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No.4 手帳に記された遺言


 やがて、地下2階へと柊はたどり着いた。


「ここは……」

『柊さん、その階は行かない方がいいっす』


 突如、通信機から天野の忠告が聞こえてくる。


『見てくださいよ。床にヒビが入っている場所がいくつもあるでしょう? オレ、あれを踏みそうになって、下の階へ落ちかけたんっすよね。……ピ――、ガガガ』

「……ん? 大丈夫か?」

『――あぁ、すいません。ちょっと通信が悪いみたいっすね。このポンコツ通信機!』


 10年以上も前の、古ぼけた機械だ。そもそも機能すること自体が奇跡に等しい。


『とにかく、その階は避けて、早く地下へ降りましょうよ。その階には捨て忘れたものが――じゃなくて、その階は足元が危ないっすから』

「いや、ちょっと待ってくれよ。あそこに置いてある手帳のようなもの。あれが気になるんだ」

『……そんなの、別にみる必要は――ブツッ』


 突然、音声が途切れた。


「天野? 聞こえるか? ……どうやら故障したみたいだな。どっちかの通信機が」


 とにかく、天野は最下階にいると言っていた。そのうち下に向かえば会えるだろう。

 気の毒なので早く救出してやりたいが、その前に、被験体77についてもう少し調べたいと柊は思っていた。



「さて……。この手帳はなんだ?」


 柊は脆い床を避けながら、手帳を指先で摘み上げた。

 どうやら、10年前にこの施設で働いていた研究員のもののようだ。名前の部分は汚れており、読むことができない。


「ふむ。実験に関するメモ帳のようだ……。おや?」


 後半のページに、走り書きのような文章が書かれているのを見つけた。




『大変なことになった。

 どうやら今、この施設で生き残っているのは私だけのようだ。

 私を除いて、研究所内の人々は全員、例外なく殺された。体からドクツルタケが生えてくるという、口に出すだけでおぞましい死に方だ。

 これは虐殺事件である。大損傷を負ったこの研究所は、いずれ放棄されるのだろう。


 私は生き残ってしまったが、あまり好条件とは言えない。というのも、暴走した被験体――77によって囚われてしまったからだ。

 彼女はその気になれば私を容赦なく殺すだろう。せめてそれまでの間、彼女についてわかることを、この手帳にひっそりと書き残しておこう。

 誰かがいずれ、あの化け物を殺してくれるように……』




「……これはおそらく、10年前の日記だろう。そしてその内容は――」


 柊は冷汗をぬぐい、静かな声でつぶやく。


「きっと、10年前に起きた事故とやらについてだ。この研究所で起きた事故は、被験体77が暴れたことだったのだ――」


 そして柊は、再び文章の続きを読む。




『当時、実験が成功した私たちは、盛大に喜んだ。

 人類が遺伝子を突然変異させる可能性……その一端に、ようやくたどり着けた達成感を覚えたからだ。

 被験体77は、精神活動は7歳の少女とそう違わない。だが、自分の意思で行える活動が、人間の域を超えていた。


 彼女は食べたものの遺伝子情報を確実に記憶する。手足など、一部の器官を別の動物の形状に変化させたり、音声模倣も可能だった。圧巻の能力だ。

 また、ドクツルタケの胞子を、あらゆる場所に植え付けることも可能だった。

 彼女は聡明だ。見たものを素直に覚え、真似しようとする。ベテランの研究者でも難しい機械操作を、彼女は難なくこなしてしまったのだ。


 しかしこれらの能力は、皮肉にも、我々を滅ぼす殺戮兵器と化すのだ。

 7月21日。投与する薬品を誤り暴走した彼女は、胞子を乱射し、大勢の人々を殺害した。私は急いで避難し、一人で密室に身を潜めていたのだが、監視カメラによって彼女に見つかってしまった。


