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夫婦の想い

 アンバルがディアナに危害を与える気はなかったことを確認したルベウスだが、彼女の身を危険に晒したことには変わりがない。厳重注意の上、次はないと警告の上、ディアナを連れて部屋を後にした。彼にディアナの事を漏らした魔術師に対しても、長官に処分を命じている。


 毅然とした態度で次々に命を下すルベウスを見て、ディアナは胸を撫で下ろしてもいた。


 やはり、彼は王に相応しい男だ。


 安堵と腕の中の温もりも手伝って、また眠くなる。


 ――――⋯⋯ただ眠いだけじゃ⋯⋯なさそうね。


 目の前が霞んでくる。かつて、死の床に伏した時に覚えた寒さを感じる。猫の身体も限界がきたのだろう。


 でも。

 廊下を歩くルベウスを見上げ、ディアナは目を細める。


『⋯⋯もう、怖くないわ』


 小さな彼女の声は、やはりルベウスの耳に届いた。


「ディアナ⋯⋯?」


 ルベウスは視線を落とし、息を呑む。彼女の目がゆっくりと閉じていき、やがて、身体からも力が抜けていくのが分かり、血の気が引いた。


 名を何度も呼ぶが、答えない。異変に気付いた長官が傍に駆け寄り、蒼褪めた。


「これは⋯⋯魂が消えかかっております! 一刻も早く、お身体に戻さなければ⋯⋯っ」

「⋯⋯っジェミナイ!」


 ルベウスの一声に、ジェミナイは即座に駆け出していく。


 騒然となる中、ルベウスもまた速足で廊下を進んだ。本来なら走って、彼女の寝室に向かいたいところだったが、衰弱が顕著になっている彼女を大きく揺するべきではないという進言に従ったものだ。


 焦る気持ちをおさえ、何度もディアナの名を呼んだが、彼女は応えない。


 それでも、寝室まであともう少しという時、ディアナの呼吸は止まり――――。


「ディアナさまぁあああ!」


 廊下中に響き渡るような絶叫に、びくっと猫の華奢な身体が跳ねて、再び呼吸が戻った。


 一同は声のした方を向き、啞然とした。必死の形相で駆けてきたのは、侍女リーリアだ。ジェミナイから詳細を聞いた彼女は、一も二もなく部屋を飛び出した。


 その背に、ディアナの身体を背負って。


 ルベウスに対抗するために鍛え上げた細腕は、しっかりと敬愛する女王の身体を支えている。男の自分が、とジェミナイは名乗り出たのだが、『汚い手でディアナ様に触るな』と一蹴され、彼は苦笑いを浮かべながら隣を走っている。


 ルベウスと合流したリーリアは、彼の腕の中でぐったりとした猫を見つめ、目に涙をためながら、すぐに彼女の身体を降ろした。ルベウスは傍に屈み、長官の指示を受けて、猫の身体を横たえられたディアナの胸の上に置いた。


 魔術師達が固唾を飲んで見守る中、長官が分離した魂を体内へと治める術の詠唱を始める。すると、猫は小さな光の玉と化し、やがてディアナの身体の中へと吸い込まれていった。


 やがて詠唱は終わり、廊下は静寂が包む。


 ルベウスはディアナを食い入るように見つめ、震える声で彼女の名を呼んだ。

 危篤状態になったディアナに、ルベウスは毎晩眠る前に、声をかけ続けてきた。自分の愚かさを悔やみながら、開くことのない目や唇を延々と見つめた。


 このまま息絶えてしまうのでは――――そんな恐怖に苛まれた日々がこみ上げてきて、総毛だつ。


 だから。

 ディアナの目がゆっくりと開き、赤と青の瞳が合った時、ルベウスはためらいもなく彼女を抱きしめた。


「あ⋯⋯なた?」


 首輪は猫の身体が消えると同時に、床に落ちている。今、聞こえるのは、ディアナの本来の声だ。

 可愛らしい女性の声だ。かつて聞きなれていたのは、他人を圧倒するような少し低い声だった。


「⋯⋯一人でずっと頑張っていたんだな」

「⋯⋯⋯⋯」


「だが、貴女には私がいる。これからも、ずっとだ」


 ルベウスは微笑んだ。抱き起こしたディアナの顔が、真っ赤になっていったからだ。こんなにも初心な反応をする女性だったとは。もう色々と歯止めが利かなくなりそうだったが、そんな彼を半ば押し退けるようにして飛びついたのは、侍女のリーリアである。


「ディアナ様⋯⋯ディアナ様ぁああ!」


 泣きじゃくる可愛い侍女に、ディアナは目を見張り、そしてようやく自分が元の身体に戻っていることに気づく。もう二度と戻る事はないはずの身体だ。戻りたくもないと、かつては思ったはずだった。


