第7章:第3話
心臓の音しか聞こえなかった。薄暗い道を無我夢中で駆け抜けた。
家の灯りを見つけて中に飛び込んだというのにまだ鼓動は耳を打つ。
キラは思わず玄関でしゃがみ込んだ。オズの紅い目、そして図書館で起こったことが嫌でも思い起こされた。
腕や足には割れたガラスの破片がいくつか刺さっていた。
オズのあんな表情は初めて見た。……リディだの、ルシア・グリンダだの、一体誰なのだろう。その人と10年前の事件と、一体何の関係があるというのだろう。
その人はそこまでオズにとってそこまで重要な人なのだろうか。
その時になってキラはようやく目の前にリラが立っていることに気がついた。
「おかえり。何があったんだい、その傷……」
リラは血が滲んでいるキラの手足を見ていた。
「あー、ちょっと窓ガラス割れちゃって。」
「図書館のかい?」
キラは言葉が出ない。リラにごまかしは通用しなかった。
リラは自分の杖を取り出し、治癒魔法を唱えてキラの手足のガラスを取り除き、傷も治してくれた。
それからキラを居間に連れていってソファーに座らせた。
「図書館ってことはオズ絡みだろう。何があった?」
キラは少し迷ったが正直に答えた。
「オズにね、リディだかルシアだか……とにかく、そんな人を知ってるかって訊かれたの。
あたしわからなくて、そしたらオズ落ちこんじゃったみたいで、そしたら……」
「そしたら?」
「急に窓ガラスが割れたり紅茶の缶が燃えて溶けたり……。」
それを聞いたリラの表情が急に険しくなり、何か考え込み始めた。
「それはちょいと気になるね……力が暴走しかかってるじゃないか。
まあ、窓ガラス程度なら気にする程ではないかもしれないが……久しぶりだね、コントロールが利かなくなるのは。
その場に他に誰か居なかったのかい?」
「その場にはいなかったけど、多分ルイーネ達が隣の部屋に居たよ。」
ルイーネの名前が出ると更にリラの表情が険しくなった。
「あいつか……。」
キラは顔を上げられなかった。まだ混乱して落ち着いて状況を受け入れられない。
だが結局、たどり着いた疑問点はここだった。
「ばーちゃん、ルシア・グリンダって誰かわかる? その人と10年前の事件と何か関係があるの?
10年前のことは思い出したはずなのに、なんかまだ穴があるような気がするんだ……」
リラはまた何か険しい顔をして考え始めた。そして、不意に自分の杖を取って言った。
「私も昔同じことをオズに聞かれた。けど私もそれが誰だか知らない。当然、あの事件との関係もわからない。」
「そっか……。」
「けど十年前の出来事と関係があるのかもしれないなら……」
「何かあるの?」
「私はルシアとやらを知らないが、お前の記憶の封印を完全に解くことはできる。そしたらお前はそいつについて何か思い出すことができるかもしれない。」
キラは首を傾げた。記憶の封印はもう解けたはずじゃなかったのか。
するとリラは説明した。
「いいかい、お前の記憶の封印は確かに解けたけど、あの時は10年前のことの話を聞いちまったから偶然解けたわけだ。
鍵穴を無理にこじ開けたようなものさ。封印が完全に解けるには、封印をかけた私がきちんと解かなきゃならない。
もしかしたら、まだ封印されてて思い出せていない記憶があるかもしれないんだ。
封印を解くのはもちろん辛いだろうけどね……」
最初に封印が解けた時の記憶が蘇る。その直後、自分がどうなったかも。
あんな思いはもうしたくなかった。けれど、記憶を全て思い出せなければ、10年前の真実は絶対にわからないだろう。
だが、やはりすぐに封印を解くことに同意はできなかった。それで何かが得られるかもとわかってはいたが、両親の死んだ時の光景が邪魔をした。
するとリラは言った。
