1.てンてー異世界です
『てンてー異世界です――コスプレキャラ能力全開』
〝Around the Another World〟
1.てンてー異世界です
〇二時一三分。夜行バスが横転した。
急に左にステアリングを切ったらしく、車体が右に傾きそのまま横倒しになってしまった。
二列席左側の乗客が、右に落ちてきた。
「グッ!」
シートベルトをしていた女武芸者姿の〝和田箏〟だけが、宙ぶらりんで浮いていた。淡紫の小袖に江戸紫の袴、薄梅鼠の羽織に三つ紋となれば、誰が見てもコスチューム・プレイだろう。
「大丈夫か?」
下から、グレイのスーツの〝アッシュ/大谷敦〟が髪を整えながら従者に聞いた。テーラーの三つ揃え、襟付きウェストコート、アスコットスカーフ。
(取れない!)
箏自身の体重がかかっているため、ベルトをはずすことができない。
「手刀で切ればいい」
「でも……」
「切れ」
アッシュが金縁眼鏡を正し、命令した。
箏が右の二指で刀を形づくると、手首を返した。鋭利に切断される。
身軽にベルトを外すと、アッシュの上に落ちた。
「あっ!」
袴姿の箏が顔を赤らめた。
「どいてくれるとうれしい」
背を向ける箏に声をかけた。
「すみません……」
「安否を確かめてくれ。(……何時?)」
アッシュの右手のスマートウォッチが壊れていた。無意識に受け身をとったらしい。
特注の夜行バスは個室二列席で乗客十二名しか乗れない。本来五十名ぶんの空間は贅沢といえる。
「『ディアドラさん、顔を踏まないでください』」
後席のネイビィスーツの青年がピンヒールの美女に苦情を述べていた。それでいて顔を紅潮させている。ライトノベル『金髪碧眼鬼畜女上司の足蹴実習がスゴすぎて僕は途方に暮れる』――通称『ブロあし』の主人公の〝小乗柾経〟とその上司〝ディアドラ・ナターシア〟のコスプレだ。
「『あっら、ごめんあそばせ』」
肩にかかるうつくしい金髪のディアドラの真っ赤なヒールはタングステンという設定だが、そこはそれレザー専門店スナワチとのコラボレーション商品で代用していた。
コスプレイヤーの矜持としては設定重視だとしても、タングステンの比重は十九・二十五g/立方cmもある。いくらサルヴァトーレ・フェラガモのヒールが軽いといっても、片足四キロは動けない。
「……うぐ……」
小乗はディアドラのスーツスカートの闇の奥を見ようとして、さらに踏みこまれた。
「(自業自得……いいえアレは『ご褒美』なのかしら……)お怪我はありませんか?」
「いいえ、ちょうどいいクッションがありましたので」
箏がディアドラに確かめると、小乗が「『やれやれ。僕は僕の運命を呪うよ』」といつもの台詞を口にしていた。意味は「大丈夫です。魂に傷を負った以外は」である。
「あっそうだ! てンてー?『てンてーはご無事でした?』」
ディアドラが小乗を押しのけて、椅子ごしにアッシュに聞いた。「センセー」または「てンてー」という特殊なアクセントは推理小説『ソウ・ロング・グッドバイ』の探偵〝アッシュ〟に対する敬称だ。
「『問題ない。お気遣いありがとう』」
ただ、白シャツの右の袖先がほつれていた。白蝶貝のボタンが割れてしまっている。
「『どういたしまして』……お手伝いしましょうか?」
縫うフリをしてみせた。
「後で頼めるかな、ミス・ディアドラ。――先に救命を」
「はい、かしこまりました。――『下僕! 働く働く!』」
「『へーへ、今やってますって』……大丈夫ですか? 私は医師です。痛いところはありせんか?」
下僕うんぬんはもちろん『ブロあし』の設定だが、〝小乗柾経〟の中の人が問診をかねて一人ひとり確認していった。
(見事に折れてるな……)
猫耳の女性〝シュヴァルツェ・カッツ〟の前腕に『ブロあし』の小道具のシンワの定規があてられた。透明な3Mの梱包テープで固定する。ロレックスのオイスターパーペチュアルで確認した時刻を、ゼブラのマッキーで書き写した。
(以前どこかで……ああ、007の人だわ)
ラノベ版ではなくアニメーション化した『東の悪い魔女と南の善い魔女』の東の悪い魔女の使い魔の黒猫がスカルマスクを思いだした。
(たしかにそうだわ。『ボンド、ジェームズ・ボンド』)
骸骨の仮面は映画『007 スペクター』に登場する。
(でもあの時はオイスターパーペチュアルじゃあなくて、オメガのシーマスター300だったはず……あっ、でもお医者さんなら不思議じゃあないわね)
なお、中の人は俳優ショーン・コネリーのファンであるとともに、イアン・フレミングの原作のファンでもある。
「どうなってるんだ! 説明しろ!」
前方で怒鳴っているのは、アメリカン・コミックス『コスモノート5361』改め『コスモノート5351』の宇宙飛行士〝イヴァン・A・メドヴェージェフ〟だった。『身長一九七センチメートル、体重一三一キログラムで、右の義手に連射ブラスターが内蔵されている』設定だ。
「――ていうか開けろ!」
防犯と感染症予防から運転席にはドアが設置されている。外から開くこともできるが、ドアも枠も歪んでしまって開かない。
「どうする? 姉御」
アクリルの窓から運転手が倒れているのが分かる。
「……開けるしかないでしょ」
