第6章:第13話
「さあっ、我々は大変なことに気づきました!」
時計台美術館の前に着くなりティーナは急にそう言い出した。
「どうしたの?」
「ゼオンがいないと中に入れないよ!」
そう言われて時計台の入り口を見てキラは納得した。怪盗の予告状一枚でこれほどの人が集まるとは予想していなかった。
建物の周りを埋めるように警備員が立っていた。どの人も口を堅く結び、目を落ち着き無くぎょろぎょろ動かしていた。
キラは上を見上げた。真っ黒い夜空に向かって時計台は道標のように伸びている。満月の光を受けて時計盤や窓ガラスが輝いて見えた。
窓一つ屋根一つとても作りが凝っていて、中の美術館どころか建物自体が一つの美術品のようだった。
ここに今夜現れる怪盗、一体どんな人物だろう。とにかく中に入れなければ確かめるどころの話ではない。
だがキラ達は警備員から見たら怪盗とも警備員とも無関係なただの子供にしか見えないだろう。
そんなただの子ども達を中に入れてもらうには、やはりクロード家という力が必要なのだ。
「あの紋章は?」
「ゼオンが持ってっちゃったよ!」
「無理矢理入ろうとするよりもあいつが戻ってくるのを待った方がいいと思うわよ。」
ルルカの言うことは正しいかもしれない。紋章もゼオンも居なければ入る手段が無いし、無理に入ればこちらが怪しまれる。
その時、二人の警備員がキラ達を見るなりこちらにやってきた。
「おいそこのお前たち、何してる!」
まずい。だがもう警備員達はキラ達の目の前にいた。そして一人がティーナを見るなり怒鳴った。
「紅い髪……お前、怪盗シュヴクス・ルージュか!?」
「え、や……違うって!」
ティーナは真っ青になって否定したが警備員はこちらを睨みつけたままだ。これはまずい。
するともう一人の警備員が言う。
「いや、こいつは多分違うよ。怪盗がお友達を連れて犯行に来たことは今まで無いし、第一怪盗は赤い髪の少年だろ。」
「いや、外見など魔法で一時的に変えられる。怪しい奴を見逃すわけにはいかない。」
最終的には怪盗に誤解されずに済んだが、キラ達は長々と二人の警備員の口論を聞かされる羽目になった。
キラはため息をついた。警備員に睨まれるわゼオンは来ないわでろくなことがない。
その時、どこかから怒鳴り声がした。
「うぉいこら、放せ! 俺様は少年探偵だ、怪盗じゃぬぅえええ!」
アホだ、またアホがいた。例の探偵少年ソレイユが警備員の一人に捕まっていた。
その警備員はキラ達の前の二人の警備員にソレイユを突き出した。
「怪しい少年を捕らえました! 紅髪なので怪盗の可能性があるかもしれません。」
「……またそいつか。」
警備員にまでそう言われるあたり警備妨害の常習犯となっているようだ。キラ、ルルカ、ティーナまでもが呆れた顔をした。
帰りたいなと少し思った時だった。ふと後ろを向いたティーナの声が急に明るくなる。
「きゃわぁん、ゼオンー!」
「悪い、遅くなった。」
ようやく腹黒嬢の弟様の登場だ。ゼオンは落ち着いた様子でやってくると警備員にあの紋章を突きつけた。
「初めまして、クローディア・クロードの弟のゼオン・S・クロードといいます。
姉に頼まれて怪盗の調査に来たんですが、中に入れてもらえますよね?」
愛想の欠片もない仏頂面でゼオンは警備員を脅していた。
紋章を見た途端に警備員達が真っ青になる。改めてクロード家の恐ろしさを知った瞬間だった。
「あ、はい、はらぐ……クローディア様の弟さん、どうぞこちらへ!」
「あの、こいつら……こちらの方々はお連れ様ですか?」
警備員はキラ達を指差した。
「そうだ。それと……」
ゼオンはソレイユを指差した。
「そいつもだ。」
ゼオンがなぜそう言ったかはわからない。
