猫の天敵
このまま鷹の巣に連れ去られ、餌にされるのか。はたまた、ついうっかり落とされて、墜落死か。
いずれにせよ、絶望的な未来を想像したディアナだったが、鷹は王宮の上空を横断した後、急降下して、二階のバルコニーの上でディアナを放した。
「ふぎゃ⁉」
そして、落下したディアナの身体を両手で受け止めたのは。
「素晴しい」
聞いた事のある男の声に、ディアナは嫌な予感を覚えながら、そっと見上げて呻いた。不敵な笑みを浮かべて自分を見下ろしていたのは、アンバルであったからだ。
餌になるなり、墜落死するなりした方がましだった、と心から思った。アンバルの手から必死で暴れて逃れ、なんとか床に降り立ったが、そのまま身体に力が入らず、突っ伏してしまった。
空に連れ去られた恐怖か、それとも身の毛もよだつような男に触れられたせいなのか。今すぐ逃げ出したいのに、手足ががくがくと震える。
ディアナを見下ろして、アンバルは膝を追って屈むと、満足げな顔をした。
「私の鷹は本当に優秀ですね。狙った獲物は必ず仕留めます」
『⋯⋯だからって、王宮にまで連れてくるんじゃないわよ』
言い返すディアナに、アンバルは笑みを浮かべたまま続けた。
「貴女がなにか小さい物になったようだ、と魔術師から聞いていましたので」
『⋯⋯え?』
「それに、ルベウス⋯⋯殿下が、貴女をずいぶんと大事そうに抱いているのを見かけましたからね。もしや、と思いましたよ」
ルベウスに対しても敵意を滲ませていた男は、彼の名を口にするのも嫌そうな顏をしながら、凍りつくディアナを見て、楽し気に喉を鳴らす。
「実は王宮勤めの魔術師の一人が、私の友人でしてね。貴女が危篤状態になった後、何やら彼の様子がおかしいと気づきました。ですが、何を聞いても知らないというので、ちょっとばかり友好的な話し合いをしまして、聞き出しました」
脅迫をした、の間違いだろうと、ディアナは思った。薄ら笑いをしているアンバルの目は、全く笑っていない。彼はディアナの冷たい眼差しなど気にした様子もなく、更に右腕の袖をまくり上げた。彼の手首に嵌まっていた腕輪は、ルベウスが身に着けていた物と、酷似していた。
『お揃いね⋯⋯?』
「不本意ながら。貴女の首輪とルベウス殿下の腕輪は、魂と対話できる魔導器だそうですからね。同じように意思疎通をはかるためには、殿下と同様の仕様にするしかないと言われました」
――――ルベウスが首輪を付けたがったのは、話をするためだったのね⋯⋯。
ようやく彼が自分の言葉を理解していた理由を知ったディアナである。おかげでとんでもなく恥ずかしい事になったが、一概に彼を責められない。
初めに首輪をつけようとしたとき、彼が何やら話しかけてきた。その時、眠気に負けて、『ゴチャゴチャと煩い』と思って聞き流していたことがある。恐らく、その時に彼はきっちりと説明してくれていたのだろう⋯⋯。
――――ますます、情けないわ⋯⋯。
もうルベウスに会わせる顔がないと、ディアナは落ち込む一方だが、塞ぎ込んでばかりもいられない。なにしろ、ディアナが気落ちすればするほど、アンバルの口元に笑みが広がるからだ。
しつこく絡みつくような嫌な気配を持つ、蛇のような男だった。
蛇は猫の天敵である。
無意識に毛が逆立つ。ディアナは牙を剥いて威嚇してみたが、アンバルは意に介さない。くつくつと喉を鳴らし、ディアナの怯えをあざ笑うかのようだ。
「しかし、よもや女王陛下が猫になどなるとは⋯⋯」
『なによ。いけない⁉』
「いえいえ。おかげで、私はこうして秘密裏に貴女を攫えたのですから。むしろ、感謝したいくらいです」
ディアナは冷や汗が出た。
今でも、王宮でもごく一部の人間を除けば、ディアナが猫になった事を知っている者はいない。だから、ディアナをアンバルがどう扱おうが、『ただの猫だと思った』という言い訳が成り立つ。魔術師の友人を脅した男の事だから、口留めくらいしてあるだろう。
そして、この男の目的は、きっと――――復讐だ。
「貴女がいけないのですよ。私の弟を追放なんてするから⋯⋯」
『王宮で侍女に狼藉を働こうとした男よ。許せるものではないわ』
ディアナは毅然と返したが、アンバルは冷笑するだけだ。
「おかげで、私は散々ですよ⋯⋯。ですが、ようやく報われる時が来そうです」
そう言って彼は立ち上がると、屋内へと続く掃き出し窓を両手で開けた。なんとか彼と距離を開けようと、バルコニーの端まで逃げていたディアナは、彼を目で追ったために、室内にあった物を目にしてしまった。
『ひぃ⋯⋯⁉』
それはあまりにおぞましい代物だった。血の気が引き、体が震える。
猫になった時、いずれ野垂れ死ぬことも覚悟した。女王でいた時も、ろくな死に方をしないと詰られても、仕方のない事だとも思った。
だから、復讐され、拷問の末の死ぬ――――そんな未来も頭を過ったが。
アンバルは、ディアナの想像を優に超える物を用意していた。




