13.化けの皮
「神様に、私を罰してもらうのですか?」
「違う…あんたは、神様に好かれちまったんだ。」
姐さまは力無くそう言うと近くの岩に腰掛けました。私もそれに習い横に座って姐さまの次の言葉を待ちました。
「あんたは…あんたを、召し抱えたいって神様が言ってる。」
「あらまあ」
それは突拍子もないお話でした。そう言えば元々私は年が明けたら女中奉公に出される予定だった気がします。もう何年も前から奉公の話はあったのですけど、母さまが必死に止めてくれていたのです。
「…聞いてるかい?」
「あ、すみません。奉公の話ですか。」
「奉公…まあ奉公っちゃ奉公なんだけど。」
姐さまにしては珍しく歯切れが悪いです。きっとよくない話なのでしょう。でもそんなことよりも。
「先生は、どうなってしまうのですか?」
怖くて怖くて聞けなかった話です。でも、私は知らなくてはなりません。
「……この国はね、もうすぐ大きな戦を起こすんだ。予兆はすでにあちこちにある。先生はその予兆の一つとして、死ぬ。」
私は大きくため息をついて空を見上げました。空を黒い鳥が横切って飛ぶのが見えました。風に吹かれて冷たくなった頬に、涙は熱く滴り落ちました。
「…助けることは、できないのですか?」
自分でも驚くほど静かな声が出ました。
「うん…センセはね、自ら火中に飛び込んで行ったんだよ。逃げようと思えば逃げることもできたはずだ。でもさ、あんな人だから、脅されたって自分が正しいと信じた事を決して否定しなかった。それどころか法を破ってでも人の命や尊厳を守ろうとした。…馬鹿な奴だけど、一本筋の通ったいい男だと思うよ。」
先生がいい男なのは知っています。だって目の奥があんなに綺麗だったのだから。
私は顔を拭って精一杯姐さまに笑いかけました。
「神様って、先生のことですか?」
姐さまも悲しそうに笑いました。
「違うよ。あれは義憤の人だ。ただの人だよ。」
大きく息を吸い込むと冷たい空気が肺一杯に広がります。息を吐くと白い靄となって出て、風に流されすぐ消えました。私をこの世に繋ぎ止める人はもういないようです。
「神様の元へ行くと、死ぬのですか?」
「ああ」
「そうすれば神様がお喜びになるのですか?」
「ああ。…この国の民がもうすぐ沢山死ぬ。国が弱る。そうなった時に支える神にも支えがいるのさ。」
「戦を止めることはできないのですか?」
「神様にも色々あるんだよ。」
「色々?」
「万能じゃないからね。戦が好きな神様もいるし。」
そんなものかしらと思いながら私は山の麓を見下ろしました。人家は遥か遠くにあります。いつの間にか私は人の暮らしから離れてしまったようです。
「…お受けします。」
私がそういうと姐さまは一つ頷いて立ち上がりました。その背後にはさっきまで見えなかった一軒の家がありました。
「感謝奉る。ではこちらへ。」
姐さまはそう言って私に手を差し出しました。その手は毛むくじゃらで、まるで獣のようでした。今までは首から下は人間の女だったのに。
「姐さま、化けの皮が剥がれてますよ。」
「もうあんたに偽る必要はないからね。ついでにその姐さまもやめとくれ。あたしはメスじゃないんだ。」
それは知りませんでした。私は笑ってキツネの手を取りました。
「だって女物の着物を着てらしたから。」
「男の二人暮らしより男女の二人暮らしの方が目立たなくてよかったんだよ。」
「先生は知ってたんですか?」
「もちろん。あの男もね、神様に気に入られてたんだ。」
そんな事を話しながら姐さまに手を引かれて家の中に入りました。戸を閉めた途端、春のような陽気が体を包みました。
「風呂に入っておいで。湯を汚してもいいから隅々まで綺麗にするんだ。」
ああ確かにこんななりで御前に上がることはできませんね。私は家の奥の風呂場を見つけて着物を脱ぎました。すると服の間から赤いリボンが落ちました。拾い上げようとすると激しく手が震え、私はその場にしゃがみ込みました。ここで心を乱してはいけません。そんなことは、なんの意味もありません。
私は深呼吸を繰り返し洗い場に入りました。風呂にはたっぷりと湯が張られ湯気が立っていました。こんなお風呂に入るなんていったい何年ぶりでしょう。ずっと冷めた残り湯で体を拭うのが精一杯の生活でした。
熱い湯に体を浸すと何もかもが湯に溶けていくように感じました。まるでなにもかも夢のようです。なにもかも、なにもかも。
「消えてしまえばいいのに。」
隅々まで体を清めた後風呂を出ると、先ほどまで着ていた着物はなくなっていました。代わりに真っ白な浴衣が置いてありました。それを着て廊下に出て、パチパチと火が爆ぜている囲炉裏の横に座りました。濡れ髪を乾かそうと手櫛を通しながら先生の事を考えました。でも先生の歌っていた歌は、思い出せませんでした。




