甘味料と、帰りを待つ安息
最近、シエルが王都から受けた勅命の仕事以来、彼はめっきり家に帰って来なくなった。王城での調査や修行のためだと頭では理解していても、彼の身に短命の呪いという影が付きまとっていることを知っているアリアの心には、言いようのない不安が渦巻いていた。
アリアは思わず、弟のグリムのバーテンダー制服姿に視線を向けた。カウンターの中では、リリアンヌ姫が面白半分でグリムをコケにしていた。
「あら、弓矢のアルケミスト様がバーテンダーとは、落ちぶれた才能も地に落ちたわね? さあ、私には水以外に必要ないわ」
「水しか要らないなら出て行ってもらっても結構ですよ、お客様」グリムは顔に不満な感情を張り付け、カウンターで働いていた。そんな他愛のない日常風景も、今の彼女には遠い世界のことのように感じられた。
マスターの保証とグリムの優しさ
アリアは喫茶店の奥で、マスターに最近のシエルの状況を相談した。
「マスター……シエルが、勅命の仕事があってから家に帰って来てない日が続いて。何か、私が知らないきな臭いことが動いている気がするんです。それに最近、メイド長も何かを隠している気がして……」
マスターは温かい紅茶を淹れながら、アリアの不安を払うように静かに、しかし強い確信を持って言った。
「大丈夫だよ。今日は帰って来る。必ずね、だから心配しなくて良い」
マスターの揺るぎない保証の言葉に、アリアは少しだけ肩の力が抜けた。だが、知らないところで何かが大きく動いているという感覚は、依然として消えない。
その時、カウンターから解放されたグリムが、淹れたてのコーヒーをそっとアリアの前に置いた。
「そんなに心配したところで何も解決しねーよ。オメェの執事はバカじゃねえ。……これは俺の奢りだ。冷めないうちに飲んどけよ」
グリムの不器用で非論理的な優しさを、アリアは素直に受け取った。彼女はいつもの通り、小さな角砂糖を5つ、コーヒーに淹れた。甘いものが好きな彼女にとって、この砂糖の甘味料は、ほろ苦い現実を一時的に遠ざけるための儀式だった。
「アリア、貴女、本当に糖尿病になるぞ」
マスターが笑顔で釘を刺してきたが、アリアはその甘いコーヒーを、グリムの気遣いと共に飲み干した。
安息の帰還
その日の夜、アリアが家に帰ると、シエルは約束通り久しぶりに部屋に入ってきた。
いつものように完璧な制服を着て、完璧な執事の顔をしているが、その目元には覚悟の決意と疲労の影が見て取れた。
「アリア様、心配させてごめんなさい」
シエルが、その一言と共に深々と頭を下げた。
彼の究極の選択と短命の呪いの恐怖を知るアリアにとって、その謝罪は、彼が帰ってきてくれたという安堵の感情に、全て塗りつぶされた。
「おかえりなさい、シエル」
彼女は、彼の**「執事」の仮面を外し、彼を「家族」**として抱きしめた。
「あなたが生きていてくれれば、それだけでいいのよ。仕事のことは忘れて、今日はゆっくり休んで。シエル、今日も私はあなたを甘やかすわ」
アリアはそう言って、彼のために特別に甘いホットミルクを用意し、彼の疲労と背負った重荷を、自分だけの愛情で優しく包み込んだ。