 それでも、猫でも人でも――――ルベウスの傍に帰りたいと、願ってしまったからだろうか。


 ディアナは柔らかく微笑んで、リーリアが泣き止むまで慰めた。そして彼女が立ち上がるのを待って、足に力を入れてみる。立てそうだ、と思った時、ルベウスがすぐに手を差し伸べてくれた。


「あ⋯⋯ありがとう」


 気恥ずかしさを感じながら、ディアナは久しぶりに人として立った。魔術師達は感涙し、ジェミナイらルベウスの警護兵達は絶句している。


 彼らはまだ眼前で起こった事を目撃したから、理解も早い。ただ、騒ぎを聞きつけて駆け付けてきた王宮の侍従や侍女たち――――かつて、女王を畏怖し、敬遠してきた人々は、ディアナを見て悲鳴の声を上げた。


 ――――⋯⋯当然よね。


 そもそも死んだはずの女王が、またしても王宮に舞い戻ってきたのだから、驚くのも当然だ。しかも、何事にも手厳しくしていたから、王宮どころか王都中の人間に嫌悪されているのではないかとも思う。


 自分が生き返るのは、人々にとって迷惑な話に違いない。

 表情を曇らせたディアナを黙って見ていたルベウスは、静かに問いかけた。


「辛いか」

「⋯⋯平気よ」


 自分が招いたことだから、と続けようとしたディアナだが。今度は彼女が悲鳴を上げる番だった。一緒にリーリアまでも、この世の悪夢だといわんばかりの声を上げた。

 ルベウスが、軽々とディアナを腕に抱き上げたからだ。


「ま、待って⁉ 何するの!」

「病み上がりの身だ、無理をするな。寝室まで連れて行くから、休んでくれ」

「そういう事じゃないのよ⁉」


 真っ赤になって訴えるディアナは、リーリアに救いの目を向けたが。彼女は口惜し気に言った。


「うぅ⋯⋯っ申し訳ありません、ディアナ様。私にはまだ背負うのが精一杯です! ですが、いつか横抱きができるようになりますわ!」

「貴女、何を目指しているの!」


 もう誰に何を言えばいいのか、ディアナには分からなくなってきた。ルベウスは長官に、ディアナの身体と魂に障りがないか確認した後、リーリアやジェミナイらを置き去りにして、さっさと歩き出したからだ。


 ディアナは耳まで赤くなって、抗議の声を上げるが、虚しく響くだけである。

 その様子を侍従や侍女たちも、呆気にとられながら見送るしかなかったが。


「⋯⋯ディアナ様って⋯⋯意外に可愛らしい所があったのね⋯⋯」

 と一人が呟き、全員が揃って頷いた。

 一切の隙がなかった孤高の女王が垣間見せた、人間らしい感情を露わにする姿に、彼らの口元も緩んでいった。



 ルベウスの後に誰も続かなかったので、ディアナはまず彼と対峙することにした。寝室の扉に手をかけた彼に、鋭い声で制止する。


「ここは駄目よ!」

「なぜだ? 夫婦の寝室だ。つまり、私と貴女のための場所だろう」


「違うわ。貴方には⋯⋯人生で初めて愛した子がいるでしょう」

「ん?」


「⋯⋯隠さなくて良いのよ。貴方に結婚を無理強いした私が悪いんだから。貴方もまさか私が猫になっていたなんて思わなかったから、その子が眠っている寝室にも連れて行ったんでしょう?」

「あぁ⋯⋯それはそうだが⋯⋯だから、次に寝室へ連れて行こうとした時も、嫌がったのか?」


「⋯⋯えぇ」


 答えながら、何だかディアナは哀しくなってきて、目を伏せた。ルベウスの目が泳ぐのも見えたからだ。きっと気まずいのだろう。そう思っていると、ルベウスは大きく息を吐き、ディアナを少しだけ強く抱きしめた。


「⋯⋯彼女はな、手厳しいが実は優しくて、意地っ張りなのに、甘えてくれると本当に可愛い女性だ」

「それも知ってるわよ。再婚を勧める貴族達に、言っていたのを聞いたわ⋯⋯」

「あぁ、最高の妻だ」


 ルベウスは微笑んで、ディアナの制止の声も聞かずに扉を開けた。そのまま中に入り、扉を閉めてしまう。ディアナは呻いた。よもや鉢合わせするのではないかと思うと、気が気ではない。


