5.異世界人との遭遇
5.異世界人との遭遇
朝日のなかに、アッシュの姿はなかった。
「そんな……『吉備津の釜』じゃああるまいし」
カッツが口にしたのは上田秋成の『雨月物語』の一説だ。
小説では「朝だと思った主人公が戸を開けるが、実はまだ夜は明けておらず殺されてしまう」ことになる。
「大丈夫……ですよね?」
刀を杖に筝がひとり問いかけた。
「てンてーなら問題ないのでは?」
小乗が返した。『SLG』でも途中で亡くなったかに思えたが生き残っていた。
「今度もきっと戻ってくるさ」
アメコミヒーローは言うことが違う。イヴァンには脈略のない自信があるのだろう。
「さて、どうしますか……」
小乗が声をかけたが誰も答える者はいなかった。
カッツはひとりブルーシートで横になった。中尉が毛布をかけてやる。その手が止まった。
「人だ。武装した……」
イヴァンが西のほうを見た。横転したバスの横に、石畳の道が一筋ある。その向こうに旗があった。
双眼鏡で覗くと、甲冑の騎士が馬車を護衛していた。
一行が動きを止め、一騎が馬を走らせた。
「斥候か。迂闊に手出しするなよ」
中尉があえて口にした。
「中世っぽいわね。この中で一番偉い人はだあれ?」
ディアドラが振り返って全員に尋ねた。
「交渉人、代表かあ……」
イヴァンが頭をかいた。
「そりゃあ、あなたでしょ」
カッツが口を開いた。
ディアドラ以外の全員が「ボス態度」と心の中で注釈を入れた。
「いやあの……中の人を含めて、爵位がある人とかは?」
「博士号をもっているとか?」
小乗が提案した。「医師免許は修士レベルだよ。宇宙飛行士は? 二つ三つ持っていても不思議じゃあないだろう?」
「あーそれなら姉御が二つ持ってる」
「あなただって持ってるでしょうに」
「俺が交渉ごとに向くと思うのか?」
「『確認しただけ。やれとは言ってない』」
「『ああそうですか』」
「ただ女性が代表だとなめられる」
「ハラスメントですよ」
三蔵がイヴァンに反論したが、ここがどんな世界か分からないのに「下手に下手にでて負けるのは困りますから」と首の骨が骨折したかのように自分から折れた。
ディアドラが苦笑いした。――ある会議で男性が、女性にコーヒーを頼んだ話がある。開始時間になっても議長が着席しない。男性が文句を言うと、コーヒーを持ってきた女性が議長席に着いた。――
三蔵は仏教系大学で、八戒は国立大学出身で元防衛省職員だった。八戒がエリートコースから外れて退職したのはセクシャルハラスメントが原因だったがそれは口にせず、意外とロシア語が話せて交渉事もできることを自己アピールした。
「ただなあ……」
イヴァンが言うまでもなく、自分たちの命運をビキニアーマーの変態に任せる気はしなかった。
意外と高学歴なのはイヴァンだった。キーウ大学で物理学と地理学の博士。スヴェトラーナはウラジオストクの極東連邦大学で物理の博士と、モスクワ大学で物理博士と工学博士。
「僕はただの大卒です」
バルタザールはディアドラと同じ経済学らしい。
「結局私か……」
元中尉が自ら交渉役を引きうけた。将校は貴族待遇される場合が多い。サポートとしてディアドラとスヴェトラーナ。交渉上手な営業と論理的な補助だ。護衛にイヴァンと筝。
なお、聞かれていない筝の学歴は高等学校(通信教育課程)卒業だった。サブカルはアッシュの影響らしい。カッツは美大卒である。
中尉が、ディアドラから渡された小道具のノートにペンで何やら書いていた。
斥候の騎士が二十メートル手前で停止した。
「――――、――――。――――?」
馬上から騎士が高飛車に訊ねた。聞き慣れない言語だったが、自身の所属と名前、それに「お前たちは誰だ?」だろうことは予測がつく。
中尉がノートを広げた。
「私たちは旅行者だ。道に迷ってしまった。また、怪我人がいるので、助けて欲しい」
日本語で書かれた文字を指さしながら、はっきりとした口調で相手に告げた。最後に後方の患者を手で案内した。
一礼したあとノートを渡すべく、ゆっくり騎士に近づいた。
馬が中尉を一瞥すると、頭を近づけた。
「――――。――――」
ぞんざいに受け取った騎士が一言二言いうと踵を返した。
(「あいわかった。しばし待たれよ」か?)
