第6章:第24話
金の音が闇夜に響き渡る。澄んだ音がまるで不穏な空気を浄化していくようにさえ思った。
やっと終わった。キラは気が抜けて思わずそこに座り込んだ。時計台の窓から見える夜はとてもとても静かだった。
だが一方でルルカはまだ気を緩める気配は無かった。倒れたスピテルを踏みつけ、喉元に弓矢を突きつけた。
それを見たノアとキラは慌てて立ち上がった。
「ちょっとルルカ! もういいじゃん、何する気!?」
「敵は殺す。当たり前よ。こいつがエンディルスから来たのなら尚更だわ。」
それを聞いたスピテルの顔が悔しそうに歪んだ。
「負けはわかっています……。けど、命だけは助けていただけませんか。僕一人なら命乞いなどしませんが、エリスを一人残すわけには……」
「くどいわ。」
一言で切り捨て弓を引く。キラは止めようととっさに駆け出した。だが、ルルカが矢を放つ直前だった。
「あかんで、王女様。」
何かお化けのような魔物がルルカの弓矢を弾き飛ばした。それはスルリと身体をうねらせて舞い上がり、主の元へと戻っていった。
そしてその先にはオズとルイーネがいた。ルルカが酷く不愉快そうに二人を睨んだ。
オズとルイーネは部屋へと入ってくるとスピテルに言った。
「クローディアは生け捕りの方がええんやって。ついてきてくれるな?」
「……エリスは?」
「まー、多分そっちも生け捕りやろ。」
「よかった。なら従いましょう。」
スピテルは安堵したのか、今まで冷たかった表情が優しく緩んだ。こうしてると妹想いのいいお兄さんなのになとキラは思った。
するとノアがスピテルに尋ねた。
「たしかこんな騒動の目的は復讐と……マスターの古傷の情報を金持ちに売りつけると言ってましたよね? それで大金が手に入ると。
大金が必要な理由というのは……?」
「エリスを学校に行かせようと。この街、学校は有料なんで……。エリスには言ってませんが。」
「なるほど、納得しました。」
スピテルは頷いた。やはり妹想いの優しいお兄さんだ。本当に、復讐なんてしなければいい人なのに。キラはため息をついた。
すると今度はルルカが急にオズを睨みつけた。未だにオズが嫌いなのだろうか。そんなに会う度睨んで疲れないのかなあとキラは思った。
ルルカはオズに言った。
「で、貴方どうしてここに?」
「そりゃー、クローディアに頼まれたからやな。ま、とりあえず表に馬車があるからそこで待っとけ。後でゼオン達も来るはずや。な、傷だらけのお姫様。」
お姫様。その言葉を聞いたルルカの目がつり上がり、弓矢をオズに向けた。だがすぐに手から弓矢が落ち、赤く染まったの腹を押さえた。
キラはすぐにルルカに駆け寄る。無理もない、三人の中で一番傷が酷いのは明らかにルルカだった。腹にスピテルに何度も刺された傷があった。
オズは半ば嘲笑うように言う。
「キラが弓矢拾わんかったら危うかったんちゃう? なぁ、か弱いお姫様。」
オズは一体いつから居たのだろうか。ルルカは大きな瞳を悔しそうに光らせながらオズを睨むだけだった。
オズの人を怒らせる才能の豊さにキラは呆れた。するとノアがオズに言った。
「ところでマスターはどちらに?」
「ゼオンを探しに行っとる。とりあえず、そいつら馬車に連れてってくれるか? こいつは後から連れてく。」
「かしこまいりました。」
ノアはそう言うと元来た階段を下りていく。キラはルルカを見守りながらゆっくり階段を下りていった。
横にいるルルカは未だに眉を釣り上げてこちらを見ない。オズが怒らせなければもう少し爽やかに終わったのになとキラはまたため息をついた。
すると、ルルカが言った。
「そういえば、その……。」
「何?」
「……やっぱりいいわ。」
そう言ってぷいとそっぽを向いてしまった。
「全く、怪我人なんだからあんま喋らない方がいいよ。ほら、行こう。」
そしてキラ達は時計台を下りていった。
