角砂糖の秘密と血の数式
王都の錬金術研究所への協力が決まり、アリアは私室の調合台に向かっていた。隣にはいつものように、メイド長が完璧な姿勢で控えている。マスターの依頼は、オーパーツの解析に不可欠な**「アリア特製のポーション素材」**を提供することだった。
アリアは、調合に使う特殊な薬草のエキスを慎重に計量しながら、昨夜のシエルとマスターの和解の様子を思い出していた。そして、その間も献身的に自分を支え続けたメイド長の存在を、改めて尊く感じていた。
「メイド長、あなたは本当に、私にとって、そしてこの屋敷にとって必要不可欠な存在ですわ。シエルとマスターが和解できたのも、あなたの静かなサポートがあったからこそです」
メイド長は表情を崩さず、深く一礼した。
「恐縮です、アリア様。それが私の執務ですから」
漏れ出た「姉」の感情
アリアは、調合の仕上げとしてポーションの核となる特殊な魔力の結晶を手に取った。これは、勇者の一族の血が持つ特殊な魔力と共鳴しやすい素材だ。
その瞬間、メイド長が一瞬、息を飲む気配をアリアは感じ取った。
「シエルが…『アブソリュート・オペレーション(絶対演算)』の制御法を習得される。それは、命の代償を回避するための、最も合理的な数式……」メイド長は珍しく、「執務」の枠を超えた個人的な感情を口にした。その声には、深い安堵と、抑えきれないほどの切実な愛情が滲んでいた。
アリアは手を止め、その愛情の深さにハッとした。これは忠実なメイドが抱く感情ではない。
「メイド長、あなたは…まるで」
メイド長は観念したように静かに目を閉じた。そして、その完璧な姿勢を少し崩し、アリアの目を見て、最も重い真実を告げた。
「アリア様。無粋なことをお許しください。私は…シエル様の血の繋がった姉でございます」
短命の呪いと役割の選択
アリアはショックで言葉を失った。シエルの姉の存在について一切口にしたことがなかった。
メイド長は、自分の手首を見つめた。そこには、勇者一族特有の薄い痣が、確かに刻まれていた。
「私にも、短命の呪いがあります。私が**『姉』として振る舞えば、完璧な執事であろうとするシエル様は、私を護るために、また非論理的な感情で命を削る選択**を繰り返します」
メイド長は続けた。
「私の執務は、シエル様が勇者としてではなく、『家族』として生きるための安息の数式を、陰から設計することでした。私は、『メイド長』という役割を選ぶことで、姉としての愛情と呪いの宿命を、論理的に切り離したのです」
アリアは、血の繋がった親の複雑な愛情、血の繋がった弟の抑圧された愛情、そして血の繋がった姉(メイド長)の自己犠牲的な愛情という、この屋敷の家族の数式のあまりにも深い闇を知り、絶句した。
そして、その自己犠牲の連鎖を、甘いポーションの素材が照らしているようだった。
媒介者の執務
アリアは、メイド長(シエルの姉)の自己犠牲的な愛情という重すぎる真実を知った後、すぐに立ち直った。彼女は、この**「闇に隠された愛の数式」**を、シエルの安息のために利用しなければならないと決意した。
「メイド長。あなたの**『姉としての愛情』と『メイド長としての完璧な演算』、その両方が、今、この屋敷の最終決戦**に最も必要です」
アリアは、オーパーツの解析とシエルの剣の制御を直結させる、新たな執務をメイド長に与えることにした。
修行場への訪問
その夜遅く、アリアはメイド長と共に、砦の地下にあるシエルの修行場を訪れた。
シエルは、『アブソリュート・オペレーション(絶対演算)』の制御に苦戦していた。彼の周りには、解放されすぎた魔力が不規則な熱となって立ち上っている。彼は、「命を削る負担」をシミュレーションし、その代償を回避する論理を見つけようとしていた。
「アリア様、メイド長。このような夜分に、どうされましたか?」シエルは、一瞬の疲労を隠し、すぐに執事の顔に戻った。
「シエル。マスターの依頼で集めたポーションの素材を、研究所に提供する前に、あなたの魔力の制御に使わせていただきたいの」アリアは優しく言った。
メイド長は、修行で疲弊し、しかしなお完璧であろうとする弟の姿を見て、胸が締め付けられた。彼女の脳裏には、シエルが昔、怪我を隠して笑っていた幼い頃の記憶が蘇る。
(私には、あなたを『弟』と呼ぶ権利はない。でも、**あなたを護るための『論理』**を、私は手に入れた……!)
