No.5 織姫の狂気
地下3階の電源は、スイッチが故障していた。
「……おや。これだと真っ暗じゃないか」
柊はため息をつきながら、懐中電灯を取り出す。
そして手で掲げた時、ふと柊は、右手の皮膚がむずがゆいのを感じた。
「……?」
ライトを当てて確認すると、手の甲に、小さな赤く腫れたでっぱりがある。
「……いつ蚊に刺されたんだ? 部屋が暗いから気づけなかったな」
柊はため息をつき、さほど気にすることはなく地下の探索を続ける。
『柊さーん。いつ来るんですかー?』
「待ってくれ。急いではないだろう? ちょっと興味深いものを見つけてさ」
天野の声が聞こえる中、柊は懐中電灯を握りながら、地下3階を生き生きと往復していた。
証拠集めはすでに終了したのだが、彼の好奇心は留まることを知らない。
「古い写真を見つけたのだ。幼い少女の顔が写されている」
『……』
「この少女こそ、被験体77――織姫のことではないか? ……なるほど、白いかさのようなパーツが身体と同化しているな。まるでドクツルタケみたいだ」
写りこんだ少女は、右肩に「77」と焼印が押されている。
白い不気味な形状のものが、体のあちこちから生えている。髪は黒曜石のような黒で、光沢のあるロングヘアは伝説上の機織りの姫を想像させた。
「この容姿は、実験によって遺伝子が変形したものなのか、もともと美顔を持った美少女だったのか……。どちらにせよ、幼い女の子を実験に使うなど、非道極まれりだな」
『……柊さん』
天野の声が聞こえる。
『いい加減にしてくださいよ』
次の瞬間――今までの彼からは想像もできないほど、低く威圧感のある声が、通信機から発せられた。
「……天野?」
『早く来てほしいって何度も言ってるんです……早く……さっさと、来いって言ってるんだよ……!』
「大丈夫か、天野?」
『大丈夫じゃねーよっ! 呑気に歩いて来るのが遅い大馬鹿野郎がっ!!』
口調が荒ぶる。壁を叩くような音が聞こえてくる。
家族にでさえ、こんなに激しく怒鳴られたことはない。突然の出来事に、柊は通信機を握りながら動揺した。
『くそがっ!! 余計なもんをチラチラ見やがって! どうでもいい話をしやがって! 全部全ブドウデモイインダヨ!! ハラヘッテルンダゾコッチハ!!』
「お、おい、天野。悪かったよ。そんなにストレスが溜まってたなら、もっと早く言ってくれれば――」
『腹減った腹減った腹減った腹減った腹減った腹減った』
「……ひっ」
初めて、柊は短い悲鳴が漏れた。
思わず通信機を取り落とす。天野が、壊れたような声を上げ続けている。
『早く来いよ……オレはずっと待ってん■ぞ……お前は何度見ても、すごく■いしそうなんだもん……もう■たしは、これ■■ょうたえ■れn』
――柊は思わず、「通話 強制終了」ボタンを押してしまった。
「……ハァッ、ハァッ……ハァ」
暗黒の地下に、静寂が蘇る。
柊は胸を押さえて椅子に座った。ため息をついた直後、激しくなった自分の呼吸音が、より鮮明に聞こえるようになった。
何事も冷静に考えてきた自分にとって、これほどまでなにかに怯えたのは初めてだった。
「……天野……あれは一体……」
突如、狂ったような声で叫び出した天野。
空腹を何度も訴えているような言葉だった。今まで軽々しかった天野の態度に、何があったらああなるのだろうか。
(いや……そもそもあれは、本当に天野の『声』だったのか?)
心なしか、途中――天野のものではない、別の声が聞こえたような……
ツ――、ツ――……
再び、着信が来た。
音に敏感になってしまい、柊は思わず後ずさる。しかし繋がったものの、一向に天野の声が聞こえてこないので、柊は恐る恐る通信機を持ち上げてみた。
「……天野、さっきは……」
『……柊さん。助けてください』
今までと変わらない天野の声だ。
しかし、どこか呼吸回数が多く、動揺しているように聞こえる。
『ドク……あぅっ……』
「え? なにが?」
「オレの左の太ももから……ドクツルタケが生えてきたんですうううううう!!』
その絶叫を聞いた時、柊は最初、状況を理解できなかった。
「……は? ドクツルタケ?」
『まだ胞子が漂ってたみたいなんです。気づいたらなんか生えてて……うわあああ』
「お、落ち着いてくれ。本当に? 本当に生えてるんだな?」
『はい……。柊さん、助けて。オレ駄目かもしれない』
柊は立ち上がり、滴る汗を拭う。
(とんでもない事態だ……。とにかく、急いで天野を助け出さないと危険だということがわかった)
確かに、悠長な気分で探索をしている場合ではなさそうだ。今までの楽観的な考え方を、柊は悔やむ。
調査は後回しにし、今は天野を救出することを最優先としよう。
『キノコ生えたら、オレ死ぬのかな……?』
「……わからない。君がいる放送室はどこにある?」
『7階です……最下階……』
「わかった。今すぐ向かうから、何もしないで待っていてくれ」
『うぅっ……』