とにかくゼオン・S・クロード様のご活躍により、キラ達は無事美術館内に案内された。
◇ ◇ ◇
相変わらずクローディアの屋敷は広かった。入り組んだ廊下と似たような形のドアのせいでよく目的の部屋がどこかわからなくなる。
暗闇に沈む廊下、ぼんやりとした灯りの中、オズは一人でクローディアの私室を目指して歩いていた。
昼間は華やかで美しい屋敷も、夜闇の中月明かりに照らされるとどこか怪しい雰囲気が漂う。
階段を上り、屋敷の最上階に上がり、廊下の突き当たりの一際贅沢な造りの扉の前に立つ。そこがクローディアの部屋だ。
ノックをしようとして、中にいるのがクローディアだけではないと気づいた。オズはしばらく黙って中の話し声を盗み聞きし始めた。
「では、今夜、また先月のようなことが起こるのですか?」
ノアの声だ。クローディアがそれに答える。
「ええ、あちら側が仕掛けてこないはずが無いわ。手駒は充分あるし大丈夫よ。殺さない程度にお願いね。」
「大丈夫でしょうか?」
「大丈夫よ。こっちには今回最強の駒がいるのよ。オズっていうね!
まあいざとなればあいつを引き連れていけばみんなまとめてちょちょいのちょいよ!」
何がちょちょいのちょいだ。オズを何だと思っているんだ。
呆れながらもまだノックはしなかった。その後、再びノアの声がした。
「わかりました。では僕は先に行きます。」
「ええ、お願いするわ。」
その後、風の音と共に窓が開く音、そして何かが跳び、着地する音がした。
そしてオズはようやくノックをして中に入った。中にいるのはクローディアだけ、ノアの姿は無い。ただ、窓が開いていた。
ここは六階。まさかここから飛び降りたのか。獣人の運動能力があってこそできることなのだろうな。
クローディアは椅子に腰掛け、笑いながらオズに言う。
「盗み聞きなんて行儀が悪いわね。」
「聞こえるように話す方が悪いんや。何がちょちょいのちょいねん。」
「ふふん、後でわかるわ。大丈夫、あなたなら何の問題もない仕事よ。」
「お前の得体の知れない悪戯に手ぇ貸すとでも?」
「あら、ワガママ言うとあなたの企みにもう手ぇ貸してあげないわよ?」
「好きにせえ。……お前のかわええ弟がどうなってもええんやったらな。」
クローディアの顔が険しくなる。オズは満足げに笑った。クローディアはため息をついてオズに言う。
「それで話はなぁに?」
ルイーネなどに話すと説教三昧になる話もクローディアは面白そうに聞くことをオズは知っていた。
ショコラ・ホワイトが最初に情報屋としてクローディアを紹介してきた時は驚いたが、今ではおかげで気の合う奴に会えたと思っている。
だからこそこれから話すことをクローディアに頼もうと思ったのだ。
オズの真紅の眼が鋭くなる。
「あいつのこと、何かわかったか?」
クローディアはため息をつく。どうやらめぼしい情報は無いらしい。
「さっぱりよ。ここまで全く手がかり無しってのも珍しいくらいだわ。」
少しだけ落胆してオズは俯く。
何度このことで空振りをしただろう。それでも諦めきれないのは何故だろうか。
いつまで経っても手がかり一つ見つからないくせに、空耳が消えることはなかった。
「ルシア・グリンダっていったかしら……あなたが探してる少女の名前。それって本名?」
「いや、偽名や。けど普通の奴に名乗る時は大抵そっちの名前を使うし、本名を名乗ったりそれで何かすることはありえへん。
その方が手がかりは掴みやすいはずやけど。」
クローディアは困った顔をして紅茶を一口飲む。そしてオズにも一杯お茶を煎れ、それから尋ねた。
「一応本名も教えてくれない?あと容姿についても。」
「意味あるんか? 容姿なんて魔法でいくらでも変えられるで?」
「一応よ、一応。情報が少なすぎるのよ。もしかしたら何か手がかりになるかもしれないわ。」