◇ ◇ ◇
火の粉が桜吹雪のように渦を巻いた。目の前の物全てが焼き払われて無に還った。
三つ頭の魔物が地面へと倒れ込む。そして吸血鬼の少女が魔物の背から落ちて床に叩きつけられた。
何十体もいた敵の魔物も全て地面に横たわっていて起き上がる様子はない。
そして吸血鬼の少女エリスの目の前まで行き、剣を突きつけた。
「まだやるか? 失業女。」
剣を構えるゼオンと魔物を操るジャスミンと、銃を持ってはいるがさほど特別なことはしていないソレイユが居た。
何十体もの魔物も吸血鬼のエリスも三人には全く適わなかった。エリスを追い込むまで大した時間はかからなかった。
エリスは悔しそうに叫ぶ。
「うるさい! こんな所で倒されてたまるもんですか! クローディア・クロード……あの女、殺さなきゃ…!」
エリスは短剣を取り出し立ち上がる。ゼオンがため息をついて短剣を弾こうとした時だった。
上からおかしな声がする。ソレイユの声よりも聞き慣れた珍妙な声だった。
「うぉああああああああ! さあああせるかあああ!」
このような奇声の持ち主は一人しか知らない。落ちてくるのはやはり鮮やかな赤髪――ティーナだ。
ティーナは落下しながら鎌でエリスの短剣を弾き飛ばす。
「お前なんかに、渡してたまるか俺の嫁ええええぇぇぇぇ!」
その一言は聞かなかったことにした。哀れにもエリスは髪の毛を鷲掴みにされて頭を壁に叩きつけられた。
エリスはうつ伏せにされ、背をティーナに踏みつけられていた。
先ほどまで敵だったはずのエリスが少し可哀想になってきた。
さらにエリスはティーナに殴られまくっていた。これではどちらが悪者だかわからない。すると今度はもう一人の破天荒女の声がした。
「お疲れ様。こっちは圧勝みたいね、さっすが私の弟。」
クローディアが一見穏やかそうに見える笑みを浮かべていた。ゼオンはクローディアを睨んだ。
「人を思いっきり利用しておいてよくそんなことが言えるな……。」
「ああ、それはほんと、ごめんなさいね。この兄妹のこととか、この地下にもう一度来ておきたいとか、こっちも色々あったのよー。」
まだ無言で不満をぶつけるゼオンを見て、クローディアはゼオンの頭をわしゃわしゃ撫でながら言った。
「ごめんねー、反省はしてるから、怒らないで。お詫びはするから、許して!」
「……全く、仕方ないな。」
「よかった。お詫びに何が欲しいか考えておいて!」
ゼオンはため息をついた。クローディアは昔から腹黒い。正直なところ、この手のことは見慣れていた。
「ところでここに来たってことは、扉の結界は開いたのか?」
「ええ。キラちゃん達がうまくやってくれたみたいね。もう上まで上がれるわ。」
それなら、これで事は大体片付いたのだろう。だがエリスは納得していない様子だった。
落ちた短剣を拾おうとするが、その正面にクローディアが立ちはだかる。
ギラギラと不気味に光る瞳がクローディアを映す。クローディアは落ち着いたままエリスに言った。
「私を殺したい?」
「当然です!」
「なら殺してみる?」
何を言い出すのだろうか。ゼオンが言おうとするとクローディアがゼオンを止めるように睨みつけた。
クローディアは上着を脱ぎ捨てた。その下に着ていたのは背中の開いたドレス。背中には七年前の古傷があった。
血まみれのクローディア、憎しみのこもったディオンの目……傷跡一つで燃え上がる雪の夜が目に浮かんだ。
よりによってクローディアは短剣を拾ってエリスに渡し、そのままエリスに背中を向けた。
「そんなに私に復讐したいなら、その短剣突き刺せばいいわ。」
エリスは震える手で短剣をクローディアに向ける。怯えたような表情で、痛々しい古傷を見つめていた。
一歩ずつエリスが前に出る。ゼオンは再び剣を強く握る。両手を広げ、エリスに背を向け、クローディアは挑発するように言った。
「あら、所詮口だけ?」
「……っ! 黙れ!」