天野のすすり泣きが聞こえてくる。これ以上悲痛な声を聞いているのが嫌になり、柊はいったん通信を切った。
「もうこんな場所はあとでいいな。向かうのは、最下階か……」
部屋を出て、再び階段のあるスペースに出る。
下の階へ足を進ませようとしたとき、ふと柊は、3階の壁に掛かった小さな鍵の列を見つけた。
「……なんだこれは」
どうやら、研究所内で使用する鍵のようだ。『第1実験室』『休憩室』『培養液保存室』など、いくつかの鍵は欠けているが、部屋に入れる鍵はここに保存ざれていたようだ。
「建物自体が壊れているし、鍵なんてあまり意味を持たない気がするがな……。保険程度に、一応持って行っておくか」
柊が手に取ったのは――7階の鍵で唯一残っていた『隔離装置 脱出用』だった。
「とうとう地下7階へ来てしまったわけだが……」
それまでの階を飛ばして、地下奥深くの7階まで降りてきた柊。
電源を入れてみても、一部の部屋しか電気がつかなかった。奥に繋がる廊下や部屋の中は、明かりで照らさなければ全く見えない。
「天野はどのあたりにいるんだ? もう一度通話してみるか」
今度は初めて、柊から天野に呼びかけをしてみる。
すると通信機の向こうから、ぐったりと疲れ切った声が聞こえてきた。
『……柊さん……』
「地下7階まで来たぞ。どのあたりに行けばいい?」
『看病室がある廊下を突き当たりで右に曲がって……』
驚くほど即座に道順を教えてくる天野。
柊は指示に従い、音の響く廊下を静かに歩いていく。
やがて、瓦礫で塞がった廊下を発見した。
『それです。その瓦礫が邪魔なんですよ。こっちからどかそうとしても、岩が引っかかっちゃうというか……。柊さん、どかしてこっちに来れますか?』
「おそらくな。ちょっと力が必要だ」
柊は両手で軽い瓦礫を転がすように運んだ。
何個か運ぶうちに、姿勢を低くすれば通れるほどのスペースができあがった。
「ふぅ。できたぞ」
『ありがとうございます。柊さん、もうへとへとですね』
「……どういう意味だ?」
『なんでもないです』
懐中電灯を取り出し、前方を照らしながら進んでいく。
やがて柊は、廊下に放送室の入り口があるのを見つけた。
「これが放送室か。天野!」
――しかし入り口を開けても、中には誰もいなかった。
監視カメラは作動しているが、天野は映っていない。
「はっ……?」
『柊さん。もっと奥へ来てください』
「だってさっきボクは、ここで待ってろって……」
『いいから来てください』
有無を言わせない天野の態度に、柊は反発を諦めることにした。
『オレはもっと奥の、別の放送室にいるんです』
「……放送室って、そんなにたくさん用意されているものか? まぁいいが」
柊は放送室を後にし、さらに深い廊下へと歩き始めた。
「……」
進むにつれて、柊は環境の変化に気づいていく。
――どこか、カビのような悪臭が廊下を漂っているのだ。
「これは……」
廊下の壁の隅を見ると、黒く腐敗したような塊がいくつも落ちている。
その塊から、真っ白なドクツルタケが何本もかさを大きく開いていた。
「……破壊の天使の住処か」
冗談を言いつつも、柊は無意識に、歩く速度を少しずつ速めている。
(この研究所は、呪われているのか……?)
今まで宇宙人だとか超現象を信じたことは一度もない。
だが、この七夕研究所は、明らかに何かがおかしい。10年前の事故で終わってはいない。今も何か、ずっと動き続けている何かが存在するような――
『柊さん、もう少しです。もう少しだけ奥に来てください』
「もう少し……」
柊の足取りは、引きずられているような重みを持ち始めた。
まるで誰かが彼を誘っているかのように……
「……」
柊が見つけたのは、廊下の最奥にある、分厚いガラスの部屋だった。
電源が生きていたため、柊は部屋の明かりをつけた。天野はここにもいない。
ガラスの部屋の中には何もなかった。部屋の外には、壊れた巨大な機械やコンセントなど、複雑な機器が置いてある。
「これは……今の科学力で実現可能な代物なのか……?」
突然、伏せていたはずの好奇心が煮えたぎり出してしまった。
不用意に機械に近づいては、顔を近づけてじっくりと見つめる。
そして彼はついに、ガラスの部屋へ入り込んでしまった。
「まるで巨大な水槽のようだ。かつて何か、ここに入れていたのか?」
ガラスの壁に触れ、柊がつぶやいたとたん――
「やっと来てくれましたね。柊さん」
突然、ガチャリと音がする。
柊が振り返った時には遅かった。ガラスの扉は閉まっており、いくら揺らしても開かなくなっていた。
「なっ――!?」
いくらガラスを叩いても、ビクともしない。
「誰がボクを閉じ込めて……」
「わたしだよ」
聞こえたのは、天野の声ではなかった。
――いや、最初からこれが。
「……」
柊は立ち上がり、ガラスの外を見る。
向こうの暗い廊下から、小さな人影がこちらへ歩いて来る。
「やっときてくれたんだね」
ガラス越しに冷たく笑ったのは――黒髪を伸ばした、幼い少女だった。