「やるかどうかはキラ次第さ。今日は早く休みな。答えは明日でいいよ。」
キラは黙って頷き、リラは夕食の用意をしに行った。
◇ ◇ ◇
翌日、キラ達はまた図書館に集まっていた。メンツはキラ、ゼオン、ティーナ、ルルカ、オズ、セイラと小悪魔三人。
なぜまた図書館なのかはわからないが、多分全員が集まりやすい場所だからだろう。
ディオンがいつ来るかわからないが、今日中には来るはずだ。
「で、一体何があったのさ、これ!」
ティーナが図書館内の窓ガラスがいくつか割れっぱなしなのを指差して言った。
勿論昨日の騒ぎのせいだ。本などは綺麗に片付けてあり、窓ガラスも大体魔法で直してあったが、まだ直っていないガラスがいくつかあった。
「どっか行方不明になった破片がいくつかあって。破片が揃ってないと直せないんです。」
おそらく窓ガラスを直したのはルイーネなのだろう。手のひらサイズの小悪魔がこの広い図書館のガラスをほぼ全部直したとすれば、それだけで十分すぎる働きだ。
するとセイラが突然何か呪文を唱えた。
そうすると割れて無くなっていた窓ガラスが次々再生し始めた。
「全く……お客が来るって時に窓ガラスが割れているのは駄目でしょう。」
そう言い終わる時には窓ガラスは全て直っていた。ルルカが言った。
「また小悪魔達のいたずら? ……って規模じゃあない気がするけど。」
キラはオズと一緒に笑いながらごまかした。オズは昨日のことなど無かったかのようにヘラヘラ笑っていた。もうすっかり元気になったように見えた。
ディオンは何時頃来るのだろう。キラはディオンに会うのを楽しみにしていた。すると入り口の扉をノックする音がした。
ルイーネが扉を開けると、そこにはディオンと見慣れない獣人の少年がいた。
「こんにちは、お久しぶりです!」
「ああ、久しぶり。」
ディオンはキラにそう言うと次にゼオンを見た。
「久しぶり。元気にしてたか?」
「兄貴の顔見たら元気無くなったな。」
「酷いな……。」
ディオンが可哀想だった。すると急にディオンの連れの獣人の少年が前に出てきた。
「今のはちょっと聞き捨てならないねえ。」
「いい、下がれイヴァン。」
ディオンがそう言うとイヴァンと言われた少年は仕方なく下がった。
イヴァンという少年は、髪は金髪、目は緑でキツネのような耳と尻尾の生えた獣人だった。
キラがじろじろイヴァンを見ていると、それに気づいたディオンが言った。
「紹介がまだだったな。こいつはイヴァン・ヴェルナー。城の衛兵だ。今回は俺の護衛としてついて来た。」
「嬢ちゃん達どーもー、よろしくー。」
兵士のくせに口調が軽い、チャラい。満面の笑みを女性陣にだけ振りまき、男性陣には見向きもしなかった。
ディオンが呆れて言った。
「女好きなとこあるから、女子は話しかけられたら逃げていいからな。」
「あ、ひでえ!」
するとティーナがイヴァンに訊いた。
「それにしても、お城に獣人の兵士なんていたんだね。」
「ま、俺くらいしかいないっすけど。反乱軍の大部分が獣人なせいで俺まであれこれ言われて肩身狭いっすよー。」
確かに、獣人は反乱軍に多いと聞いていたのに王家側に獣人の兵士が居るというのも不思議な話だった。
イヴァンの自己紹介も終わったところで、ゼオンがディオンに訊いた。
「で、二人とも一体何しに来たんだ?」
イヴァンが即答した。
「美少女ウォッチング。」
「違うだろ。」
ディオンはしっかりつっこんでから、一通の手紙を取り出した。
汚れ一つない純白の封筒だ。それもそのはず、封筒には国王の名前――サバト・F・エスペレンと書いてあった。
「最近反乱軍の動きが活発化しててな。そろそろサラ・ルピアがこっちの方に手を打ってくるかもしれないと陛下は踏んだんだ。
村側から話は聞いた。たしかキラさん……だったか? 君の杖をサラ・ルピアが狙っているらしいな。」
