No.2 ベガの生存者
鬱蒼とした、霧の濃い樹海。
背の高い木々が不規則に並んでいる。険しい山地の奥にあり、人が立ち入ることは滅多にないだろう。
そんな中――柊 悠馬は、白衣を着たまま、軽い荷物を持って山奥へ車を走らせていた。
(場所的にはそこまで遠くないが、道がかなり入り組んでいるな……。昨日の夜から運転しているが、もう朝日が昇り始めている)
家を出たのは、昨晩の7月6日。
柊は手元に置いたコーヒーの缶を口に運び、ハンドルを片手で操作する。
車の前方に取り付けたスマホは、森の奥深くに設定された目的地まで、ナビを示していた。
やがて、自動車が急に止まってしまった。
太く根を張った樹木が、車の進行を邪魔しているのだ。
『前方に障害物があります。危険です。危険です』
「……どうやら運転できるのはここまでのようだ」
柊は扉を開け、荷物を持って地面に足を乗せた。
スマホは「圏外」と表示されており、ダウンロードしたナビしか使えない状況だ。
湿り気がある泥と土の地面。足を取られないように注意しながら、柊は森のさらに奥へ歩き始めた。
「これほどまで深い森には、なかなか立ち寄らないからな。土産程度に、何か研究できそうな生態系を持ち帰りたいのだが」
ふと、傍に生えていた白いキノコを見つめ、柊は思った。
「ドクツルタケ……『破壊の天使』か。実物は初めて見たな。猛毒を持ち、誤食すると解毒剤はなく――」
そこで柊は、異様な光景に気が付いた。
――柊が向かう道先に、大量のドクツルタケが生えているのだ。
真っ白なかさを持つそれらは、まるで柊を誘うように、一本の道筋を生み出している。
「……ドクツルタケは、こんなに規則的に生えるものだったか?」
柊は不穏に思う。
だが実際、ドクツルタケをこの目で見たのも初めてなのだ。異常現象だと言い切る根拠を、彼は持ち合わせていなかった。
「まぁいい。あまり近づかずに歩こう。……それにしても不吉だな」
ナビが示しているのは、ちょうどキノコが群生している道の先なのだ。
森に隠された場所へ向かう彼を、破壊の天使が歓迎している……。柊は、再び胸騒ぎを覚えるのだった。
「……ここが、七夕研究所……!」
その姿を見た時、柊は思わず絶句した。
七夕研究所は「見えなかった」。
それもそのはず――研究所は、入口以外がすべて地下に埋まっていたのだ。
「なんて大胆な……。一体、どれくらいの大きさなのだろう?」
普通、小規模な施設であるなら、わざわざ埋めて隠す必要はない。
入口のフロアだけでも、相当な大きさがあるとわかる。つまり、実験施設本体は、この地下に広々と存在しているはずだ。
破棄されてから10年も経っているためか、あちこちが老朽化しているが、入口には大きく「七夕研究所」の文字が残されていた。施設を立てるための費用や労力は、尋常ではないものだっただろう。
ベガ機関はここまでして、何を隠したかったのだろうか。
「人体実験とは書いてあったが……その詳細はどんなものなのだ?」
柊は唾を呑みこみ、一歩ずつ、研究所の扉へと近づいていく。
汚れた鉄の扉は鍵が掛かっておらず、僅かに隙間が開いていた。
「……確かめないことには始まらない。入るか」
好奇心を推進力としてここまで来たものの、いざ目の前にすると、再び恐怖が底から這いずってくる。
それが漏れ出す前に、柊は言い訳で蓋をした。人体実験がなんだと言うのか。10年も前の話だ。何も恐れることはない。
覚悟を決め、柊は扉を開ける。
窓が一切ないためか、室内は真っ暗だ。彼は白衣の裏から懐中電灯を取り出し、周囲に光を当てた。
「まさか地下にあるなど、想定外だった……。懐中電灯だけでは不便だな。他に光源はないのか?」
壁に電灯の光を向けると、大きなスイッチがあった。その形状で推測するに、施設内の電源装置だろう。
(何年も前の電力など、まともに使えるとは思えんがな……)
半ば諦めながら、柊はスイッチを入れてみる。
――すると突然、音もなく部屋の灯りがつき、部屋全体がよく見渡せるようになった。
「なんだ。電源が生きてるじゃないか」
柊は安心したように、懐中電灯を白衣にしまった。
そしてもう一度、部屋全体を見渡す。この場所はエントランスのような場所であり、特に重要なものが置いてある気配はなさそうだ。
「……おや、この紙は……」
柊は、机に置いてあった一枚のポスターを拾い上げた。
『アルタイルは、生物の”必然性”を。
そしてベガは――生物の”可能性”を!』
どうやら、各機関の研究理念を誇張して書かれているようだ。
(可能性……か。まさかベガ機関、その可能性を追って……)
可能性を追い求めすぎた結果、人体実験にまで足を突っ込んでしまった。
そんな背景が目に浮かび、柊はため息をついた。
(だとすれば、馬鹿な話だ……。だが、まだ何もわからないからな。もう少し奥へ進んでみるとするか)
柊はポスターを机に置く。
この部屋には有益な情報はないようだ。もう少し内部へ侵入しようと、柊が階段を捜し始めたとき――
……ツ――、ツ――……
『あぁ……やっと来てくれた。オレを助けてください』
突然、「声」がした。
『あー、あー。えっと、これって聞こえてるんっすかね?』
「なっ……!?」
『ちょっとー、誰かいるのは見えてるんですよ。聞こえていたら、そこの棚に置いてある通信機に話しかけて返事をください』
部屋のどこかからか、応答を求める声が聞こえてきている。
……若い男の声だ。どうやら、壁の隅にある棚に置かれた、黒い通信機から声が聞こえてきているらしい。
柊はその場で硬直し、音の鳴る通信機を見つめた。
通信機はほこりを被っている。何年も放置されていたはずなのに――通信は繋がるものなのだろうか?
