猫人生も楽じゃない
二十二歳で貴女は死ぬ。
ディアナがそう余命宣告されたのが、丁度十年前の十二歳の時だ。
すぐには受け入れがたい話だったが、王室付きの魔術師達の見る目は確かだということを、ディアナは嫌という程知っていた。
全ての命の身体には生命力の源となる『魂』が存在し、いかに身体が健やかであっても、その魂を傷つけられ、もしくは穢されれば、長くは持たないと言う。魔術師は生来、己や他者の魂を見定める力に長けた者が多く、ディアナの魂は持ってあと十年だと、全員が口を揃えた。
ディアナは己の将来を悲観し、葛藤し、行き場の無い怒りをぶつける――――そんな時間さえなかった。
なにしろ、死ぬと決まっているならば、それまでにやらなければならない事がいくらでもある。
王家の者として産まれたという理由だけで国王になった父親は面倒事が大嫌いで、政にも興味を示さず臣下達に丸投げし、自分は放蕩の限りを尽くしていた。産まれて間もなく病で母を亡くしたディアナにも関心は薄く、愛情を注ぐ事も無かった。
そんな父親は過食も酷く、巨躯の身体は心の臓に大きな負担となったのか、ディアナが十八歳の時にあっけなく逝ってしまった。
そうして、ディアナはサフィロス王家に残された最後の一人となった。だが、その血筋もあと四年で絶える事を、ディアナを含めて一部の者は理解していた。
それからの四年間、ディアナは自分が死んだ後の時の為に、必死で働いた。父親が死んで代替わりした事で、王として表立って動けるようになったのは、むしろありがたいとさえ思った。
自分の幸せを追い求める訳にはいかなかった。
サフィロス王国は大国でありながらも、父親を含めて歴代の国主が無能であったせいで、斜陽になりつつあったからだ。たとえ一日であっても無駄にする事は出来ず、二十一の誕生日を迎えた頃から衰えだした己の身体に焦りも生まれたものだった。
それでも、何とかやらなければならないと思っていた事は全て終え、安堵していた時――――ディアナは倒れた。
自分の人生に悔いはなく、世に未練もない。
だから、このまま死んで、王家ともども王国の歴史から消えると言ったが。
まだこの世に留まれる術がある、と『あの者』は告げた。
転生できるということならば、まっぴらごめんだとディアナは思ったが、拒絶は許されなかった。
ならば、『猫』になりたいと願った。
のんびりと日向ぼっこをしながら寝ていても困らず、誰にも気にされずにいる野良猫を見て、羨ましいと思った事があったからだ。
そうして――――ディアナは『猫』になり、王宮を追い出されて一週間ほどが経とうとしていた。
念願の猫人生は、良くも悪くもなかった。
猫という種はとにかく眠いものらしく、王都にある公園の片隅でほぼ一日寝ていたこともあったが、誰にも咎められる事は無かった。
ただ、同じ場所に居続ける事はできなかった。猫には縄張りがあるらしく、ディアナは数匹の猫達に威嚇されて、追い出されてしまったからだ。餌も問題だった。王都には野良猫も多く、餌になるものは取り合いになっていた。
衣食住のうち、衣はともかくとして食と住に窮する羽目に遭っている。
だが、今ディアナの頭を占めるのは、自分の事ではない。かつて祖国をいかにして守るかで頭が一杯になった癖が抜けきらないのか、やはり気になるのは王宮だ。
――――おかしいわ。何をやっているのかしら。
自分が死んで、王家の血筋は途絶えた。王配であり、最も現王家の血筋に近い伯爵家の嫡男ルベウスが、次期国王として即位するのは既定路線だ。そもそも彼は王位継承権第一位にあったし、自分は後継として彼を指名すると遺言書にはっきり書いておいた。
何の問題も無い。
自分の遺体の始末に関しても、ばっちりだ。王国の面子を潰さない程度の、でも出来るだけ節約した葬儀をして、王家の墓地の片隅にでも埋めて欲しいと書いた。
既に墓穴も掘らせておいたし、名前を入れた墓石も用意してある。
その辺に転がっている川石でも良かったが、王族にそれは無いと真顔で宰相に言われてしまったので、勿体無いと思いつつも作らせた。
準備万端である。ルベウスの手をわずかでも煩わせたりしない。
それなのに王都は至って静かであり、何の動静も伝わってこない。
――――あの人ったら、なにを愚図愚図しているのかしら! 早く、即位しなさいよ!
一週間、焦れったい思いをしていたディアナは、とうとう我慢できずに王宮へと向かった。
近年、財政難にあえいでいたせいで、王宮の外壁も補修が間に合っていない。猫一匹が通れるくらいの小さな穴は幾つかあり、ディアナは易々と入り込んだ。
警備兵の配置や、交代時間なども知っているから、彼らの目を盗むことも簡単だ。
難なく王宮の奥――――ルベウスの居住区としている区画の中庭へと辿り着くと、一息ついた。さて、後は見つからないように様子を見よう、そうしよう。
息を整えつつ、ディアナがそう思っている時、頭上から声がした。
「⋯⋯お前、どこから入った?」
不思議そうな男の声に、ディアナは軽く目を見張り、そしてゆっくりと顔をあげて、元・夫であるルベウスと目が合った。
彼の真紅の瞳は、かつて自分に向けられた鋭さはなく、優しいものだった。