オズは俯いた。記憶の中にだけ居る、あの少女の姿を思い出す。
薄桃色の長い髪に澄んだ蒼い瞳、ふわりとしたミニドレスに美しい水晶でできた羽。
容姿を一言で言い表すなら繊細という言葉が似合うだろうか。触れただけで壊れてしまいそうなか弱そうな雰囲気の少女だ。
だが一方で化けることに関してあれほど長けている人物をオズは見たことがなかった。
外見と中身、両方に共通して言えることは「いかにも少女らしい少女」といったところだろうか。
彼女の本名と容姿を教えて役にたつのか疑問だが、少しでも手がかりは与えておいた方がいいのも確かだ。
「……リオディシア。」
「え?」
「あいつの本名や、リオディシアっていうねん。大体リディって呼ばれとる。
髪の色は薄桃色、眼は蒼色。
真っ白い丈短めのドレス着てて、水晶でできた機械っぽい羽が片方だけある。」
その時、クローディアの表情が凍りついた。こんなに動揺した表情をオズが見たことがない。
何かある。そう確信した。
「まさか……!」
思わず立ち上がり、口調も荒くなる。
「……後で出かける予定だからついて来てちょうだい。馬車の中で話すわ。ここで話すのはまずいかも。」
それは多分、クローディアの悪戯に手を貸せということだ。
「そういうことなら、わかった。」
オズは再び普段通りの様子に戻って椅子に座る。これは結構な手がかりが得られるかもしれない。なぜこの場所ではいけないのか少し疑問ではあったが。
こちらの様子が落ち着いた後、張り詰めた空気を変えたかったのか、クローディアが何かを取り出して二人の間にある机にそれを置く。それはチェス盤だった。
「暇つぶしにどう? あなた好きでしょ?」
「ええな、そうしよか。」
オズはそう言ってニヤリと笑う。そして早速黒の駒を取って自分の側に並べだした。
クローディアはなかなか強い。随分攻撃的な手を打つが防御も抜かりない。
クローディアの先攻となり、白のポーンが動いた。するとクローディアが言った。
「ところで、あなたが探してるリオディシアって可愛いの? 美少女?」
飲みかけた紅茶を吹き出しそうになった。いきなり何を言い出すんだとオズは少しクローディアを睨んだ。
クローディアはニヤニヤしながらオズを何か探るような目で見ていた。オズはクローディアに言った。
「なんやねん、突然。」
「どうなのどうなの?」
「お前……。まあ、顔はええ方やったかな。ってかなんでそんな楽しそうなんや。」
クローディアはそれはそれは楽しそうに言う。
「だって、あなたが一人の女の子をそんなに必死に探してるなんて気になるじゃない。なんかありそうじゃないの!
その子最愛の恋人か何か? ねえどうなの?」
「恋人やったらそんなにおもろいんか?」
「だあって金になるのよネタになるのよ!
あんたの弱みになりますよーって売り込めばがっぽがっぽ大儲けだわ!」
流石だ、がめつい。クローディアの金への執念にオズはある意味感動した。
けど残念ながら多分リディはオズの弱みにはならないだろう。
か弱そうな外見で騙される人は多いが、リディはオズと同じくらい強いからだ。
単純な魔法の力の強さだけで考えればリディの方が強いくらいだ。
「まあ、私としては因縁の宿敵ーとかでも面白いんだけど。ネタにも金にもなるし。」
「金好きやなあ。」
「当たり前よ。で、結局その子とあなたってどういう関係なのよ、ねえねえ!
最愛の恋人? 因縁の宿敵? それともどっちでもない?」
ここぞとばかりに楽しそうに身を乗り出してくる。オズは黒のポーンを動かし、そして言った。
「どっちもやな。」
「どっちも……? ってどういうこと?」
オズは少し寂しそうに笑った。
「最愛の宿敵ってとこや。」