命を繋ぐオペレーション
アリアは、グリムが持ち帰ったオーパーツの水晶を、シエルの修行場の隅に設置させた。そして、その水晶の前に、メイド長を立たせた。
「メイド長。あなたの新たな執務を命じます。あなたは、このオーパーツとシエルの魔力の間に立つ**『媒介者』**になっていただきます」
シエルが訝しむ顔をした。「どういうことですか、アリア様?」
アリアは、メイド長の真の血筋を悟られないよう、冷静に説明した。
「このオーパーツは、何故かポーションの素材となる物と強く反応する。メイド長、あなたは完璧な演算能力を持つ。あなたの精密な演算で、シエルの魔力構造をオーパーツの解析に繋げ、**『制御の数式』**をリアルタイムで導き出すのです」
メイド長は、シエルの不安と疲労を見つめた。彼女の姉としての心臓は激しく脈打っていたが、彼女はそれを冷静な演算に変えた。
「承知いたしました。シエル様の無駄な疲弊と命の消費は、アリア様の安息を脅かす最大のエラーです。この執務が、そのエラーを修正する**『絶対的な論理』**となるならば、この命をもって、遂行いたします」
その言葉には、執務としての冷徹な決意と、**「命を懸けてあなたを護る」**という姉の誓いが込められていた。
姉の愛と執事の感謝
メイド長がオーパーツの前に立ち、自身の勇者の血と卓越した演算を集中させると、水晶がかすかに光を放ち始めた。彼女の魔力回路は、シエルの暴走する魔力と、古代の解析装置という二つの巨大な負荷を処理し始めた。彼女の顔色が一瞬悪くなったが、**「弟の命」**という演算結果を最優先し、耐え抜いた。
シエルは、『アブソリュート・オペレーション』を再び発動した。激しく拡散しようとしていた魔力が、メイド長の静かで完璧な演算を通過する瞬間、水晶に映し出されたグラフが一瞬で安定した曲線を描いた。
シエルは驚愕した。「これほど完璧に力の暴走が収束したのは初めてだ……まるで魔力の流れを完全に手綱で引き寄せられたようだ」
修行を終えたシエルは、深々とメイド長に頭を下げた。
「メイド長。貴方の完璧なサポートが、僕の制御の数式を安定させました。貴方の演算は、僕の論理よりも数段上です。心より感謝いたします」
シエルは、それが血の繋がった姉の命を懸けた愛情であることに、気づかないままだった。メイド長は、その**「感謝」という名の温かい報酬を、「メイド長」**としての立場を崩さずに受け取った。
「恐縮です、シエル様。あなたの生命維持確率が向上したことが、何よりの成果です。この執務が、アリア様の安息に繋がることを願っております」
そして彼女は、シエルに背を向け、微かに震える手を隠すように静かにその場を後にした。彼女の姉としての愛は、完璧な執務という冷たい論理の檻の中に、再び閉じ込められた。
シエルは、それが血の繋がった姉の命を懸けた愛情であることに、気づかないままだった。メイド長は、その**「感謝」という名の温かい報酬**を受け取り、静かに一礼した。
「恐縮です、シエル様。この執務が、アリア様の安息に繋がることを願っております」




