4.塩の柱
4.塩の柱
スヴェトラーナがヘアスプレーを手にした。左手はターボライター。
火炎がカニもどきを焼くが、大勢に無勢。威嚇にはなるが、侵攻を食い止めることはできない。
「『連射ブラスター』」
イヴァンが台詞と同時に射った。
「何!」
中尉が声を上げた。
イヴァンの右手の小道具から、強力なエネルギー波が発射されたからだ。イベントではチョロチョロ光るだけの代物だ。
「ひえー」
一番驚いたのはイヴァン自身だった。照らして状況判断するつもりが、決定打になりうるとは誰も予想できない。
「『イヴァン! 5351!』」
スヴェトラーナの声に、イヴァンが義手にコマンド入力した。
一線射撃が広域放射に変わり、あたり一面を火の海に変えていく。
「すげー」
バルタザールも「明るく照らせば何かわかるかも」とは言ったが、設定どおりに火焔で薙ぎ払うとは想像できなかったようだ。
「食べられそう?」
八戒がカッツに聞いた。戒律から食べることはできないが、落語の鰻の匂いなのだろう。香りだけで食を進める気らしい。
「たぶん無理ポ。カニというよりはヤドカリに近いから蟹味噌もないし」
「ヤドカリ?」
「タラバガニとか足八本しかないでしょう? 見た目は」
残りの二本は隠れている。
「それに、前に歩くなんてカニじゃあないでしょ?」
確かに横ではなくまっすぐこちらに向かってきていた。
七分間きっかりでエネルギー切れしたブラスターが停止した。
カッツが鼻をこすった。焼けこげた甲殻類の匂いだ。
「……アッシュ」
若い女の低い声が遠くから聞こえてきた。
「アッシュ……あなたが来れば……他の者は助けて……あげましょう」
「どこにそんな保証があるのかしら?」
筝が身構えた。
「筝……お前の願いを……叶えて……あげましょう」
「ノートルダム?」
カンに触る声だけに間違えようがない。
「ああ……バルタザール。あなたも来なさい」
全力で首を振るバルタザールだった。
それは「ノートルダムだったもの」という表現が正しいだろう。ネジ折られた首が背中にはりついていた。
「アッシュ……」
ノートルダムだったものが両手で首を掴むと、肩の上にすげ百八十度回転させながら、ワルツのステップでその身を翻した。
「笑える。あんたが甦ってどうする」
中尉がつっこんだ。物語では息子が生き返る。
「黙れ、人殺しめ」
元軍人で業務上ひとを殺めたことがあるという設定だ。中の人がそうかどうかは分からないが。
「私ひとりでいいだろう」
隻腕の紳士が一歩前に出た。
「マスター!」
「待っていろ」
そういうと、振り返った。
憂いの瞳と、和らいだ笑み。
次の瞬間、カニもどきがひと帯にやってきたかと思うと、いっせいにアッシュにはりついた。
「蟻塚……いや塩の柱か」
スヴェトラーナが言うとおり『旧約聖書』に書かれたロトの妻のように白く固まったあと、音もなく消え去った。
東から陽がさした。