数理の罠と勝利の帰結
1. 数理の罠
シエルは、ホムンクルスの猛攻のただ中で、動かなかった。彼の脳裏では、アリアの調合したポーションによって安定した演算回路が、極限の速度で敵の弱点を解析していた。
(ホムンクルスは、魔力枯渇までの時間を短縮することで、僕の長期戦戦略を封じた。だが、その代償はポーションの服用間隔の短縮。そして、彼女の磁力操作は、あまりに効率的すぎる)
ホムンクルスが操る鉄や岩の弾丸は、無駄なくシエルのいる空間に集中していた。その動きこそが、シエルの求める数式だった。
シエルは、瞬時に磁力操作の逆変成式を構築する。
「貴方がたの磁力操作は、最短距離、最大出力、そして単一のベクトルに集約されている。これは、防御の裏をかくためには完璧な数式だ。だが――」
シエルは黄金の槍を、自らの足元の石畳に突き刺した。そして、それを支点に、シエルが持てる勇者の演算魔力のすべてを、地中深くに叩き込んだ。
「――環境の数式を無視している!」
シエルが仕掛けたのは、錬金術の基本である**「元素共鳴」**を利用した、巨大なカウンター・トラップだった。
地中に流し込まれたシエルの魔力は、ホムンクルスが磁力操作に使用している鉄とは全く異なる元素、地中に豊富に含まれる微量の鉛や銅といった重金属の共鳴周波数を瞬時に書き換えた。
ホムンクルスが次の攻撃に移ろうとした瞬間、彼女の磁力操作が暴走した。
2. 磁力の逆流
「な、何!?」
無感情だったホムンクルスの顔に、初めて驚愕の表情が浮かんだ。彼女が意図したものとは全く違う、不規則で制御不能な磁力の嵐が、地中から噴き出したのだ。
彼女の磁力操作は、単一の法則に従っていた。しかし、シエルが仕掛けた共鳴によって、周囲の元素が無数の不調和な周波数を発し始め、ホムンクルスの演算回路に激しいノイズを送り込んだ。
「貴方がたの演算の完璧さは、不測の事態に弱い!これは、僕の不完全な人間性が持つ、自由度の勝利だ!」
シエルは、槍を構える手を緩めず、ホムンクルスの最も脆い箇所を狙った。魔力回復ポーションを、今まさに次の服用のために取り出そうとしていた、彼女の腰のポーチ。
シエルは黄金の槍を投擲するのではなく、ポーチめがけて、数理魔法による極小の衝撃波を放った。
パァン!
ポーチの中のポーション瓶が、すべて砕け散った。高濃度の魔力回復薬は、地面の土と混ざり合い、無力な汚泥と化した。
ポーションを失う。それは、短命という宿命を背負うホムンクルスにとって、即座の敗北を意味した。
ホムンクルスの銀色の瞳から、急速に光が失われていった。彼女の身体の成長が止まった未成熟な肉体は、魔力の枯渇による反動に耐えられず、その場で崩れ落ちた。彼女は、シエルに一瞥もくれず、無感情なまま、機能停止した。
シエルは、剣を使うことなく、完璧な数理戦略で勝利を収めた。アリアが調合したポーションによる心の安定が、彼の演算魔力を最高の精度で機能させたのだ。
3. 王族の不調和と執事の愚痴
要塞の危機は去り、シエルは王都に勝利を報告するために、再び向かわねばならなかった。
王城での報告会は、滞りなく進行した。シエルの完璧な戦略は国王にも認められ、絶賛された。しかし、その裏側で、彼のストレスは限界に達していた。
報告会後の休憩時間。リリアンヌ姫がシエルに近づいてきた。
「…また、完璧に勝ったのね」
姫は、不満そうに口を尖らせた。シエルは、冷静に答える。
「国家の安寧のためです。当然のこと」
「ふん。あなたの完璧さは、私には吐き気がするほど不調和だわ。あなた、本当に剣を使わなかったの?だって、あんなに強い磁力操作を前にしたら、あなたなら剣の力に頼るはずだもの」
リリアンヌ姫は、シエルの内心を深く探ろうとしていた。それは、婚約者としての関心なのか、単なる反発なのか、シエルには判断できなかった。
「私の戦略に、剣は必要ありませんでした。私は不必要な力を使わない」
「ああ、そう!本当に冷たい男ね!私は、あなたが完璧なフリをして、実は私たちと同じように感情に振り回される欠陥品だと証明したいのに!」
リリアンヌ姫はそう叫ぶと、怒りに任せてシエルの目の前のテーブルを叩いた。その衝撃で、テーブルに置いてあった王家秘蔵のインク瓶がシエルの報告書に派手にこぼれた。
シエルの完璧な報告書は、大惨事と化した。
姫は、やらかしたことに一瞬凍りついたが、すぐに居直ったように言った。
「…ほら、やっぱり!完璧な貴方には、不完全な試練が必要なのよ!」
シエルは、その場で表情を保つのがやっとだった。彼は姫に一礼し、混乱の中、王城を後にした。
4. 家族愛という安息の数式
その夜、数理要塞の私室。シエルは、疲労のあまり、這うようにアリアの部屋に入った。
そして、執事服を脱ぎ散らかし、ソファに突っ伏した。
「お嬢様……。僕は、もう計算ができません。姫様の天然な行動の発生確率と、僕の精神的疲労の増加率の相関関係が、非線形すぎる」
シエルは、いつもの愚痴ではなく、もはや悲鳴に近い論理的な不満を吐き出した。
アリアは、シエルの背中を優しく撫でながら、微笑んだ。
「完璧すぎて疲れる、私の可愛い執事。報告書は私が夜通し完璧に清書しておくわ。あなたは、ただここで眠るだけでいいのよ」
彼女は、シエルが王族との婚約という使命を背負っていることを知っている。だからこそ、この瞬間だけは、姫の役割ではなく、家族の役割を果たす。
シエルは、ポーションを飲み干し、アリアの膝の上に頭を預けた。彼の心の中で、**「不調和な姫」と「温かいアリア」**という対比が、確固たる真実となっていた。
「僕は、本当に、ここでしか息ができない」
シエルのその言葉は、彼がアリアに抱く家族愛の深さを物語っていた。アリアは、彼の髪をそっと撫でながら、心の中で誓った。
(シエル。あなたの完璧な使命が続く限り、あなたの不完全な安息の場所は、私が永遠に守り続けるわ)
シエルは、アリアの温もりの中で、再び深く安らかな眠りについた。外の世界では完璧な勇者として。ここでは、ただの疲れた青年として。彼の**「完璧すぎる」物語は、この不完全な安息の数式**によって、支えられ続けていく。