聞かれたのは、イヴァンの相棒の〝スヴェトラーナ/ヴァシリーサ〟だ。こちらも『一九〇ちかい』設定だが、中の人はウラジオストク出身なのでそこそこタッパがある。
「スヴェータ、慎重に、な」
年上のアッシュが、ドアを蹴やぶりそうになるイヴァンを牽制した。
「了解、センセー。――そっちをもって、ミーシャ」
ミーシャはロシア語で「熊」の略称だが〝メドヴェージェフ〟の愛称でもある。おもしろいことにロシア語には「熊」に該当する言葉がなく「蜂蜜を食べるもの」が熊という表現になる。
ケーキの上のチョコレートの板を取るように、二人が傾いたドアを両端から引きあげた。
小乗が、倒れている運転手に気遣いながら降りた。
「どう?」
「……頚椎が損傷している。動かすのは危険だ」
ディアドラの質問に、医師が気道を確保しながら答えた。
「救助を待つ?」
「それが妥当だろう。被害はシャノワールだけか……」
仏語で「黒猫」の意味だ。
「星が落ちちゃった」
キリスト教の『新約聖書』の〝東方の三賢人〟に扮した真ん中の〝バルタザール〟が苦情を述べた。確かにクリスマスツリーの頂上の星が欠けていた。イベントでは左右に〝カスパール〟と〝メルキオール〟の仮面をつけての一人三役の登場だった。
「イイじゃあない。アレ間違ってたんでしょう?」
小道具にうるさいディアドラの弁に美少年が目を伏せた。モミの木に飾るベツレヘムの星は、五芒星ではなく八芒星である。
「バルバル。ほいよ」
バルタザールに星を投げてよこしたのはラノベ『ゴー・ゴー・ウエスト(西遊記)』のベビィブルーのビキニアーマーの天蓬元帥〝猪八戒〟だ。褐色の肌の『女型の猪八戒は、ラクダのように一〇〇リットルの水を胸の脂肪に変えている』設定だ。現実には一〇〇リットルは無理でも、巨乳には違いない。
「(寒くないのかしら……)変なトコだけ気がきくわね、『この雌ブタが!』」
ディアドラの暴言に、八戒の顔が悲壮な色になった。……困ったことに涙を流して喜んで(!)いる。中の人も設定どおり被虐性欲者だった。
「『悟浄や、許しておやり』」
前回〝沙悟浄〟役だったディアドラに声をかけたのは〝玄奘三蔵〟だ。鴉色のショートボブが美しい女僧はとかく妖艶でいけない。
「お師匠さまがあまやかすから、図に乗るんです。……ところでアレは?」
「悟空なら、アメノウズメを演るので出雲に残りました」
「アメノウズメ? どちらかというとサルタヒコでは?」
「……確かにそうだけど」
三蔵のツボに入ったらしい。ケラケラ笑いが止まらない。
「……我王の人がいるから」
手塚治虫の漫画『火の鳥』の鳳凰編の登場人物だ。
「なるほど……」
ディアドラが人数を確かめた。指を折る。
(1私と、2下僕。3てンてーと4箏ちゃん。5ムギ。6ミーシャと7飼い主。8バルバル。9お師匠さまと10雌ブタ。あとは中尉と、ノートルダムか……)
残りの一人〝中尉〟はネット映画『パリジェンヌ・ノワール』のパリジェンヌのボディガードの元陸軍の〝名もなき中尉〟で、車両後部での安否確認を終えて指示を待っていた。
問題は〝ノートルダム〟だった。
(寝ていてくれて助かる……)
ディアドラがいう〝ノートルダム〟は聖母マリアのことで、昨夜の深酒でまだ眠っていた。酔ってベツレヘムの星を引っぺがしたのはノートルダムだ。悪夢が再現しかねない。
(え?)
視線を感じて顔を向けると、アッシュが人差し指でディアドラの唇に封をした。
「おい、何か――」
「――(!)」
熊使い(テイム・ベアー)が素早くミーシャに万国共通「黙れのサイン」を送った。
何かが這っている音だ。
(下?)
ディアドラが指さすと、中尉が頷いた。
車体の底(倒れた右側)で、何かが移動していた。
一匹ではなく複数。それも大量に……。
「チッ!」
舌打ちした小乗が、運転手を引き起こしたがすでにソレが腹に食らいついていた。甲幅は二十五mmほどある。
「ベンケイガニ?」
シュヴァルツェ・カッツが名前を言った。だが、似ているが違う何かだった。顎が強靭すぎる。
「痛い! 痛い痛い痛い」
小乗が手ではらうが、もがれても顎や爪は皮膚を挟んだままだった。
「イヴァン!」
「言われなくもやってる!」
イヴァンが無理な姿勢から運転手を持ち上げるが、動かない。
「さっきまで息をしていたぞ!」
小乗が疑問を叫ぶが、びくとも動かなかった。
「スヴェータ! スヴェトラーナ!」
スヴェトラーナが顔面蒼白で硬直していた。首や手に発疹がある。甲殻類を見るだけでもダメなのだろう。
イヴァンの向かいからアッシュが小乗を上げ、かけつけた中尉と四人がかりで運転手を引き上げた。
急に軽くなる。
胴体から下が落ち、運転手の上半身が反動で天井(倒れた左側)に当たった。
「なになになに!」
カニが上から降ってきた状況に、ディアドラがスヴェトラーナの髪にからんだカニを叩きおとした。
「コレ、新種ですね」
シュヴァルツェ・カッツが一匹を手にすると、ひっくり返した。ふむふむと頷いている。
立ちすくむバルタザールの前で、箏が日本刀の鞘でカニもどきを払っていた。
それを八戒が『GGW』の主題歌『ゴー・ゴー・ウエスト』を歌いながら、リズムにのって踏みつぶした。
半眼の美女がお経をあげていた。こうした時に三蔵は役に立たない。
「冗談でしょ……」
顔をそむけたスヴェトラーナが見上げると、空には月が二つあった。