやって来たのだからクローディアが悪いような――そう思ってディオンを指差そうとした時だ。
上着に爪がくいこんでいるのがわかった。後ろから邪気を感じる。さすがドレスにハイヒールで跳び蹴りをする女は格が違ったようだ。
そして素早くゼオンの手を掴むと無理矢理指をクローディアに向けた。
「そうよねー、ゼオンはいい子ねー。」
「今のおかしいだろ、どう見ても腕掴んでただろ姉さん!」
こうしてディオンとクローディアの口論は第二ラウンドへと突入していった。
色んな意味でくだらないとゼオンは感じた。上の許可や、そんなことの前に訊くべきことがあるはずだ。
「で、姉貴は何の為に来たんだ?」
だがクローディアはゼオンの言葉など聞いていなかった。ゼオンの声は二人の罵声にあっけなくかき消され、また呆然と姉弟喧嘩を眺める羽目になった。
唖然としていると、クローディアの近くにいたノアが代わりに答えた。
「マスターの目的は反乱軍の情報収集です。しかし同じタイミングで皆様方がいらっしゃるとは予想しておりませんでした。」
「けど、昨日の時点で今日俺達が来るって連絡はいってたはずだ。それでも屋敷に居座ったのはどうしてだ?」
そう言った時にようやくクローディアがこちらの話に気づいた。そしてディオンを指差して言う。
「そうよ、思い出したわ。ディオン、あなたこんな所に居ていいの?」
「キラさんが連れ去られたと聞いたから、ここの兵に捜索を頼みに……」
「へえー、それで王様のとこに未だ戻っていないのねえ。」
「イヴァンに伝言はしてある。キラさんを見つけたらすぐに……」
「それじゃ遅いって言ってるのよ。」
そのたった一言。空気が張り詰めた。意味はすぐわかった。
反乱はもうすぐ始まるということ。王城に戻り、今すぐ体制を整えろということだ。
クローディアの厳しい目がディオンを見つめていた。しっかり働けと戒めるように。そしてクローディアは屋敷へと戻っていく。
「すぐに基地に行って捜索の依頼をなさい。頼んだらディオンだけ先に首都へ戻んなさい。ゼオン達の面倒は私が見るわ。」
その時のクローディアは「クローディア」ではなく「シャロン」の顔をしていた。
「ほら、さっさと入りなさい。荷物置くんでしょ?」