エリスが古傷を突き刺そうとした時だった。エリスの首もとに巨大な刃物がかけられた。
それは巨大な鎌――ティーナが後ろから鎌の刃をエリスの首にかけていた。エリスは震えたままだった。
ティーナが聞いたこともないような声で言った。
「さあ、どうぞご勝手に。」
鈍色の刃が輝いた。本気だ。震えて声も出ないエリスにティーナは言った。
「あんたがお姉さんに復讐するなら、あたしもその瞬間にあんたに復讐するから。」
「な……!? あたしあなたには何も……」
「腑抜けが。脳みそ腐ってなァい?」
ティーナが静かに言った。
「だってね、お姉さんが死んだらね、ゼオンが悲しむの。あたしはゼオンが大好きだから、ゼオンを悲しませる奴は赦さない。
脳天グシャグシャにしたって、赦さないから。」
それからこう言った。
「そしたらね、きっとあたしも誰かに殺されるんだろうな。例えばあんたのお兄さんとかに。」
震えるエリスの手から短剣が落ちる。そして力が抜けたようにそこに座り込んだ。
そしてクローディアは言った。
「きっと、そういうものよ。」
エリスはもう短剣を拾うことはなく、ただ俯くだけだった。ゼオンは少し安堵した。相変わらずおっかなくて命知らずの姉だと思った。
「あたしの負けです、完全に。」
その時、螺旋階段のてっぺんから誰かが顔を出した。黒髪に猫耳――ノアだ。ノアはクローディアを見つけると言った。
「マスター、ご無事ですか?」
「ええ、こちらは大丈夫よ。スピテルって子は?」
「後でオズ様が連れてきてくださるはずです。」
それを聞いたエリスが身を乗り出した。
「お兄様に何する気ですか!?」
「大丈夫、何もしないわよ。とりあえずあなたも来てくれるかしら? お茶くらい用意するわ。」
エリスは悔しそうに俯き、そして黙って頷く。それを確認してからクローディアはノアに言った。
「ノア君、帰ったら使用人達に言っておいてくれるかしら。使用人用の服を男用一着と女用一着用意しておくようにね。あと、部屋二つ掃除しておいて。」
何を意味するかはすぐにわかった。エリスの目が大きく見開く。
「それって……」
「どうせこの騒ぎで美術館の仕事もクビでしょう。失業中ならうちで面倒見ようかと思ったんだけど、お気に召さないかしら?」
エリスは少し悔しそうに、複雑そうに俯く。けれど結局こう言った。
「お兄様と……相談します。」
「じゃあ、まずはうちに帰りましょ。」
そう言って優しく微笑んだ。エリスはまだぷいとそっぽを向いていたが、最終的によろよろ立ち上がってクローディアについて行った。
どうやら話はまとまったらしい。その時、ジャスミンがゼオンに尋ねた。
「ねぇ、一つ訊きたいんだけど。」
そう言って、ジャスミンはゼオンが持ってきていたノートを指差す。
ジャスミンの家にあった、昔居た「怪盗シュヴクス・ルージュ」のノートだった。
「そのノートのことまでよくわかったね。それのことだけは絶対バレない自信があったのに。」
「ああ、これに気づいたのは俺じゃねえよ。ティーナだ。
あいつが妙にじっとこのノート見てたから、何かあると思って借りてきただけだ。」
「ふぅん……。」
ジャスミンの目がティーナに行く。なぜティーナがそのノートをじっと見ていたか、もし昔のシュヴクス・ルージュのだとわかっていたのなら、それはどうしてなのか。そこまではゼオンもわからない。
それからジャスミンは言った。
「じゃあ、ボクちょっと先に行くね。」
「先?」
「ボク怪盗だからさ、みんなと一緒に出ちゃまずいでしょ。じゃあねー!」
そうして黒い羽を広げて螺旋階段の吹き抜けを一気に登っていった。
「うぉぃこら、逃げんな怪盗ー!」
ソレイユの叫び声が響き渡った。無邪気な怪盗は姿を消し、ゼオンの手元には「609」の日記帳が残った。
「返し忘れたな……。」
そう呟くゼオンを、ティーナがずっと見つめていた。