10.幸せな日
それからしぱらくは静かな生活が続きました。朝起きて朝食を作り、姐さまと一緒に食べます。その後姐さまはどこかへ出掛けられますので、私はその間に家事をします。姐さまは酒のツマミを作る以外の家事はしたくないそうです。でも不潔なのはお嫌いだそうで、これまでは仕方なく掃除はしていたそうです。
「ちょっと汚いくらいで死にはしないさ。」
とは姐さまの弁です。
そこで私は喜んで家中を磨き上げ、家の前を掃きました。近所の方にも挨拶しました。少し疲れると姐さまが溜めていた裁縫もしました。姐さまは裁縫が嫌過ぎてお金を払って人にしてもらっていたそうです。私はお金が取れるほど裁縫が上手ではないけれど、代わりにすることで節約になりますからきっと少しは役に立っていると思います。
昼過ぎに姐さまは少しお酒を呑んだ状態で帰ってきます。そうしたら一緒に夕飯を作ります。食べて後片付けをすると早く眠るよう促されます。子供は沢山寝た方がいいそうです。最初は戸惑いましたが、私はいくらでも眠れる質のようで問題ありませんした。
時々は姐さまと一緒に買い物にも行きます。時折親しげな殿方が姐さまに話しかけてきますが、姐さまがギロリと人睨みするとみんな逃げていくのが愉快でした。姐さまが高圧的なのは先生だけではないようです。出会う人はみんな親切で色々なものをおまけとして私に下さいました。
「どうしてみなさん、こんなによくして下さるんでしょう。」
「あんたが馬鹿丁寧な話し方するから面白がってんだよ。」
なるほど、丁寧な挨拶には丁寧に返してくださる人もいるのですね。今までそんな人は少数だと思っていました。そうしてしばらくはそのまま感心していましたが、何度か繰り返すうち姐さまが私を守ってくれているのだと気づきました。行く店を選び話しかける人を選び、外にいる時は常に側に寄り添ってくれました。
「一人で外にでるんじゃないよ。この町は流れ者も多いからね。」
「確かに村の何倍も人がいます。」
「大体は悪い奴じゃないが…加減を知らない奴もいるからね。」
そういう姐さまの目つきは滅法悪くて、私は下唇を噛んで笑わないよう我慢しました。
「この町では知らない人が歩いているのも普通ですか?」
「そうだね。人がいつの間にか消えていることもよくあるね。」
「まぁ恐ろしい。」
「気楽でいいさ。この国はあんたが思ってるより広くて人も大勢いるんだ。ここじゃないどこかが意外といい場所だったりするかもしれない。」
そう言って姐さまはご機嫌にニヤリと笑いました。私にも姐さまの様な強さがあれば素直に頷くことができたのかもしれません。
先生は二三日に一度家に帰って来られます。大変お忙しいようです。大体は暗くなってからのご帰宅なので私は眠っておりますが、気がついたら起きて挨拶をするようにしています。そんなことが何度か続くと、先生は物音を立てずにひっそりと帰宅されるようになりました。私は起こして欲しいのに。一目でも先生のお顔をみたいのに。朝はご飯も食べずに出かけることも多くて、私はそれを常々つまらないと感じておりました。
そんなある日、朝食を作っていると姐さまから余った米を粥にしてくれと言われました。
「どこか具合が悪いんですか?」
「あたしじゃないよ。先生が二日酔いでね。」
先生!今日は朝玄関で靴があるかどうかを確認することを忘れていました。
「先生、帰ってらっしゃったのですね!」
「遅くに酔っぱらってね。今日は一日家にいるそうだ。…まぁずっと寝てるだろうけど。」
一日!ずっと!私は舞い上がり先生の為に料理をしようと張り切りましたが、お粥というものはどうにも張り切りようがありません。
「お粥以外にもなにか…」
「食えないと思うよ。なにより当分起きないだろうから、あたしらが食べ終わってから作ればいいよ。」
確かにまだ日も明けきっていないので具合が悪い方は起きられないでしょう。私はもんもんとした気持ちで二人分の朝食を作り、それを食べました。食べ終わり米を煮込みながら段々と心配になってきました。
「姐さま。頭痛ならば氷嚢などをお持ちした方がよいのではないでしょうか…」
「この家にそんなもんないし、なによりあんな酒臭い部屋に子供が入るんじゃないよ。」
「ではたらいに水と布巾を入れますから、姐さまが持っていって下さいますか?」
「なんであたしが。いいから放っておきな。甘やかすんじゃないよ。」
「ではせめてお水だけでも」
「いーから!」
押し問答をしていると二階から降りてくる足音が聞こえました。騒がしくして起こしてしまったようです。まだ米は粥ではなく雑炊ほどの硬さです。ここは横着をせず米を乾燥させてヒビ割れさせてから炊くべきだったのでしょうか。いえそんなことをしている時間はありませんでした。ここから一体どうすれば…
ぐるぐると混乱していると先生がひょいと台所に顔を出しました。
「水を一杯もらえるかな。」
先生は私が差し出した水を一気に飲み干しました。そして私の目を見てありがとうと言いました。
それだけで、幸せでした。