鎖帷子から、文明レベルは中世後半か近世前半だろうか。
あいにく歴史に強いノートルダムはいない。ノートルダムはその名の由来どおりノートルダム女子大学大学院の文学研究科で英語英米文学専攻の修士だから少なくとも中世文化に詳しかった。そのノートルダムが一目置くアッシュは前に米国の大学で講師をしていたらしい。
「小隊規模。騎兵十三名、歩兵三十名。うち士官一名、下士官二名。馬車に四人。たぶん貴族で、文官だろう。……『キリコ、おまえの意見は?』」
中尉が正面から目を離さずTVアニメーション『装甲騎兵ボトムズ』第四十七話「異変」での狂言回し(ジャン・ポール・ロッチナ)の台詞を口にした。
「『あんたと同じだ』」
スヴェトラーナが主人公キリコ・キュービィーの台詞を返した。
中尉が「『分かった、時を待つか』」と続けた。実際、相手の出方を見るしかない。
「四十七人……」
中尉は不思議と馬車の中の人数を四人だと考えていた。なんとなく分かるのだ。それを言葉では説明できない。
「……赤穂浪士か」
スヴェトラーナが脳内で戦闘をシミュレーションした。微笑む。
「戦場に女ふたり侍らせて、武人二名に護衛させているかわいそうな男」
冷静なスヴェトラーナと比べて、辛辣なディアドラだった。
こうした時、ミスが命取りになる。そのためのジョークだった。余裕がなければ勝てるものも勝てない。
「今なら薙ぎ倒せるが……」
許可を求めるイヴァンだった。
「『チャージはできているんでしょうね?』」
「『七分後には灰になる』」
「できれば戦闘は回避したい。逃げ場もなく、カニに追われちゃあ敵わない」
朝のこの時間に気配はないが、毎夜襲われる可能性があった。
「相手の将校がカン・ユー大尉でないことを祈るよ」
最高のボトムズ(最低野郎)と名高いキリコの上官だ。
「指揮官がゴン・ヌーとか?」
同じく主人公の将軍だ。良識はあるがどうなるか知れたものではない。
「てンてーがカン・ユー好きなのよ」
ディアドラの発言にスヴェトラーナが顔を見た。
「どうして?」
「両人、前を見て、前を」
中尉の言葉に前を向くスヴェトラーナだったが、口をへの字にしている。
「『学ぶ点は多い』とのこと。カン・ユーってバカにされるけど、イプシロンと戦って生き残ってるのよ。化け物かっての」
イプシロンは敵役だ。ほぼ無敵である。
「帰ってきた」
イヴァンが見れば分かることを口にした。
「絶対に撃つなよ」
「フラグフラグ」
「フラグちゃうわい」
先ほどの騎士と、若い騎士がやってきた。青年のほうが馬から降りた。指揮官がカッツを指さした。「乗れ」ということらしい。
返されたノートには「握手する絵」が描かれていた。対等に扱ってくれるらしい。
イヴァンが担ぐ前に、カッツが駆けよると馬に頬ずりした。撫でたお返しに、馬が舌を出した。ペロペロしている。
「この世界に獣人がいたとして差別されないの?」
ディアドラの言うとおり、青年騎士が顔をしかめていた。
「(同性愛者かも?)……賓客の飼い猫が怪我をしていたら、あなたならどうする?」
腐った想像をしながらスヴェトラーナが回答した。
「それもそうね。とすると……」
「……交渉可能な相手で、なおかつ……」
「……『頭がいい』」
スヴェトラーナの誘導から、中尉が「用心しろ」という符帳を伝え、ディアドラが設定のウインクを返した。
イヴァンも親指を動かした。『了解』のサインだ。