11.赤いリボン
「助かったよ。ちょっと飲み過ぎてしまってね。」
そういう先生の口からは確かにまだお酒の匂いがしました。
「外国からいらしていた先生が国に戻られるのを送ってきたんだ。別れの杯ってことで少し一緒に飲んだんだが、またお酒が強い人でね。飲んでも飲んでもケロリとしてらした。あれは日本人が真似するもんじゃないね。」
「先生の先生てすか?」
「ああ。歳は向こうの方が下だが多くのことを教えてもらったよ。たとえば…あ、痛たた…」
先生は急に顔をしかめて頭を抱えました。
「あの、頭痛でしたらこめかみに梅干しを貼るといいって母さまが。」
「梅干しは張らずに粥に入れて食え。タマが作ったんだ、食うだろセンセ?」
「あーうん。貰おうかな…」
先生は痛そうに顔をしかめながらゆっくりと梅干しの入った粥を啜りました。私はそれを見ているだけで幸せでした。
「…タマはクリスマスって知ってるかい?」
先生に聞かれ私は首を傾げました。
「存じ上げません。」
「外国の行事でね、家族で集まって食事して贈り物をしあうんだ。」
「お正月のようなものでしょうか?」
「似たようなものだね。あちらの人にとってはとても大事な日らしい。その今日帰られる先生もその日を楽しみに帰国する予定だったんだが、色々と…上手くいかなくてね、遅れに遅れて出発することになった。あちらに着くころには来年で、もうクリスマスは終わってるんだ。」
「まぁお気の毒に。」
「それでその先生から君に贈り物がある。」
「私にですか?」
「あぁ、少し前に君を引き取ったという話をしたんだ。そうしたら君にあげるよと渡された。本当は国に居る妻君の為に買ったらしいが、ちょっと派手なので若い子の方が似合うんじゃないかと思ったそうだ。」
「まぁ」
「馬鹿だねセンセは。そんなの建前で家族への贈り物一つも用意してない朴念仁の為に気を回してくれたんじゃないか。」
「…そうなのか?」
「そうだよ。全く馬鹿だね。」
姐さまの言葉に先生はしばらく不満そうでしたが、粥を食べ終わり手を合わせると立ち上がって言いました。
「とにかく君に渡したいものがあるから待っててくれ。」
「一緒に行きます!」
私はすぐついて行こうとしましたが、思い返して盆に冷たい水が入った湯呑を載せて二階へと上がりました。先生の部屋はお酒と本の匂いがしました。
「これだよ。」
先生に渡されたのは綺麗な包み紙に包まれた小さくて平たいものでした。
「ありがとうございます!中を見ても?」
「あぁ…なにが入ってるんだろうね。」
私は綺麗な紙を一つも破ることのないように、丁寧に包みを開けました。中に入っていたのは真っ赤な棒状の布でした。
「絹のリボンだね。なるほどこれは子供の方が似合いそうだね。」
「何をするものですか?」
「髪に巻くんだよ。最近女性たちの間で流行っているらしくてたまに見るよ。」
髪…私の髪はおかっぱで肩にもつかない長さです。とても結えるものではありません。しょんぼりしていると後ろからきた姐さまが呆れたように言いました。
「貸しな。」
そうしてリボンを手に取ると私の首の後ろに通し頭上できゅと結んでくれました。見えないのでよくわかりませんが、察するに鉢巻のような感じでしょうか。
「可愛いじゃないか、な?センセ。」
姐さまは先生を脅すように睨み、先生は曖昧に頷きました。残念ながら可愛くはないようです。
「じゃ、センセは寝てな。タマが水持ってきてくれたんだから礼を言うんだよ。タマはこっちにおいで。」
「あ、キツネ、頭痛の薬を買って来てくれないか?」
「二日酔いごときで病人面するんじゃないよ。寝てな。」
姐さまはそう言うと私を部屋の外に押し出しました。戸を閉める寸前に「タマ、ありがとう。」という声が聞こえました。それだけで、私は嬉しいのです。
ニコニコしていると姐さまに鏡台前に呼ばれました。
「先生の薬、私が買ってきましょうか?」
「いいからいいから。あたしはセンセのおつかいはしない事にしてるんだ。」
どういう意味なのか考えあぐねながら鏡台の前に座ると、鏡の中にはなんとも言いがたい子供がおりました。
できそこないのオカメが奇抜なものを頭に乗せている…一瞬で笑顔は引っ込み、泣きたくなりました。
「そんな顔をするんじゃないよ。よく似合ってるよ。」
私は黙って首を振りました。
「見慣れてないだけさ。そうだ、今度都会へ連れて行ってあげよう。こんな頭をした女が一杯いるからさ。」
私は黙って首を振りました。
「ホントだってば…あんたは赤が似合うよ。それにあのセンセがあんたのいない所であんたの話をしてるなんて大したもんじゃないか。あの朴念仁がさ。」
それはそうかもしれません。私がそばにいないのに、私のことを考えて、それを誰かに話してくれていたなんて。
「…やっと笑ったね。」
優しい声に顔を上げると姐さまと目が合いました。どうして姐さまは私にだけこんなに優しくしてくれるのでしょう。でもそこには踏み込んではいけないように思います。
「…髪が伸びたら、またつけてみますね。」
私はそう言ってリボンを頭から取りました。手の中に収めたそれは、まるで枯れない花のようでした。




