王都の仮面と不調和な和音
1. 完璧な報告とアリアの憂鬱
ホムンクルス襲撃事件の翌朝、シエルはすでにいつもの完璧な執事に戻っていた。中庭に残された戦闘の痕跡は魔法で修復され、昨夜の激闘が嘘のように要塞は静まり返っていた。
「ホムンクルスを撃退したことは、王家への最高の報告となるでしょう。お嬢様の防衛設計の優秀さも同時に証明されました」
シエルは完璧な笑顔でアリアに報告書を手渡した。しかし、彼の左手首の黄金の腕輪を、彼は今日だけは執事服の袖で深く隠していた。剣を使ったことによる精神的な疲弊は、まだ癒えていない。
アリアは報告書を受け取りながらも、表情は晴れない。
「シエル、今回はあなたの功績が大きすぎるわ。王家は必ず、あなたを王都へ呼び出す。それは、王族の婚約者としての務めを強く迫るということよ」
アリアはシエルに深く惹かれている。しかし、勇者の末裔の婚約者は王族という宿命は、彼女の心を締め付けていた。彼女は、シエルが姫との婚約に進むことが、要塞の安寧、ひいては自分の孤独な生活を守る上で最善だと理解していた。だからこそ、自分の感情を押し殺し、彼の使命を尊重しなければならない。
「お嬢様の仰る通りです。私は王家への報告と、今後の防衛戦略に関する密議のため、王都へ向かわなければなりません。滞在中は、要塞の数理防壁に**『磁力抑制の逆変成式』**を遠隔で組み込みます。ご安心を」
シエルもまた、アリアの孤独と、彼女が背負う重荷を知っているからこそ、**「家族」として彼女を守るため、「王族との婚約」**という使命を受け入れるしかなかった。彼は、自分の心に蓋をしたまま、王都へと旅立った。
2. 王城での対面と姫の感情
王城の謁見の間。シエルは、いつもの執事服ではなく、王家から提供された勇者の末裔の礼装に身を包んでいた。その姿は、執事としての完璧な優雅さに加え、伝説の血統が持つ威厳を纏っていた。
「ご苦労であった、シエル・ヴァルカス。ホムンクルスによる王都襲撃の脅威から、我が国を守った功績は大きい」
国王からの労いの言葉を、シエルは完璧な礼儀で受け入れた。
そして、謁見後。シエルは婚約者であるリリアンヌ姫と、形式的な対面を求められた。
「…相変わらず、完璧すぎてつまらない人間ね」
リリアンヌ姫は、シエルを一瞥すると、露骨に嫌悪感を露わにした。
「光栄です、姫様。それが私の務めですから」
シエルは感情の揺らぎ一つなく答える。彼の完璧な態度は、姫の心をさらに逆撫でした。
「貴方の報告書は見たわ。あなた、また剣を使ったそうね。あの危険な力を」
姫は、シエルが**剣をトラウマから避けていることを知っている数少ない一人だ。彼女はシエルの「完璧さ」の中に隠された「欠陥」**を知っていた。
「国を守るための数理的な最適解でした。無駄な感情は排除しています」
「嘘よ!あなたは感情を排除しているんじゃない。感情を押し殺しているだけだわ!まるで、あのホムンクルスと同じように…いいえ、ホムンクルスの方がまだ正直よ。あなたは、自分すら騙している」
リリアンヌ姫は乱暴な言葉を使うが、その言葉にはシエルの心を心配するような、不器用な優しさが滲んでいた。しかし、シエルには、その**「優しさ」**を正面から受け止める余裕はなかった。
「お言葉ですが、姫様。私は私の使命を理解しています。私と貴方が婚約者となることは、国家の数理的安定に不可欠です。それ以外の感情は不要です」
シエルは、自分の心に剣を突き立てるように、冷徹な言葉を口にした。姫は怒りに震えたが、すぐに諦めたように息を吐いた。
「…そう。あなたがその完璧な仮面を捨てるまで、私に話しかけてこないで。不調和な和音を聞くのは御免だわ」
3. アカデミア・マギカの監視任務
王城での密議と姫との不調和な対面を終え、シエルは再び潜入学生「シード」としてアカデミア・マギカに戻った。
今日の任務は、新たに王都へ派遣されてきた他国の学者(スパイの疑いがある)の監視任務だ。
シエルは講義中、完璧な集中力で学者の一挙一動を記録していた。学者は、要塞の防衛技術に関わる錬金術の配合式を熱心にメモしている。
(完璧だ。これは証拠になる。今回は絶対に失敗できない)
シエルが証拠固めのための最終的な数理検証に入ろうとした瞬間、教室の入り口から、再びリリアンヌ姫が現れた。
姫は、シエルに目もくれず、監視対象の学者にまっすぐ歩み寄った。
「あら、あなた!昨日、私の護衛が持っていた古い文献を見たでしょう?あれ、実は呪詛の解読に使うんだけど、難しすぎて全然進まないの!ねえ、あなた頭良さそうだから、ちょっと手伝ってよ!」
姫は、「古い文献」という名で、スパイが最も触れてはならない王家の機密文書の写しを、何の気なしに学者に差し出した。
シエルの演算魔力が、限界まで高まった。
(いけない!あれは機密文書だ!しかも、この学者は今、僕が監視しているスパイだぞ!なぜ、この方はいつもこう、完璧な任務の邪魔をするんだ!)
シエルは、自らの完璧な優等生の仮面をかなぐり捨てそうになる衝動を、必死で抑え込んだ。彼は立ち上がり、早口で学者に話しかけた。
「学者殿、恐れ入ります!その文献は、記述に誤りがあります。以前、私が修正したはずですが…。姫様、その不正確な文献を他者に渡すのは、学術的な名誉に関わります」
シエルは、完璧な知識人を装って学者から文献を回収し、姫にそっと耳打ちした。
「姫様、私に構わないでください。私の任務に支障をきたします」
リリアンヌ姫は、シエルの冷たい態度にまたもや不満そうに顔を歪めたが、「ふん、どうせ完璧な貴方にしか理解できないことなんでしょう」と捨て台詞を吐いて立ち去った。
シエルは、文献を回収できたものの、完璧な監視任務はまたしても**「天然の暴走」**によって妨害された。彼の頭の中の数式は、不協和音を奏でていた。
4. 愚痴と安息の再会
その夜、数理要塞に戻ったシエルは、ほとんど意識を失ったようにアリアの部屋のソファに倒れ込んだ。
「お嬢様……。僕の演算魔力が、あの姫様によって、無駄なエネルギーの処理に使われすぎて、もう限界です。姫様は、僕の仕事の敵です…」
シエルは、乱暴な言葉で、心の中の不満をすべて吐き出した。
アリアは、そんなシエルの疲弊した姿を優しく見つめた。彼女は、シエルが王族の婚約者という立場にもかかわらず、自分の前でしか見せないこの不完全な姿に、何よりも深い愛情を感じる。
「シエル。あなたは完璧だから、不完全な感情に振り回されるのでしょうね。リリアンヌ姫は…あなたの完璧な仮面を壊そうとしているだけよ」
アリアはそう言いながら、シエルの手を握り、そっと語りかける。
「ねぇ、シエル。今度、あなたの剣のトラウマが癒やされるように、数理的な鎮静効果があるポーションを調合してみるわ。私には、あなたを完璧にはできないけれど、あなたの不完全さを癒やすことはできるかもしれない」
シエルは、アリアの提案に、薄く微笑んだ。彼の心の中で、王族の姫との不調和な使命と、砦の令嬢との温かい家族愛が、複雑な和音を奏でていた。




