猫の証拠隠滅
ルベウスに残す手紙を書く時、ディアナは何度も推敲していた。険悪な仲であった妻の遺言を彼が敬遠して、自分のしたいようにするというならそれでも良いが、さりとて国政の中心になるにあたって、手間取る事もあるだろうと思っていた。
少しでもルベウスの治世の助けになるように、多忙を極めるであろう彼に少しでも読みやすいように、要らない文言はとことん削り、最終的には箇条書きのような内容になってしまった。
その過程で、伝えたいことを書いた内容を書き出した紙を使った。失敗した手紙の全ては破棄したが、この紙だけは書き上げるまではとっておこうと別にしておいたのが、裏目に出てしまった。
『だめよ、見ないで! 絶対に、だめ!』
僅かに開いていた扉に身体を滑り込ませ、ディアナは一気に駆け抜ける。
そして、鋭い猫の鳴き声に驚いて振り返ったルベウスに飛びかかると、体当たりして彼の手中にあった紙を落とし、着地すると思いっきり爪で破った。
「おい、こら! 何をしている!」
控えていたジェミナイが慌てて駆けてきて紙から引き離されるまで、ディアナは容赦なく紙を引き裂いていた。更に証拠隠滅を止めたジェミナイに、牙を剥いて威嚇する始末である。
呆気に取られていたルベウスは、その場に屈むと、細切れになった紙に視線を落とす。全く表情が変わらない男であるので、ディアナは彼が何を思っているか分からなかったが、自身は得意気である。
『これで、いいわ!』
そう思ったのは、一瞬だった。
何しろ、ルベウスは床に散らばった紙を集めると、指先で組み合わせ始めたからだ。ディアナは目を剥いたし、ジェミナイも主君の行動に驚いた様子だ。
「あの⋯⋯そこまでなさらなくても」
「問題ない。こういう地味で根気のいる作業は得意な方だ」
「確かに⋯⋯そうでしたね」
『そうなの⁉ 伯爵家の跡取りともあろう男が、細かいわ!』
ジェミナイに捕まえられてしまっているので、ディアナは主従を交互に見返すしかない。そうしている間に、ルベウスはさっさと破れた紙の一部を元通りにしてしまった。
「なんです?」
「⋯⋯内容に一部覚えがある。ディアナが私に残した手紙の⋯⋯草稿だな。でも、文章が違う。貰ったものはまるで要点だけをまとめた事務書類のようだったが、こちらは⋯⋯私へ宛てた文言もある」
「罵詈雑言ですか」
「⋯⋯いや」
ルベウスは黙って残る紙片を集めると、懐に入れた。そして、項垂れているディアナを見て、軽く眉をひそめて、腹心を軽く睨んだ。
「嫌がっているぞ、離してやれ」
忠義の男ジェミナイは、ディアナを見下ろして苦々し気な顔をすると、彼の手から逃れようと暴れたディアナを見て顔をしかめた。
そして、爪で引っ掻かれてはかなわないと思い、彼はディアナの首後ろを掴んで持ち上げた。
――――ちょっと、止めなさいよ! 首、止めて!
ディアナはじたばたと暴れるが、何しろ手足は宙ぶらりんなので、どうにもならない。
――――く、屈辱だわ⋯⋯。死にたいわ⋯⋯一度死んだわね⋯⋯。
死をも恐れなかったディアナだが、よもや猫になってこんな目に遭うとは思ってもいなかった。なんだか情けなくなって、小さな声で鳴くと、大きな手に優しく抱き上げられた。
「やめろ。お前はまるで分かっていない」
ルベウスは険のある声で腹心を咎め、ディアナを両腕で包み込むようにして横抱きにした。猫の身体は軽いとはいえ、その腕は逞しくて安定感があった。
ようやくジェミナイの腕から解放されてディアナは安堵したが、今度はルベウスの腕に捕まった。だが、不思議と嫌ではない。
彼が、まるで自分の事は全て分かっているかのように言うのは、違うと思うが。
――――私達はそんなにお互いの事を深く知る仲じゃなかったじゃない。
人である時は、互いに関わり合いにならないようにしていた。
猫になった今も、初対面のようなものだ。
それなのに。
ルベウスの大きな手が喉を指先で軽く撫でてきた。猫である所為だとは思うが、何だか蕩けそうになるほど気持ちが良い。
――――おかしいわ。私は他人に触られるのが、昔から大っ嫌いだったのに。
困惑しながらも、ディアナは彼を見上げて、更に驚いた。
ルベウスがこんなに穏やかな眼差しをする男だと、思っていなかったからだ。