 それ以来、彼女は私を生餌として飼っている。彼女が飢えを感じた時、私をじっくりと味わうつもりなのだ。

 まずは足先を、その次は腕を、四肢を失った私の胴体を。

 彼女はそういう性格だ。貪欲かつ残忍で、倫理観を人から教わらなかった。

 「織姫(おりひめ)」なんていう可愛らしい呼び名の中身は、獰猛な怪物なのだ。


 もう、死は覚悟している。

 初めて心から神に祈ろう。いずれ誰かが、あの化け物を止められることを――』




「……『織姫』……か」


 手帳を閉じる。

 柊は、顎に手を添え、近くの壁に寄り掛かった。


「最強の生物を生み出した結果、それに滅ぼされてしまったわけか。この文章の言う通り、皮肉な結果だが……」


 柊の頭の中に、ひとつの重大な懸念点が浮かび上がっていた。


「……その被験体77とやらは、寿命はいくつなのだ? 明記されていないが、まだ生きているなんてこと……」


 考えたくはないが、被験体77の生存がひとつの仮説として、嫌な予感が浮かび上がってくる。



 ――しかし、柊はこう結論付けた。


「……いや。もしそんな化け物がいれば、すでにボクはキノコの胞子で殺されている可能性が高い。誰も犠牲者が出ていないんだ。天野の存在がその根拠さ」


 柊は腕を組み、納得したように頷いた。


「そもそも10年も前の怪物だ。きっと破棄された段階で処分されただろう。ボクが気にすることは何もない。なんだか心配しているのが馬鹿馬鹿しくなってきたな」


 柊は手帳を最初に手に入れたファイルと一緒に持ち、得られた情報を素早く整理し始めた。


「この研究所でボクがわかったことは……プロジェクト77、被験体77、これらが引き起こした事故の詳細について……。おぉ! 繋がったぞ。これでスッキリした。七夕研究所は実在して、過去にこんな重大な事件が隠蔽されていた!」


 証拠となる書類も手に入れた。研究所の場所だって説明できる。これらの情報があれば、ベガ機関の過ちを告発するには十分だ。


「しかし、まだ何か引っかかるな。あとボクが知りたかったことは……? あぁそうだ、4日前に起きた、データベースでの怪奇現象の正体だ。あれは……」


 ここまでの出来事は彼なりに科学的な処理を行ったのだが、怪奇現象はどうだろう。果たして論理的に説明できるものなのか。

 あのデータベースは七夕研究所に置いてあるどれかの端末が作成したものだ。場所を特定できたのだから、その端末は壊れずに残っているはず。

 誰かがこの七夕研究所で、妙なイタズラをした――という可能性は、ひとつの説として、一応成り立つ。


「しかしそんなことをする人物も考えられないな。ボクと同じくデータベースを発見した天野? ……いや、あんな意味のわからないイタズラをするわけがない」


 そう考えていると突然、傍の机に置いておいた通信機が音を出した。


『……おっ、あっ。繋がった! 柊さん! 聞こえますか!』

「天野? 通信機が直ったのか?」

『いや、あれはもうダメでした。なので新しい通信機を探して、それで繋がるかやってみたんです。いけました!』

「……君の通信技術は天才的なんだな」


 柊はそうつぶやいて笑った。10年前の代物で他人に繋げられる技術を持つ天野の力量に脱帽だ。その能力を、仕事の場で活かせばよいのにと思う。


『ところで、監視カメラには柊さんが何か読んでいるのが映ってましたけど。なんか見てました?』

「あぁ、この手帳を見ていたんだよ」

『手帳……ですか?』

「10年前に起きた事故は、被験体77によるものだったらしい。そして幸運なのか不幸なのか、被験体77に捕まった者が残した日記のようなものだ」


 柊は天井を見上げ、カメラのついている場所を見つけた。

 手帳を片手で掲げ、監視カメラに映す。すると天野は少し沈黙してから、呑気な声を出した。


『ほえー。ちょっとカメラの映像じゃ、なんて書いてあるかわかんないっすけど……。不気味なものが残ってるんっすね』

「……君はあまり驚かないね。ボクはすべての謎が解けた今、少しこの研究所に恐怖を覚えたよ」


 柊は地下室全体を見渡す。

 このフロアにも、思わずむせてしまいそうな死臭が立ち込めている。もはや名称がわからない器具や道具が、部屋のあちこちに散乱していた。


「ここで働いていた研究員たちの狂気と、被験体77の暴走による残虐な事故……。当事者ではないが、その生々しさがよく伝わってくるよ」

『……そうっすね。言われてみれば怖いかもです!』


 突然、天野が震えた声を出し始める。


『あぁ、だったらもうこんな恐ろしい場所にはいたくない。柊さん! 早いこと助けてください!』

「……えっ? あぁ……」


 救助を急かしてくる天野の声に、柊は一瞬だけ戸惑う。

 ――しかし、他にやることもない。怪奇現象の解明は置いておき、達成すべき目標は天野の救出だ。

 柊はさらに地下へ続く階段を見下ろす。柊がいる2階は明るいが、次の階は、暗闇に包まれて視界に映らない。


「……行くか」


 彼は懐中電灯を出し、足元に気を付けながら下の階へと降りていく。





 手帳の内容を読むのに夢中だった柊は、とある重大な情報を見落としていた。

 薄汚れた手帳の、ポケットの奥に挟まれた10年以上前の社員証。


 そのプレートに、「天野(あまの) (つかさ)」という文字が刻まれていたことに――

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