 だが、恐る恐る寝台に目を向ければ、そこには誰もいなかった。毛布は捲れ上がっていて、誰かが寝ていたような形跡だけはある。


「⋯⋯あ、そうか。今は昼間だったわね!」


 少しばかりズレた解釈をしたディアナに、ルベウスは苦笑した。そのまま寝台へと向かうと、ディアナを降ろそうとする。


「ま、待ちなさい! いけないわ!」


 ディアナが焦ってルベウスにしがみつくと、彼はもう笑みが止まらなくなってきた。


「そうか。このまま私に抱き上げられていたいんだな?」

「違うわよ!」


 なんだ、この究極の二択は。


 半泣きになるディアナに、ルベウスはくすりと笑った。


「ここに寝ていたのは、貴女の身体だ」

「え⋯⋯っ」


 ルベウスは優しい手つきで、彼女の身体を横たえさせた。目を見張るディアナの髪を撫で、穏やかな眼差しを向ける。


「貴女は遺言状で、自分の寝台は――――先代の父王が使っていた物は処分しろと言った。そして、私に譲ってくれた貴女の寝台は、二人で寝るには少し手狭だ。だから、二人用の物を用意してもらって、一緒に休んでいた」

「⋯⋯ずっと⋯⋯?」


「あぁ。いつ息絶えるか分からない貴女の側を離れるのが、怖かったんだ。昼間はリーリアがずっと貴女の傍にいた。彼女も貴女の事を心配していたぞ」

「⋯⋯あの子は⋯⋯本当に優しいのよ」


 ルベウスは頷いた。ディアナに対してだけだろうと思いながら更に続ける。


「遺言状の草稿で、貴女は私に『結婚してくれてありがとう』と書いてくれていた。貴女にそんな風に想ってもらえているとは思わなかったから⋯⋯驚いた。清書したものの方は、まるで事務的だったからな」

「だって⋯⋯読みやすい方がいいじゃない?」


 徹底的に無駄を省いただけだと言いながら、ディアナの頬はまた赤い。もちろん、ルベウスはもう百も承知だ。


「恥ずかしくなったんだな? それとも照れたか?」

「⋯⋯⋯⋯」


「慌てて引き裂くわけだ。だが、無駄だぞ。あの後、全部つなぎ合わせて糊付けし、元通りにしておいたからな」

「貴方、暇ね!」


 きっとディアナは睨んでみたが、ルベウスがあまりに嬉しそうに笑うものだから、怒るに怒れない。毛布を手繰り寄せて、顔を半分覆い隠した。


 ルベウスは微笑み、傍らに座ると、ディアナの髪を優しく撫でる。猫であった時と変わらない、温かい手だ。やはり、ディアナはちっとも嫌じゃなかった。


「貴女が危篤状態に陥った後、私は貴女が一人で背負ってきた事を知った。貴女を責めてばかりいた自分が、途方もなく情けなく感じた。だから、貴女が戻ってきてくれたら――――今度こそ、貴女と向き合おうと決めたんだ」

「⋯⋯⋯⋯」


「やり直したい。最初から」


 真摯な眼差しは、ディアナを魅せる。優しく触れてくれる大きな手は、途方もない安心感を与えてくれる。

 幼い頃からずっと一人で眠り、他人に触れられることが苦手だった自分にとって、ありえない事だ。

 次代の王を求めていただけのはずだったのに、いつの間にか、彼に惹かれていたのだと、ディアナはようやく気付く。


 民を苦しめた王家の一員である自分が、人間に戻り、ルベウスと添い遂げて良いのだろうか。そんな幸せを手にして良いのだろうか。


 迷いはある。

 ただ、この先どんな未来が待ち受けているとしても――――怖いとは思わなかった。


「⋯⋯貴方を最後に見送った時、言いかけたことがあるわ」

「すまない。意地にならずに聞いておけばよかった。⋯⋯何と言おうとしたんだ?」


 具合の悪い妻に気づかず、さっさと視察へ向かった自分は詰られても仕方がないだろうと、ルベウスは思ったが、ディアナは微笑んだ。


「⋯⋯傍にいて、よ。わがままよね」


 今度はルベウスが天を仰ぎ、頬を染める番だった。ディアナが不思議そうな顔をするものだから、余計に彼は目のやり場に困る。寝室に二人きりという状況でもあり、彼女がまだ病み上がりの身でなければ、それこそ自制心が崩れそうである。


「大丈夫だ、傍にいる。だから⋯⋯少し休め」

「えぇ⋯⋯ありがとう」


 ディアナは小さく微笑んで、穏やかな気持ちで、ゆっくりと目を閉じた。


 本来は死ぬはずだった自分が、再び人間の身体になってルベウスとまた話ができるなど、夢のようだとディアナは思った。猫になったおかげで、彼の素顔だけでなく、リーリアの意外な姿も、ジェミナイの妙な一面も見られることができた。

 大勢の人々の心に触れ、騒がしくも、楽しい一時を過ごせた。


 このまま息絶えて、二度と目を覚まさなくても――――自分の人生は恵まれていたのだと思える気がした。

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