そういえばそうだ。この前サラが来た時は杖の話はほぼ出てこなかったからすっかり忘れていた。
ディオンは話を続けた。
「陛下は、キラさんとその杖を城で保護すると言っている。」
それは多分、城に行けということだ。十年前の事件が起こったあの場所に。きっと国王にも会うことになるだろう。
手足に緊張が走り思わず肩に力が入った。ディオンは次にゼオン、ティーナ、ルルカを見た。
「それと、その三人も城に来てほしい。」
三人の表情が険しくなった。当然だ、ゼオンもティーナもつい最近までお尋ね者で、ルルカは他国の逃亡者なのだから。
ティーナが少しだけディオンを睨んだ。
「どういうつもり?」
「キラさんが持つ杖と同じ力を持つ杖なら当然サラ・ルピアが狙ってくる可能性はあるから城で保護するためらしい。杖を預かると言っても多分君らは聞かないだろ?」
「わかってるねぇ。じゃあ条件があるよ。城への行き帰り、あと城に居る間も、杖はあたしたちが各自管理。絶対に取り上げたりしないこと。」
「いいだろう。元からそのつもりだ。」
「あと、もしあたし達を騙したり捕まえようとしたりしたら、お城メチャクチャにしてもおーけぃ? 国王様も傷つけちゃうかも!」
「しないから安心してくれ。」
「だってさ。ゼオン、どうする?」
ティーナがゼオンを見た。ゼオンの表情も険しい。しばらくしてようやく答えを出した。
「いいけど。」
「そうか、よかった。……大丈夫だ、クロード家の奴が文句つけてきたら俺が黙らせておくよ。」
「別に、勝手に言わせておけばいい。」
城にはクロード家の貴族もいるのだとキラはやっと気づいた。ゼオンが返事をためらったわけはそれだろう。
そうまでしてサラの復讐を止めるのに付き合わせなければなさないかと思うとキラは辛かった。
それからティーナはルルカを見た。
「ルルカはどうする?」
ルルカも返事が遅かった。いつもよりどこか落ち着かない様子に見える。
「私も、行くわ。」
こうしつ四人とも城に行くことが決まった。ルルカが行くことを了解したのは少し意外だった。
するとイヴァンが急にルルカの前に来て、顔をまじまじと覗き込んだ。不快そうに表情を歪めるルルカにイヴァンは明るく言った。
「へーあんたがルルカかあ。陛下ってばズルいなー!」
ルルカがイヴァンを睨む。イヴァンはからかうように言った。
「話は聞いてるよ。昔よく陛下のとこ遊びに来てたんだろ?」
「……サバトさんそんなこと話したの?」
サバトさんと言った直後、ティーナとイヴァンがニヤニヤ笑い出した。
ルルカの頬が赤くなってすごい形相で二人を睨みつけた。それを見たティーナが余計楽しそうに言う。
「なーるほど、やっとわかった。さては昔っから遊んでくれたサバトしゃんが憧れで、密かに恋い焦がれてたわけですなあ、ルールカちゃーん!
どおりでやったら国王様のこと気にしてたわけだ。ルルカちゃんってば純情乙女ー!」
「甘酸っぱい初恋なわけですなあ、ルールカちゃーん!」
バスッと乾いた音がした。邪気だ、ルルカから邪気が見える。構えている弓矢の先が確実にティーナとイヴァンの方を向いていた。
そしてルルカは真っ赤な顔で殺意たっぷりに言った。
「……死にたいの?」
「きゃールルカちゃんが怒ったー!」
「サバトしゃまに言っちゃおー!」
ティーナとイヴァンがそう言った瞬間、図書館は矢の嵐に飲み込まれた。ルルカは珍しく躍起になって二人を追い回していた。
キラ達残りのメンバーは矢が飛び交う様を呆れて見ているしかなかった。
話を続けたいのに話せずにいるディオンが可哀想だった。
オズがぼそりと呟いた。
「俺の城がめちゃくちゃや……。」
「俺の城じゃなくてみんなの図書館です。」
ルイーネの一言が矢が飛ぶ音に虚しくかき消された。