いやいやそれよりも。
話しかけてきている人物は、誰だ?
『えっ、これ通信うまくいってない? 聞こえてないのかなぁ。……あ、でもあなた、通信機を見てますよね! 聞こえてるんですね!? お願いですぅ、返事をくださぁぁい』
「……誰なんだい、君は」
柊はしぶしぶ、通信機を手に取って返事を返した。
すると声の向こうから、安堵を込めたため息が聞こえてきた。
『はぁぁぁ~! やっと誰かと話せるうう』
「……」
『あっ、失礼しました。オレ、ちょっと前にこの研究所を探索しに来た、ベガ機関の見習い研究員っす!』
「……見習い研究員? ベガの?」
柊が問うと、声の主はうんうんと頷いた声を出す。
『はい。ちょっと前に、変なデータベースをパソコンで見つけて、ここに来たんっすけど……奥に行く途中、瓦礫が崩れて道がふさがって、出られなくなっちゃって』
「……ちょ、ちょっと待ってくれ。今、データベースと言った? ボクも『77』というファイルを見つけて、ここに来たのだが」
『おや、同じ動機なんすか! 奇遇っすね!』
声の主は弾んだような声を出すが、柊はどこか引っかかるところがあった。
動機が同じなら、きっとこの見習い研究員も、データベースから場所を特定し、好奇心でやってきたのだろう。
彼も、リアルタイムで切り替わった、あの不気味なデータを目撃したのだろうか。
……あまりにも状況が類似しすぎている。
あのデータには何か罠でもあるのではないかと、柊は少し疑い始めた。
『そのまま外に出られず、今は近くにあった放送室で休んでいるんですけど……このまま死んでいくって絶望してました。すると監視カメラの映像に、あなたが映ってたんっすよ! もう嬉しくて嬉しくて!』
「……では今、ボクの姿が見える部屋にいるのかい?」
『はい。何とか通話できないかなって、いろいろ試したんっすよ。ここの研究所、なぜか電源や装置がまだ使えるみたいだし。そうしたら、ここにあった通信機で、あなたの部屋の機器につなげることができて!』
「……なるほど」
柊は納得したように頷いた。
――少々馴れ馴れしい態度の男だが、どうやら研究所に来て、脱出不可能になってしまったことは確かのようだ。その根拠に、彼はデータベースの存在などを理解している。
情報の少ないデータから場所は特定できるのに、こんな場所で迷うなんて相当な間抜けなのだろうと、柊は軽蔑はせず、男のことを少々可愛らしく思った。
「で、君はどうしてここに来たんだい」
『……データベースを読んだなら、あなたも知ってますよね。ベガ機関がここで、人体実験をおこなっていたって。10年前じゃ、オレはまだガキっすけど、そんな酷いことをオレは許せないっす! だから、本当なのか確かめようって!』
「……研究者らしくないな。正義感だけで動くなんて」
『なっ……それは、オレの短所っすけど……いいでしょ別にぃ!』
意地を張るような男の態度に、柊は思わず吹き出してしまう。
陰鬱な廃墟の中で、彼のおどけた態度だけが、場を和ませてくれるように感じた。
『あなた、名前はなんて言うんですか?』
「ボクは柊。柊 悠馬だよ」
「柊さん! オレはえっと……天野っていいます。お願いです! オレ、このままじゃ携帯食料が尽きて死んじまいます……。どうか助けにきてください! 迷惑かけてごめんなさい」
通信機の奥から、天野の半ば泣きそうな声が聞こえてくる。
柊は考えた。どうせ奥に行くのだから、ついでに助けてやるのは悪くないだろう。それにこの状況で放っておく行為は、人間としてさすがに倫理観が欠如している。
「……いいさ。君を助けに行ってやるよ」
『本当っすか!? ありがとうございます!! 命の恩人です!』
「そんな大げさな」
何度も感謝を伝えてくる天野に、柊は面白おかしく感じていた。
会話に夢中の柊は、気が付いていなかった。
研究所の入口である扉が――ガチャリと音を立て、鍵が閉まっていたことに。




